大阪の埋め立ての進展とその環境
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11 終わりに

 

 近世以降の農地開発の歴史の一端でもひもとければ、新たな視点から地域を見ることができるのではないだろうかということで、篠山藩青山家文書の絵図を見ながら、大坂三郷周辺の埋立地の農業利用についてみてきました。この中で、まず、近世初期という時代の絵図自体が貴重な情報であること、地図データとしては、仮製1/20,000地形図(明治18年測量)を出発点としがちですが、その形成も含めて考えることができそうだということが分かりました。一方で、新田については、海辺と旧大和川の新田の研究については、歴史や地理の分野で相当な蓄積がありますが、周辺部はよく分かりませんでした。

 また、今回、歴史や地理の分野の書籍や論文を読みあさりましたが、半田も、綿作と漁民の出稼ぎも、干鰯のつながりも、屎尿船も、それぞれが日本史の分野ではごく一般的な事柄として扱われていました。一方で、都市計画をやっているものとしては、ただ単に勉強不足なのですが、これら一つ一つの事実を一つの都市の物語としてつなげて考えることの重要性を改めて感じました。

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