井口
5番の阪急市場に関してですが、 北と南は一つの事業としてやっているのですか?
舞田
別々です。
たとえば再開発による都市計画の場合は、 1街区1計画的な整備も考えられるわけですが、 ここの場合はそうではなくて任意開発ですから、 あくまでも別々の敷地の計画ということでやっています。
地域に根づいた市場に対して共同とは単に関わっている権利者だけの話ではなく、 多くの共同の仕方があるように思えましたが、 その辺のことについて大島さん何かありませんか。
大島
私たちが会社をつくると提案したときに、 地元出資にすることは地元の方の意思で決まったのですが、 資本金の額をどうするかという問題になりました。
株式会社の資本金は商法では最低1000万円が必要ですが、 地元が1000万円は確保できましたので、 地元だけで会社をつくることも可能でした。
しかし将来にわたってお客さんをつなぎたいという目論見がありまして、 株主を募集することにしました。
じゃあどこまで資本金を高く設定して募集できるかということですが、 市場からは1000万円で精一杯でしたので、 まったく集まらなかった場合に我々コンサルと金融機関でどれだけ事業協力できるかということを考えまして、 私たちの限度額500万円を増額して1500万円と決定しました。
また将来的に地元が主導権を持った会社にしなければいけないということで、 少なくとも3分の2くらいは市場が株式を所有することにしました。
しかしやはりどれだけ反響があるのかは見当がつかなかったのですが、 蓋を開けてみたら、 「市場がなくて不便、 早く復興してほしい」という方がたくさんおられました。
ここは近くのコープが早く再開したのですが、 周辺住民の中に従来の店主とやり取りする市場スタイルを望む人がたくさんおられました。
地元から100人近くの出資願いがありました。
そういうことが市場の方への励みになり、 頑張るエネルギーの源になったような気がしています。
小浦
やはりそういったやり取りができることが、 共同で何かをする時の大きな支えなのかもしれません。
しかし舞田さんに報告していただいた三宮のような都心部と新甲南では違うかもしれません。
市場が共同して立ち上がる際の地域との関わり合いに関して何かありませんか。
舞田
三角マーケットを支える人は、 昔なら地域住民がいたんですが、 今は飲食店の経営者です。
バブル崩壊後経営が厳しいので、 人件費や仕入れ代を抑えて、 仕入れの時には安売り店へ行くようにしているようです。
昔の市場にはファンのようなものがいて名物として成り立っていたのですが、 今は仮設に移ったために窮屈で商品も限られています。
そうすると大型店等に客は流れていきます。
本当に必要ならば、 もう一回復活するでしょう。
ただここの場合は元々商売人が支えていたので、 そういう地域住民のバックアップはありません。
飲み屋街の古い人から「早く再建してくれよ」という声はあります。
小浦
しかし飲み屋さんというのも地域の人びとですから、 その地域との関わり合いの中で生きてきたというのは事実ですね。
舞田
ええ。
ですからあそこでちょっとおいしい惣菜を買って店で出すなんて方もいたようですし。
商業のほうはもっと大変で、 事業者が高齢化していて、 資本金もあまりないという、 そういった方たちの再建なんですが、 それぞれの背景がめまぐるしく変わっている状態で、 それぞれの事業者は問題を抱えているはずです。
そういうソフト面での相談や問題にはどんなものがありますか。
たとえば共同化という問題への意識はどうだったのでしょうか。
それに対する具体策はどうだったのですか。
大島
実は市場を再建する時にずいぶん議論があったのですが、 私たちは少なくとも共同化をして等価交換により自己負担なしで店舗を取得しようという方法を取ったのです。
共同化して上に住宅をつくることで共同店舗が大きな負担なく取得できるという考え方ですから、 その選択をした以上、 昔のような区割りの店舗ではなくて、 共同化をする必要がある訳です。
共有にして店舗はその中で個別に営業するので、 そういう意味では所有関係がきれいになっていますから、 リニューアルがしやすいのです。
区分所有ですとこれが大変で、 空き店舗が出ると空いたままというような状態になります。
それを避けるために、 床に関しては共有化した訳です。
当初セルフについては考えていませんでした。
普通の専門店で考えていたんです。
それと市場の皆さんの意識の中に、 セルフというのはスーパーマーケットというイメージがあり、 商業の形態としては少しレベルが下がるし、 「自分たちの商売はそうじゃない。
自分たちの商売はお客が見えてお客との対話で物を売っていく。
スーパーとは違うし、 セルフは自分たちにはなじまない」という意識があったのです。
私たちもセルフについてはそんなに認識がありませんでしたから、 どういう選択をしていけばいいのか分からなかったのですが、 協同組合をつくるという話しの段階で、 神戸市から派遣された商業コンサルも入っていろいろと議論しているうちに、 スーパーといった形のセルフではなくて、 売り方がセルフになっているだけで、 自分たちが仕入れたものを共有の陳列棚で売るのだ、 といった捉え方が出てきました。
今まで市場がどんどん衰退してきた一つの原因に対面方式の限界みたいなものがあります。
市場の皆さんも意識されたかどうかは分かりませんが、 何となくそういう方式だけではいけないという認識があったのかもしれません。
その点に対して私たちが的確に指摘できなかったことを商業コンサルの方にご指摘いただいて、 そういう方向に進んでいる訳です。
ただセルフのところを面倒をみる人が市場のなかで必要となる訳です。
それに関しては商業コンサルの指導で、 実は鶏肉屋さんが市場に2軒あったんですが、 こういう市場で2軒は成り立ちにくいというので、 鶏肉屋さんが1軒店をやめられて、 セルフのコーナーの面倒みることになりました。
これから1年間ほどの工事期間中、 その勉強をされるそうです。
ということで、 従来の市場とは業態を変えて再建する方向で、 グレード的には生協よりも少し高いものをめざして進めています。
小浦
何か舞田さんの方からないでしょうか。
舞田
商売をやめられる方を大別すると、 一つは営業上成り立たなくなるケース、 二つめは老齢化して体力がなくなるケース、 もう一つは後継ぎがいないといったケースです。
そんな中で専門的なことは商業コンサルに任せて、 基本的に三角マーケットの場合は特化した商売で、 徹底して専門店化をして、 そうしてもっと個性化を進めていこうと考えました。
そのためには根本的にお客さんの求めるものは何なのかという、 商売のやり方自体を勉強してもらいたいのです。
それから阪急市場のほうは立地的に普通なので、 市場の機能だけでは何か物足りない感じがします。
そこで何か特徴付けをする必要があると思った訳です。
あそこは駅前なので不便ではないのですが、 けれどもやはり駐車場をつくるなどして、 この際、 小さくとも何か地域が求める施設となるために、 自分たちが共同店舗方式をとって改善をしていきましょうということになりました。
頑張ってやろうという人だからやる気はあるのですが、 それを外から見ていくことの必要性をアドバイスしていくことが必要なのです。
大島
今の話しに関連して、 新甲南の経過の中で「7月上旬、 仮設店舗中元セット企画」というのをしました。
市場の共同事業としてチラシをつくったりはしていたのですが、 震災後仮設店舗もオープンして「新甲南も元気でやってるぞ」というのを訴えたいということと、 途中でへたってもらうと困るので、 売り上げを上げてもらいたいということでこういう企画をした訳です。
市場の人たちは今までこういったことを考えたことがなく、 個店ではあってもこれを組み合わせて中元のセットとして売る発想はなかったようです。
私たちはこれが本業ではありませんから遊びの部分としてこれを企画したのですが、 神戸の名産をセットにして神戸ブランドとして100セット売り出しました。
これも地元の消費者から買いたいという申し出がありまして、 結局250セット売れまして、 引き続き歳暮でもやりましたところ400セットほど売れました。
そういった私達から見ればたぶんやっているだろうと思っていたことを意外とやっていなかったわけです。
共同とはなんだろうと少し見方を変えてみたら、 いろいろ出てくるだろうと思います。
小浦
生活だと個々の生活スタイルを取り戻すことでいいかもしれませんが、 商売のほうはノウハウ的な部分がいろんな形、 組み合わせ方、 周りとのつきあい方等の総合的なところに関わってくるという印象を受けました。
大島
まさにソフトウェアとハードウェアの部分が両方ともうまくいかないと駄目ですね。
小浦
最初大島さんが組織にこだわって話してくださったのも、 単に物をつくる部分ではない、 物のつくり方や使い方の部分に関わってくるのかなと思います。
舞田さんの「市場型商業の再建と不足業種の補完」というのはそういったことをお考えになっているのかと思ったのですが。
舞田
私も高度化事業で共同店舗をつくる計画をしたことがありますが、 ああいう場合は共同でつくりましょう、 皆さん集まりなさいということで、 新しい土地で新しい組織を共同設立します。
しかし、 こういう前のものを再建する時は前の方がおられますから、 前の方が生活再建できることを優先します。
そうして抜けている業種に関しては補完していこうということです。
三角マーケットの場合も当然残っていく人の数は少なくなるので、 多少スペースにあまりがあります。
こういうように不足する分に何か補完していこうという動きはあるのです。
しかし、 残る人がまずどんな商売、 どんな商品でやっていくのか固まらないと、 何が不足するのかも決まりません。
現在はそれがぼちぼち固まりつつある状況です。
これから商業床のコンセプトを決めて、 不足分については付け足していく段階に入ります。
基本的には市場型商業の再建という狙いがありまして、 そのためには力強いリーダーが必要なんですが、 それがむずかしいのです。
昔はいたのですが、 後継者がなかなか見つからない状況です。
また市場ですから、 商店街も同じですが、 中に派閥がありまして、 何かいやらしい部分があって、 そういった点でもむずかしさがあります。
田端
商店街には古いしがらみがあって、 新しい人を入れるのはむずかしいとは思いますが、 不足業種として新しい「血」を入れるときに何か良い方法があれば教えて欲しいのですが。
舞田
やはり強烈にいかないと駄目ですね。
こっちがガンガンといってね。
やはりお互い同士だと言いにくいので、 我々コンサルが多少憎まれ役になってスパッと言わないと。
しかし温かい意味でね。
店に買い物に行くときに、 あの店に行ってみようかと思わせる目的性や動機付けを工夫してもらわないといけません。
その店に行ったらお金だけのエコノミーではなく、 何か知恵や情報を授けてくれる、 プラスアルファの部分を蓄えてもらわないといけません。
汗かいて知恵を出して働く商売の原点に戻ってもらわないと。
大島
外からの導入については、 実は新甲南も進んでいません。
事業として完全に担保できていないからです。
全員同意が基本ですから一人でも反対すると事業が止まります。
そのことがクリアできないと外に声もかけられませんし、 入っていただいた人に商売してもらえる状況にならないのです。
それがいつクリアできるかといいますと、 新甲南では全部譲渡方式で土地をいったん全部会社に移すのですが、 この段階にならないと担保できません。
法定事業ではないので、 先にテナントを入れるのはむずかしいのです。
同じような話で、 会社の株主を募集するときに、 どれだけ募集が集まるか分からなかったので、 プレミアをつけることにしました。
1株持っていただいた方に、 事業ができたら住宅を優先的に取得する権利を考えています、 と言っているんです。
計画もここまで進んできて、 株主の方に案内をする時期には来ているんですが、 まだ言えない、 まだ約束できないのです。
言うタイミングとしてはさきほど言ったように、 土地の権利が完全に事業主体に移転した段階で、 そこで対外的なことも責任もって言えることになります。
事業の仕組としてはこういう制約があるのですが、 考え方としては自分達だけでやるのではなくて、 知恵も含めて外からいろんな人に入ってもらいたいということがあります。
小浦
結局どんな立場で「血」を入れていくのかということなんですね。
そういう意味では、 外から入って一緒に考えていくコンサルもその一つかもしれません。
そういう専門家の役割もありますし、 田端さんのおっしゃったような実際に商売をするという立場で物を考えていくことから入っていく場合もありますし、 いろんな組み合せのなかで役割の分担とか入り方があるのだと思います。
舞田
阪急の場合も、 最初は直接権利をもっているお年寄りばかりが表に出てきていたのですが、 進んでいくうちについていけなくなる部分があって、 次の若い世代に若返りし始めていったことがあります。
「血」を入れ替えるといいますが、 外部の「血」を入れるより、 まず自分たちの「血」を入れ替えないといけないと思います。
新甲南の場合、 地域が相当やられている中で、 その計画では1階店舗面積が1400m2あり、 グロスでネット65%とみると、 900m2、 300坪ほど売り場面積があります。
しかし12店舗では負担力からすると、 当然考えられませんよね。
だからセルフ化する話しがあるんだと思うのですが……
つまり事業計画としてはまだ不安定だと思います。
私は今、 長田の御菅でやっているのですが、 商業の人と話をすると、 「じゃあいつ住宅どれだけが戻ってくるんだ」と質問されるのです。
「お店ができないと住宅も戻りませんよ」という掛け合いになってしまうのですが、 やはりそこはどっちが先ではなくて互いに関係すると思いますが、 そういう周りの復興の見込みと、 その規模をどれくらいにみているのかが重要になってきます。
住宅の復興は現在非常に遅れていると言われていますし、 従前の状態に戻ることはないだろうとも言われていますが、 そういう時にこの商業の規模は大きすぎないか。
普通はマーケットリサーチをして決定するのですが、 私はここならせいぜい500m2ぐらいだと思うんですよ。
そこで、 こういった危ない橋を渡っている訳ですが、 周りの復興や、 セルフに対する外からの導入という新しい商業の魅力について、 また旧甲南市場がありますが、 人口に対して市場が大きすぎないか、 その辺について何かお考えがありましたらお願いします。
大島
かなりむずかしいと思います。
どのくらいで周辺の消費人口が戻るかという質問に対しては、 正直言って分かりません。
5年経っても半分戻るかどうか、 くらいかもしれません。
ただいまは商店街もつぶれてしまって競合する店がない訳で、 人口も商業も減っている時は早く立ち上げたほうが勝ちだという言い方で引っ張っています。
生協は被害が少なかったので早くから営業を再開して、 だいぶ客が戻ってきているということもあるのですが、 甲南本通り商店街のほうはほとんどの店が再開していません。
ほんとうは全体の消費人口に関する話しをしなければいけないのでしょうが、 そこまではできていません。
新甲南市場が復興してもおそらく売り上げは減るだろうと言ってもいます。
その中でできるだけ早く復興することが大事だという言い方しかできていないのです。
しかしやはりどれだけの人が実際に戻ってくるのか分からないので、 我々も市場の人も将来については不安です。
それでもやらないといけない状況です。
北條
トータルな商業も元に戻らないと思うんですよね。
御菅のほうでも従前150〜160軒あったんですが、 震災直後にアンケートで戻る人を尋ねたところ、 7割100軒あったので、 そういう計画をつくって、 商業診断士さんに入ってもらって進めようとしたら、 集まって再建しようという人は25店になってたんです。
個別の再建を含めても100店の3分の1、 元々の市場からすると4分の1以下に減った訳です。
そうすると商業集積がもうつくれないことになり、 そうなるとあっさりやめてしまったほうが良いのかもしれない、 となってしまうのです。
あったからやるというのでは、 後で首をつらなあかんみたいな話にもなるでしょ。
大島
むずかしいですね。
今、 阪神大石駅前にあった大石市場のこともやっているのですが、 ここはもっと少ないんです。
新甲南市場のほうは全域が再建しようということになっていますが、 大石市場については駅に近いほうの3分の1ぐらいに再建しようという動きがあるだけです。
地主が中心の動きで、 等価交換事業ですが、 借地権者がいると地主の取り分が少なくなるから整理しているんです。
だから整理されているのが商売人なんです。
つまり再建した時に地主の権利変換で店舗ができるにしても、 商売人がいなくて営業ができないという状態になる可能性があるのです。
その時にどういう仕組で再建を考えるのかというのは、 これからのテーマです。
まったく市場をやめてしまって、 何か公益的な施設と住宅みたいなものとの組み合わせみたいな方向もあるのかもしれません。
元々あった商業集積が再建した時に、 元通りに戻らないケースが起こったときには、 街の全体のあり様との関係が問われるだろうと思いますが、 それはこれからもっと考えていこうと思います。
小浦
そうすると商業や市場と住居との組み合わせが変わっていくのが現実の状況なんですね。
商業とは集積の力とおっしゃってますが、 やはり集積のレベルと成り立つ商売との関係はあるんですか。
大島
あるでしょうね。
小浦
そうなると、 今まであったものがなくなって、 地域の利便性が変わっていく現象が起こっていると考えていいのでしょうか。
舞田
今回の震災で、 市内全体の建物で全半壊になったのが30.8%、 長田区では55%、 兵庫区で53.9%、 中央区49.8%、 東灘区49.3%です。
約半分の壊れた家の人たちがどうしたんだという話ですが、 実際神戸市の人口がどれだけ減ったかというと、 この比率ほどには減っていません。
どこかに住んでいるのです。
それからいろんなマンション再建の現場でデベロッパーの話を聞くと、 住宅立地としては中央区から東のいわゆる阪神間は需要が高いのです。
一時的に建物も減って人口もどこかへ散ってしまった状況ですが、 将来はやはりマンション化して、 阪神間は住み心地がいいんだということで必ず人口は戻ってくるし、 戻ってくる中で土地の有効利用ということで高度化して、 最終的にはふえるんじゃないかと思います。
ただ、 居住している人口に比例して今までの商売が成り立つかというと、 これからの商売のあり方と必ずしも一致しているとは思えないので、 むしろ環境等を含めて10年20年のスパンでの商業について考えていく必要があるように思います。
つまり、 量もさることながら、 やり方について見通しを立てていかなければならないという気がしています。
北條
そういう中で頑張っていこうという、 さきほどの12軒や3分の1の方々に着目していかないといけないと思うんです。
ではそういう人は属性で言ったらどういう人なんですかね? たとえば業種的に従前から固定客を掴んでいたとか、 商売のノウハウを蓄積しているとか、 やはりそういう人にはリーダーになってもらわないといけませんよね。
舞田
やはりやるという人は、 多少自分の商売に自信を持っている人です。
これしかできないいう人もいますけど。
私がやっている三宮でも、 これやったらお客さんをつかまえられるという自信を持った人がいます。
そういう人はやる気があって、 生き残る人です。
実際お客さんが住んでいませんし、 自分たちの家でも半分くらいは大阪にあって、 住民基本台帳だけは残っていると、 そんな実態だと思います。
では住宅がどんどんできたからといって戻ってくるかというと、 見通しは非常に暗いのではないかということです。
ところで、 商業というものは3年5年で改造していかないとつぶれますが、 その点は住宅だと何十年と価値がそう下がりませんから、 そういう意味で私は、 店舗が道路に面してあって、 その上に住んでいるという昔の町家みたいなのが何軒か集まって共同店舗をつくるような事例があるのかと期待していました。
おそらく市場というのは役割が終わった業態だと思います。
だから今度市場をやめてセルフにするといっていますが、 セルフ自体ももう終わっているんじゃないかと思います。
市場の上に住宅を積むのはいいと思いますが、 商業とひっついている必然性がないのではないかと感じています。
そういう市場の再建の時に、 市場、 セルフと考える必要はないのではないでしょうか。
市場ではない業態も含めて事業を考えられないでしょうか。
また市場の再建の時にセルフ化するとか、 もしくは市場の再建自体が(実際の事業としてはむずかしいかもしれませんが)別の業態も含めて考えられないのでしょうか。
大安亭ですが、 あそこも震災後一時はものすごく客がふえていたのに、 今は深刻な状態になっています。
三宮のプランタンにダイエーができて、 客が半分になったと聞きます。
隣りに大きなものがドンとできるとたちどころに客が減り、 そこで生き残っているのは本当に隣近所の、 歩いて何歩というお客さんを相手にしているところか、 逆に距離とは無関係に来てくれる店か、 どちらかしかないと思います。
そういうことからすると、 三宮のような都心型や三角マーケットのような業者相手のものを別にすると、 普通の商業としての市場というものを考える時に、 今日は最適の例ではないようですが、 他にも知ってらっしゃると思うので、 何かアドバイス等あったらいただきたいのですが。
舞田
長田とか兵庫とか西のほうでは、 住宅需要はあるが、 なかなか市場性の問題があって、 民間のデベロッパーはなじみません。
また、 公的な住宅にも限界があります。
そういったときには、 低層の面的な開発が必要となってきます。
西のほうは現在区画整理による網かけがあり、 事業計画が進行中で、 意見書の提出や仮換地が進んでおり、 上物の話はこれからだと思います。
だからそういった具体的な話はこれから出てくると思います。
商売は必要性があって成り立つという商売の原点を押さえて、 その必要性が何かということをちゃんと把握したうえで商売をしていかないと、 自分で勝手に「これはいける」といって店を始めたからといって成り立つような甘い話ではないと思います。
大島
物販の商売をされていた方が、 同じ商売は商売なんですが不動産のほうへ切り替えてしまうということがあります。
大石であったんですが、 切り替えても、 借地権を整理していって、 整理される相手が商売人ですから建物が建つと商売する人がいない。
地域から見れば駅前にいきなり住宅が建つよりは、 それなりの商業集積があったほうがいい、 という考えもあるでしょう。
そうすると従前からいた人びとは不動産経営をして、 それこそ外からテナントを入れる方式で、 そのテナントがどういう業種かといったことを決めるということが、 これからますますふえるんじゃないかという気がしています。
小浦
東部では等価交換という方式をとれる。
住宅を積んで売るというのが再建事業の成立条件になり、 再建のための負担を減らすことができる。
それが成立するという前提で、 東部では床がふえていき、 上が住宅で下が店舗というのができていくと思います。
吉野さんのお話は、 そうじゃなくて、 一つ一つの市場というものが、 店と住んでいる人という状態を復活させる実例が、 今舞田さんがおっしゃったように、 西部ならあるだろう。
床をふやして、 売って、 それを事業費にして等価交換するのではなく、 市場的な、 一つ一つが再建が共同していくような可能性があるんじゃないか、 というような意見だったと思ったんですが、 そうじゃないんですか?
吉野
いや、 そうじゃなくて、 私は元々市場が壊れたから再建するというのもあるだろうけれども、 再建しても市場自体は衰退していかざるを得ないと考えています。
むしろ商店街に並んでいる店の半分くらいが崩壊したので、 共同化して下が店舗、 上が住宅、 その上もまた等価交換で貸してもいいんじゃないかと思ってまして、 そういう事例がないかというふうにお聞きしたんです。
舞田
私も水道筋の辺りに話をしに行ったことがあるんですが、 なかなかむずかしいのは歯抜けみたいな壊れ方をしているので、 4、 5軒がやりたいと言っても真ん中の生き残っている店が自分で早く建替えたりしています。
したがって共同化して何かやりたいといってもなかなか足並みが揃わないのが現状です。
やっぱり商売人ですから、 少しでも早く商いをしないと生活できないわけで、 ましてや店員さんを抱えているとなるといつまでも閉めていられないわけです。
だからばらつきがひどくなり、 共同化するための時間もないのです。
待ってられないということです。
吉野
そう、 早いですね。
舞田
前に市場をやっていて、 壊れたからといってもう1回復興させて商売せないかんということは基本的にはないでしょう。
しかし、 やはりそこに根づいて生きてきた人たちが残って商売したいと言う以上、 その意思も尊重していかなければならないと思います。
まずそれありきでスタートしていますので、 なかなか更地でものを考えるのとは違い、 現実にはむずかしいと思います。
竣工してからの話になるかもしれませんが、 コーポラティブハウスのような動きといいますか、 建物ができた後で都市部の中で今まで個別に住んでいたものがやっと空間的な共同の場で生活をするようになって、 その後もワークショップのようなものが行なわれるとか、 新しい生活をより良くする、 お祭りをするとかいった話が進んでいる事例があったら教えてください。
舞田
私はやってませんが、 COMの高田さんのようなコーポラティブをやる人たちの、 たとえば芦屋なんかのおもしろい、 ちょっと付加価値のつくようなマンションでは、 今おっしゃったようにワークショップなどあるかもしれません。
ただ、 芦屋のことがなかなか見えてこないので、 いますぐにぴたっと当てはまる事例が浮かばないんですが。
調べたら、 あることはあると思います。
それとたとえばマンションでしたら、 建てる時にいつごろ壊すかなんてことはほとんど考えなかったんですが、 今度の震災ではいっぺんにどっと壊れてしまいました。
今回、 共同建物に住宅が一緒に入る場合、 どういう時期にどうするという、 将来的な計画について何か考えがあればお聞きしたいのですが。
大島
躯体自身は一緒なんですよね。
上下躯体も100年、 200年のオーダーで考えると、 いつかは壊さないといけませんが、 当座の話としては躯体については後の3世代が商売できるくらいはもつだろうということです。
それから商店の内装については3年あるいは5年くらいで改修されていくのだろうと思います。
そういう意味では住宅と商業のサイクルの違いについてあまりシビアに考えてはいないのです。
基本的に躯体や電気設備とかを除くとあまり共同部分はありませんが、 ただ外壁については問題になっていますけれども、 これは震災でクラックが入って大変だったからなんですが、 通常のリニューアルに関してはうまく処理できるだろうと思います。
舞田
本山では管理規約をつくってやっています。
しかし当初問題になったのは、 1階の平面駐車場がピロティの下にあって変な区分所有をしていたんですが、 特定の人の占有区になったので、 そのことをめぐって上の住人の方と1階の商店の方とのあいだでいろいろとゴタゴタがあったというものです。
これが尾を引いていて、 現在は管理規約で規定していたり、 技術的なことで、 メカニックなことやハードの問題で整理していきますから、 いわゆる修繕のこととか保守管理とかいった管理上のことはあまり問題になることはないと思います。
ただ、 昔の例でときどき特殊なことをやっていることがありまして、 中にはゴチャゴチャになっているところもあるようですが、 基本的にはそれほどないと思います。
再開発ビルでもよく複合化しますけれども、 当然音の問題だとか言い出したらきりがないのですが、 整理はできると思います。
大島
県にお願いしていることが一つありまして、 税金の話なんです。
建物が見えてきたり、 土地の交換をやったりすると税金はどうなんだという話があります。
等価交換でしたら1回売ってまた買い戻すときに、 住宅は現在ほとんど登録免許税も不動産取得税もかからないんですね。
しかし店舗についてはかかるんです。
これは等価交換の仕組というのが1回売った後にまた買い戻しますから、 新甲南のときでも売ったときには会社に税金がかかるわけです。
それを逃れる方法を今考えていまして、 会社が宅建業者になるという仕組でクリアしようと考えております。
皆さんが会社から買い戻すときの不動産取得税というのは払うことになるんですが、 これは県税ですから県のほうに震災復興で免除してくれるようにお願いしているところです。
たぶん他でも同じ問題が起こるでしょうから、 そういう声がいくつか上がれば免除していただけるんじゃないかということで、 今、 協議している窓口ではそういう方向で議論していただけるようになっています。
それが一つです。
もう一つは、 受け皿の問題です。
神戸市の住宅供給公社と県の住宅供給公社があるのですが、 当初あまり違いが明確ではなかったんですが、 最近は住み分けをしていているようです。
県の公社が神戸市以外の問題に忙しく、 神戸市内の物件に関しては神戸市の公社にふっているんですが、 うまくないところがあるのです。
それは、 同じ制度でも県の公社では使えるのに市の公社では使えないというのがずいぶんあることです。
県の公社の相談に行ったら神戸市内のことだから市の公社に行ってくれと言われて、 市の公社に行ったらその制度が実はなかった、 といったことがありました。
また、 県の公社は事業代行方式でやっていて、 地元がマンションを再建したいというときに、 県の公社が事業主になってやる方法をとっているのですが、 この方法が市の公社ではできないのです。
我々がこれをやってくれと言うとできないと言われてしまいます。
つまり、 住み分けするのなら同じメニューがあってしかるべきなんですが、 どうもそのようにはなっていないというところがあって、 うまくいっていません。
舞田
私も税金のことなんですが、 市場が解体した中でもう1回再営業、 再建したい人が、 いろんな事情で止むを得ず廃業せざるを得ないという状況があります。
廃業にともなって組合から脱退し、 その時に組合権利相当分を補償金としてもらうわけですが、 再開発事業の時は、 老齢であるとか零細であるといった一定の条件があり、 止むを得ない場合は一定額まで特例で非課税扱いになります。
商売をやりたくてもいろんな事情でできないのです。
したがって止むを得ず商売をやめることになって、 それにともなって事業組合資産を評価して分配するにしても、 1人当たりの額はたいしたものにはなりません。
それでも課税されているのです。
それを生活再建資金に充てようとしているので、 減免、 軽減措置があれば非常に助かるという訳です。
大島
結構大きいのが登録免許税で、 これは国税なのでどうにもならないと言われるのですが、 等価交換事業の時には1回売ってまた買い戻すので、 両方で税金がかかってくるのです。
これが新甲南でも数千万円のオーダーでかかってくるので、 事業費をかなり圧迫しています。
行政のほうにも言っているのですがなんともならない状態です。
県の公社なんかが間にかむとその部分は非課税ですが、 民間デベロッパーがかむとかなり変わってきます。
住宅は震災特例で非課税になっていますが。
北條
ついでに消費税も抜いてはどうでしょうか。
来年から5%に上がるんですが、 そうすると震災の減免措置なんだから消費税分の5マイナス3で2%戻すとか、 再建事業にともなう工事費分などかなり大きいはずです。
大島
いや、 変わっています。
上がっています。
北條
そうしたら坪50万円くらいで、 最初は勢いというか社会正義みたいなのがあってそういう数字を出して、 後で上がってもしょうがないと思いますが、 今現在はどれくらいいってるんですか。
大島
1坪60万円です。
北條
そうですか。
それでも総事業費は変わらないんですか? 権利者の負担は変わらないんですか?
大島
そうです。
というのも一つは補助金がふえたということと、 この時はかなりシビアに税金を安全側に入れていたのでこうなりました。
北條
それが正解でしたね。
そこがなんでもないように見えて、 地権者にとっては大変プラスになりましたね。
そこでですが、 安全側に見たとか、 坪単価のことなどの見通しはどのように設定したんですか? ヒアリングなどをしたんですか?
大島
経験を取り入れただけです。
この資金計画に基づいて、 最低の権利を持つ人でも1戸住宅を取得できるという最低レベルの権利変換の条件でやりましょうということだったので、 これを変更するのはある意味では大変なことで、 トータルではできるだけこの範囲でやろうということにしました。
補助金について少しシビアに見ていたことと、 神戸市の公社に売る値段についてもシビアに見ていたのでなんとか計画上でも成り立っています。
ただ先に言いましたように、 工事発注するのに1年半以上かかり、 そこでどんな費用が出てくるのか分からないですし、 実は不動産取得税なんかも事業の中で会社にかかるものは事業費として見ているんですが、 これをもしゼロにすれば、 その分予備費が出てきます。
そういう中でなんとかやりくりを行ない、 その事業費でこれまで収まってますし、 これからも収まるだろうと思います。
前回と今回、 2回にわたって環境における共同の意味を考えてみようということで、 1回目は住宅再建のさまざまなケースをとおして議論をしました。
そして今日は商業施設、 市場や商店街といったものがその再建を進めていく中でどういう共同の意味があるのかを具体的な事例をとおして議論できたと思います。
とらえる視点はさまざまだと思いますので、 十分な議論になったかどうか分かりませんが、 私自身は今回の議論で、 商業施設あるいは市場というものは単にものを一緒につくる、 一緒に売るというだけでない部分がたくさんあることが見えてきたと思います。
それはつくり方として一緒にやるという部分もあれば、 集積して商売をやっていくことの重要性があり、 一緒にやっていかざるを得ないという意味での共同というか、 人が単に個々に住むという住戸の単位とは違った意味での、 一つ一つの店のつくり方、 集まり方があることがよく分かりました。
そういったものが地域住民である消費者との相互関係の中で成立するんだという、 地域との関わりの重要性も認識できたのではないかと思います。
また、 一つ感じたのは、 個々の利益、 要求を集めて一つのものをつくっていく中で、 個から始まった全体と、 全体が成り立つがゆえに個々の店や生活が成り立つという相互関係がむずかしくて、 互いの欲が出たりする中での調整が共同の一つのプロセスなんだと思いました。
前回もありましたけれど、 既存不適格の事例がいくつか出てましたけれども、 そういったものの緩和措置は個の再建、 一つ一つの生活が生き返るために重要だと思うのですが、 地域の中でどういう意味を持ってくるのかと考えますと、 単に緩和して元に戻ればいいということではなくて、 どういった環境としてお互いに共存が可能なのかということが、 生活していく中で重要なんじゃないかと思います。
とくに商売をする視点からだとよく見えてきました。
一つ一つは非常に特殊解であり個別的な事例ではありますが、 それぞれを支援、 協力していく我々専門家としての意味が何か一つでも見つけられれば、 一つのセミナーとして何かできたんじゃないかと思います。
どこまで共同ということを考える際のきっかけになったかはそれぞれですが、 具体的な事例をとおして具体的に考えられたことが一つの大きなきっかけになったかと思います。
今日は本当にお忙しいなか、 どうもありがとうございました。