4 社寺立地からみた臨海部新田村 |
臨海部埋立地における人口定着状況が少しわかってきたが、少なくとも明治9年の時点において臨海部には2万人近い人口がいたわけで、それが11の集落に集中していたわけではあるまい。とすれば、縮尺2万分の1の仮製図では集落とは認められない規模で家屋が点在していたと考えるべきであろう。臨海部埋立地は、全体として集落形成が進まず、堤防上に家屋が点在する地域であったと言うことができよう。
図9:新田における神社の分布 |
図10:神社の有無別にみた村数 |
図11:寺院の有無別にみた村数 |
図12:社寺・会所の分布 |
さて、臨海部新田村は、一般的な内陸部農村と比べて、どのような特徴をもっているのだろうか。社寺の立地状況を比べてみることにしたい。臨海部、内陸部ともに、典型的な農村の姿を抽出するために、大坂三郷周辺町村266から三郷に近く市街化の影響が強いものや平野郷町および住吉村等の46を除外した161ヶ村について社寺の有無を見てみた。その結果、神社については、内陸部では80%以上の村に立地しているのに対し、臨海部では60%程度であることがわかった。また、寺院については、内陸部では85%以上の村に立地しているのに対し、臨海部では20%に満たないことがわかった。臨海部新田村の特異な性格を表している。
臨海部埋立地域における典型村の素描を試みると次のようになる。6割の村には神社があるが、8割の村には寺院がない。これは、既に述べたように人口が少なく、しかも出作が多いことの反映と思われるが、無戸籍者の存在を暗示してもいる。社寺についてもう少し細かく見ると、臨海部新田村の神社の半数が住吉神を主祭神としており、内陸部農村の場合1割以下であるのと対照をなしている。また、寺院の多くが浄土真宗であり、内陸部で半数以下に過ぎないのとは少し異なった傾向を示している。こうした点に臨海部埋立地の特徴を見ることができる。