大阪の埋め立ての進展とその環境
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2 集落分布からみた特徴

 

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図1:大坂三郷周辺集落(現在の大阪市域)
 
 いわゆる仮製図をもとに大坂三郷周辺地域の集落を調べた、杉本容子氏の研究を参考に、現在の大阪市域における臨海部新田地域と内陸部平地農村地域の集落数を比較すると、集落総数211のうち、臨海部が28(13.3%)、内陸部が183(86.7%)となる(図1)。

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図2:臨海部新田地域と内陸部農村地域の比較
 
 本セミナーの紹介文には、江戸期臨海部埋立地域の面積は現在の市域の25%と述べているが(埋立研究で名高い玉置豊次郎は30%としている)、これは臨海部と内陸部の村落数の比率とほぼ同じであることがわかる。集落数の比率(13.7%)は、そのおよそ半分で、臨海部は集落形成があまり進んでいなかったことがわかる。人口も同様の傾向にある(図2)。

 仮製図は明治19年につくられており、人口データも明治9年のものであるから、厳密には江戸期とは言えないが、幕末から明治中期にかけては比較的変化が緩やかであったことを考えると、江戸時代についても同様と考えて差し支えあるまい。江戸期臨海部新田地域は、内陸部と比べて、人口が少なく集落があまり発達していなかったということがわかる。

 しかしながら、埋立地に19,000人あまりの人が住んでいたことは事実で、集落と呼べるほどの家屋の集合がなかったとしても、無住であったわけではない。広大な地域に家屋が点在していたことを推察させる。

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