まちづくりの「まち医者」
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仕事の仕方

 

■成功するプラットフォームの二つの共通点

司会(前田)

 ではこれより質疑応答に移ります。

 まず私の方からひとつご質問致します。まず、うまくいくプラットフォームには共通点があるとおっしゃっていましたよね。

 それをもう少し具体的に教えて頂けませんか。

 まず、最初に挙げられる点としては「肩書きをなくして参加する」ということでしょうね。というのは、肩書きがあると絶対バックにある組織で意志決定が行われるので、自分の言いたいことがその場で言えないからです。「すいません、理事長に確認してから来週(あるいは来月)もう一度持ってきます」と言い出されたら、何も始まりません。ですから、個人の意志で参加して個人のできる範囲内でできることをやりましょうというのがうまくいくプラットフォームの共通点です。

 もうひとつ大きいのは、これは特に行政に言えることですが、「後出しジャンケンはなし」ということです。よくある例で説明すると、「こんな施設を作りたい」「こんなプランを実現したい」ということでみなさんでプラットフォームを作って考えてみて下さいみたいなことはけっこうありますよね。そして、みんなでいろんな意見を出しあってこんなふうにやろうと盛り上がったところで、「実はこういうルールがあってそれはできないんです」と後から言い出す。後から条件や制限をつけて拒否権を発動するのはご法度です。

 新しいことを始めたいという時に、そういう条件や制限があることが最初から分かっていれば、それをどうクリアしようかということも含めて考えられるのに、みんなでプランを練り上げた時に拒否権が発動されると、雰囲気がしゅっとしぼんでしまいます。そして、大体そのプラットフォームは失敗します。ですから、そういう「後出しジャンケン」は絶対ダメというのは大きい条件です。

 この二つは、私も思いますし、みなさんも共通して言われることです。


■水都大阪フェスについて〜なぜ継続したイベントができないのか

中尾(ワイズ)

 水都大阪についてうかがいます。このフェスティバルは1年のうち、たった9日間しか開催されませんよね。これだけ盛り上がってきたイベントなのに、これだけなのはもったいないと思います。もう少し継続的にやれるようなプログラムは考えられないのでしょうか。

 と言いますのも、このイベントのおかげか中之島公園は近年とても綺麗になりましたが、いかんせん利用する人はまだ少ない。バラが咲いているシーズン以外は、何もない公園という印象です。もったいない空間だといつも思っているんです。もう少し連続性のあるイベントが欲しいのです。

 計画書を見ても、御堂筋KAPPO、マルシェなどがシーズンごとにあるようですが、それを足してもせいぜい20日ぐらいにしかならないでしょう? もう少し市民が寄りつくような継続できるイベントにならないかなと思います。

 例えば、ドイツのフランクフルトでは毎週大きな市場が開かれ、市民がいろんな買い物をして楽しむ場になっていますよね。毎週何かをやっている、あそこに行けば何か楽しいことがあるというような仕掛けはできないでしょうか。

 まさに私も同じことを考えながら、いろんな活動をしているんです。結局、それは「公共性をどう捉えるか」という話になっていくんですよ。行政は「なぜ、この人がここを独占的に使用しているのか」ということに耐えられないから、規制せざるを得ない。私の思いとしては、水都大阪フェスの9日間や北浜テラスの最初の1ヶ月は、それが目的でなくそれが365日になるためのチャレンジです。いつでもこういうことができるという仕組みをここで生み出していきたいし、そうしないといけないと思っています。北浜テラスはその思いが実現して、365日できるようになった例です。

 今回の水都大阪フェスで画期的だったなと思うのは、「リバーサイド・ヨガ」をされている人たちがフェスの時だけでなく、普段も頻繁にされるようになったことです。「リバーサイド・ヨガ」をしている人が申請をしているのですが、それはフェスの時に認知されて、外から見てもいいものだなと理解されたからなんです。

 そういう例が一つずつ増えたらいいなと思ったので、今年はプログラム公募を始めました。公募に際しては我々事務局サイドから「どんどんやりたいことや、あればいいと思うことを出して下さい。それは公共空間でお披露目されますので、自己責任でできることをお願いします」と周知徹底しました。事務局はどこに協議に行けばいいのかや過去のノウハウなどはお伝えしますが、プログラムに伴う各部署への対応、河川事務所、公園事務所、警察への対応やお客さんへの対応は自らお願いしますとお知らせました。

 結果、40いくつのプログラムが集まりました。企画運営や関係機関協議にはみなさん苦労されたようで、ひとつのプログラムの責任者だった女性はご飯ものどが通らないぐらい苦労したと言っていました。苦労はするんですけど、皆さん全部自己責任でやりました。すると、「なぜ、公共空間でこれができるのか、できないのか」がわかってきます。公共性とはこういうことか、行政の管理者の気持ち、市民の支持を得られればこういうことはできる、何かが起こった時のリスクをどう担保するかなどを体感します。それが分かった人が今年は40組みできたということです。

 その40組みの人たちは、これから世の中で何かやろうというとき、もう水都大阪フェスの事務局がなくても、自ら企画運営できるようになったのです。そういう人たちがどんどん増えてくると、まちで何かチャレンジしたいということが増えてくると思います。

 水辺バルに関しては、まだ継続的に運営できるまでにはなっていないのですが、船の会社の方も可能性を感じてくれるようになりました。徐々に、年に1回だけでなく何回かやろう、継続的にやろうというふうにつながっていくのではないかと思います。今はそれに至る実験期間です。

 企業のビジネスモデルの取組みを今回チャレンジしたのも、民間企業の投資が公共空間に年間を通じて入って欲しいというねらいです。すでにガーブ、Rというレストランが公園の中でプロポーザルを経て営業をしているという例も出てきています。


■最初から「まちの活性化」を言うとうまくいかない

宇野(UHSマネジメント)

 プラットフォームについてお尋ねします。先日、私はある市のまちづくり協議会の様子を傍聴してきました。

 その協議会は「街を活性化する」ということをテーマにあげていました。その一つとして、子育て支援をするとか駅の改修をするというディスカッションされていたのですが、60〜70代の方たちが多く、当事者のお母さん方がおらず、そういうところで話をしてまとめても意味があるのだろうかと疑問に思いました。

 もっと20〜30代が声を出せるプラットフォームが必要じゃないか、泉さんがおっしゃるように、当事者がプラットフォームを作っていくことが必要じゃないかと思うのですが、これまでプラットフォームを立ち上げてきたご経験から具体的にどう立ち上げていけばいいのかを教えて頂ければと思います。

 実は私は「活性化」という言葉が嫌いです。「街を活性化させたる」というと上から目線を感じてしまうんです。実際、いろんな地域へ行ってみると「街を活性化させたい」と思っている人はあまりいなくて、僕の言葉で言うと「街を面白がりたい」「誰かと何かをしたい」「儲かりたい」ということになるんです。多分そうした人たちがたくさん出てきた時に、外から見ると街が「活性化」しているように見えるということなんでしょう。最初から「活性化しましょう」と言って、面白い人が来たためしがない。ですから、まちづくりを「活性化」という言葉で始めるのは止めた方がいいと思います。

 また、「自分事」にならないと参加するモチベーションにならないし、続きません。幾つかの、ある程度具体的なテーマを設定して、それに興味がある人に積極的に会いに行く。そういう人がどういうモチベーションを持っているかを探っていくと、この人なら主体的に参加できるんじゃないか、この人とこの人なら面白いことが生まれるんじゃないかというイメージがわいてきます。ある程度、各個人のモチベーションや課題は何かまで落とし込まないと、主体的な人は参加しません。漠然とした「まちづくり」だけでは難しいと思います。

 私は地域に入るとき、まず数十人の方にお会いします。面白い方だとまたその知り合いの面白い人を紹介して頂けるので、どういうテーマなら誰が参加してもらえそうか、その辺から考えてみるほうがいいんじゃないでしょうか。回り道のようで結構「まちづくり」の近道だったりするんです。最初から「まちを活性化させよう」ではうまくいかないのが普通だと思います。僕だったら、そういうタイトルの集まりには行かないと思いますし。

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