大阪の埋め立ての進展とその環境
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1 はじめに

 

 どのように人が定着し埋立地を利用していったのだろうか?これは、本セミナーの紹介文の一節である。臨海部埋立地は基本的には新田として農業利用に供されており、誰も住んでいなかったとは考えにくい。と言って、内陸部の一般的な平地農村と変わらなかったかというと、そうでもなさそうである。臨海部埋立地は、ほとんどが町人請負新田であり、その経営は企業経営的性格が強く、外部からの出作が多い点などの特徴があったと言われる。それが集落の形成状況にどう反映したのか。その手がかりとなりそうな絵図類には、そうした特徴まで踏み込んで描写し、疑問を解き明かしてくれるものはない。たとえば、浪花百景の「しりなし 漆づつみ 甚平の小家」では、周囲を高い堤防に囲まれた、新田の特徴がきれいに描き出されている。よく見ると、奥の堤防の前に家並みらしきもの見えるのだが、残念なことに家屋の存在がわかる程度にとどまっている。そこで、各種資料を用いて、埋立地の人口定着状況について推察し、臨海部新田村の特徴の考察を試みたのが今回の発表である。

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