大阪の埋め立ての進展とその環境
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10 屎尿船と近郊農村

 

 魚肥や粕物などの肥料の高騰により、大坂近郊の村々にとって、大坂の屎尿肥料が重要となっていきました。大坂の人口が30〜40万に増加し、その排出する屎尿の処理は大坂町奉行の重要課題の一つであり、上荷・茶船が独占していた市中の運航に、屎尿船の進出は致し方ないと認められました。

 一方で、下屎肥料の商品価値が上がってくると、町方下屎仲間と農民の間に汲み取り権・下屎代銀などをめぐって紛争がおこり、村と村の間にも請入箇所の争奪がありました。そこで、摂津・河内314ヶ村と河内新田方支配の7ヶ村で在方下屎仲間ができ、屎尿船は、神崎川筋、淀川筋、中津川筋、寝屋川筋など、各村々に数艘ずつありましたが、幕末に屎尿仲間が328ヶ村、小便仲間が400ヶ村にのぼったことから、屎尿船の数は数千艘に及んだと考えられます。

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摂河314ヶ村下尿三郷町割張(摂津)(※小林茂・脇田修(1973)大阪の生産と交通『毎日放送文化双書4』pp. 296、毎日放送 より
 
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