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いきなり建築空間の中に自然を取り入れるなんて言ったって、 さっぱり訳の分からない話になってしまうわけです。
写真01はグリーンランドの上空からたまたま撮影できた写真です。
川の蛇行している姿を少し注目したわけです。
川は、 水が高いところから低いところに流れる中で、 水自身が回転しながら流れ、 軟らかいところをうがちながら流れていく。
その結果、 有機的で非常に美しい自然の姿を作っています。
例えば、 写真02は毎年冬になると氷が張り、 春、 夏あたりになると氷が溶け流れ出していく。
自然には常に四季の変化があるわけですが、 それと同時に、 今年と来年と、 その次の年と、 毎年違うわけです。
自然は限りなく変化する存在なんだということが言えるわけです。
溶岩が流れ出しているハワイ島では海との境界あたりに、 美しいカーブを描きながら水際の陸と海のような出会いがあるわけです。
こういう真っ黒な溶岩も500年、 1,000年というオーダーで捉えると、 この上に土が覆いかぶさり、 緑が覆い繁り、 というふうに自然は自己を組織化する力を持っています。
自分で自分を作っていきます。
これは、 進化しているのかどうか分かりませんが、 とにかく時間とともに変化していきます。
例えば、 人間が山を削って傷つけましても、 500年、 1,000年経てば、 また2,000年経てばそこはまた緑の山に戻ってくる。
常に変化しながら、 1つの方向へ流れていく、 動いていく、 変化していく、 それが自然だと思います。
最近、 近代建築が非常に画一的であるとか均質であるとか、 そういう固定的なイメージがあります。
それに対して、 近代以前の人工的環境は個別的な要素が集合して多様な環境を作っていった、 その持っている本質的な部分は、 自然と全く一緒のメカニズムを持っていたのではないか、 というふうに感じています。
写真03は棚田の風景なのですが、 たまたま場所によって斜面の角度が違うわけです。
違う角度のところに等高線に沿って水田を作っていけば、 結果的に美しい畦道が生まれてくる。
これは、 お百姓さんが美しい水田を作ろうと思ったわけでもなんでもなくて、 ごく自然の営み中にこういうものが生まれてくるわけです。
トルコのオアシスの中にできた集落を見ますと、 周辺にある日干し煉瓦を使って住宅を作っています(写真04)。
周辺から水が集まりオアシスをつくっている谷筋にできてるわけですが、 例えば人が住まなくなってそのまま放置しておけば、 またもとの自然に返っていくというような、 自然の生態系の中に組み込まれた住環境であるわけです。
砂漠でベドウィンが放牧しながら生活している姿を見ても同様です。
写真05のパオは動物の皮をなめしてテントを作り、 この地域の環境の中で一番快適に生活できる環境を作りながら生活しています。
自然に抱かれながら生活しています。
例えば、 どういう生業かと言いますと、 地面に生えている草とも言えないような植物を動物がはみ、 そこからミルクなどを得て、 そのミルクからバターですとかチーズですとかいろいろなものを人間は得ることができるわけです。
また、 それによって人間は生きていけるという、 まさに食のサイクルが、 自然の生活の中にある、 こういうことが読みとれるわけです。
写真06は、 天山山脈のふもとのトルファンという街の住宅です。
非常に暑いところで、 夏は40度くらい、 冬は−35度と、 75度から80度ぐらいの温度差があるところなのですが、 こういうところで日干し煉瓦の住宅を作れば、 暑くて住めないわけです。
その上にブドウの葉が覆い繁って、 夏になると断熱材の役割をするというように、 非常にうまく住むすべを心得て生活している、 そういう姿があるわけです。