協働のまちづくり |
本日のテーマである「協働のまちづくり」の中で市民はどういう役割を果たすのか話ししたいと思います。
つまりおまかせまちづくりの限界とは、住民ニーズとのズレ、経済成長が頭打ちになって歳入・交付金も減少して維持・管理費がますます増大してきたことが顕在化したのです。そうなっていく中で、今度は「使いこなすまちづくり」が叫ばれるようになりました。
姫路は戦時中に空襲を受けましたので、お城以外はほとんど焼け野原になってしまったのです。その戦後復興の中心策として、通称50m道路と呼ばれる大手前通りが終戦から10年後の1955年に完成しています。また、市の少し南側にある手柄山が整備されて、ここで姫路博という博覧会が1966年に開かれています。そのため、市の中心部とつなぐモノレールが開業しています。
高度成長期に入ると、姫路の前々市長が建設省出身のとても建築好きな人で、また時代的にも高度経済成長期だったので、1982年には丹下健三による県立歴史博物館が建てられました。ここから始まってバブル期にかけて、姫路には有名建築家の作品群が続々と建てられるようになりました。安藤忠雄による建築も、文学館、こどもの館、星の子館と3つの作品があります。黒川紀章、宮脇檀の作品もあります。建築という観点から見ても、姫路の町は充実した内容を誇っており、それを目的の周遊ができるといってもいいくらいです。
しかし、その後低成長期に入ると多くのプロジェクトが頓挫しました。播磨空港、多目的ドーム系ホールの計画がなくなり、山陽電鉄の地下化の計画もあったのですが、それもなくなりました。
そういう大きな計画がなくなっていく中で、今回の駅周辺整備事業は「キャスティ21」と名付けられ、姫路にとっては平成の築城とも言うべき大きな計画です。
それと市民が活動していく場合、専門家の存在が重要になってくるのです。市民だけだと聞きかじりの知識で行政に噛みついたり、自分にとってプラスかマイナスかだけで判断しがちになるので、専門家の知識が市民を冷静に考えさせてくれるのです。
そして、今はプロセス全体の中でどの段階にあるのか、成果を広く共有できているのかなど、活動全体をコーディネートする人の存在も重要です。
1つは、参加者を明確にすること。先ほど言いましたように誰が当事者になるのか、声の大きな人が力を持つことになっていないか、またこの課題にかかわる専門家は誰かということなどです。「参加構成のデザイン」と言います。
ふたつめは、課題の解決に向けた「プロセスのデザイン」を描くこと。これはスケジュールのデザインとも言えると思いますが、これは市民が関わる場合けっこう大切です。すでに議会が計画を審議して市民にはそれから公開されるということも多いですが、そのことに異議を唱えても反対運動にしかなりません。ですから、まだ構想の段階の時点でいかにプロセスを共有しながら関わっていくかが重要になります。そして、出来上がるビジョンというものも共有していくのです。
3つめは、プログラムのデザインです。1つ1つの勉強会やワークショップ、フォーラムなどです。
この3つのデザインをきちんと考えて取り組むことが協働のデザインということです。