ベルサイユ宮殿がその例です。
中心的な軸線に直行するいくつかの軸を作って、 その末端部分に森の中であってもアイストップを作ることによって、 森の奥のほうの風景が認識できるような、 そういう空間の構造で庭を作っているわけです(写真07)。
写真08はちょうど、 宮殿のバルコニーから見た風景なのですが、 斜面の焦点と、 フラットな部分の焦点と、 焦点が2つあるということで、 よく引き合いに出される風景です。
この風景には、 非常に明快な考え方があるわけです。
この庭を、 直線的であるとか、 強圧的であるとか、 一元的であるとか、 いろいろな言い方がされますが、 いわゆる人間の英知によって構成された幾何学的な庭のあり方でです。
ただ、 ベルサイユ宮殿ではアイストップとなるところにはあまり人工物はありません。
例えばポツダムのサンスーシの宮殿には、 アイストップとして必ず建築物が建てられ、 自然の中に人工物を配置することによって、 その空間の奥行きを認識することができ、 そこから森の中で安心感を得ています。
写真09は、 先ほどの庭の一部なのですが、 確かにここにも風景はあります。
ありますが、 先ほどのバルコニーから見た一点に収斂される風景のエレメントにしかすぎません。
自然を切り刻んでいるわけです。
実際は、 緑が育っていって、 この切り刻んだ姿がずっと永久に同じであることはあり得ないことだと思いますが、 意識としては作ったものが静止画像のように固定する、 そういう考え方をこの中に読みとることができます。
どの部分をとらえても、 庭全体を構成する要素ですが、 これ自体が完結する一つの風景ではなく、 どこまで行っても部分でしかないと言えます。
西芳寺は、 下の平面の庭と山の斜面に作られました枯山水の庭と、 大きく2つのゾーンに分かれているわけです。
平面の庭には心字池があって、 朝日ヶ島、 夕日ヶ島という2つの島を挟んでその周辺に池があります。
それから、 向上閣からずっと上に上がっていくと枯山水の庭の中心部があり、 そこから南に向かって下りてきます。
先ほどのベルサイユはバルコニーに立つと全てが見えましたが、 西芳寺では全体を一望できず、 入り口しか見えない(写真10)。
そして、 少し進むと、 やがてぼやっと池が見えてくる。
どんどん進んでいく。
次に、 また四阿(あずまや)が見えてくる(写真12)。
ひとしきり、 池を眺めて歩いていきますと、 暗い鬱蒼とした何となくおどろおどろろしい空間を正面に見ながら進んでいくことになります(写真13)。
このように、 先ほどの一点に収斂された一元的な庭に対して、 多中心的、 多元的と言いますか、 そういう庭の空間構造が西芳寺にはあるわけです。 ということは、 人間が一歩一歩、 歩いていくその変化の中に、 各々の場所に自己完結した風景があり、 それがずっと連続している。 ですから、 部分でもあり、 それが全てでもある、 という言い方ができるわけです。
これらの緑1本1本にしましても、 例えば西芳寺が作られた時と、 今が同じ姿ではないわけです。 緑はどんどん育っています。 場合によれば、 樹種も変わっているかも分かりません。 そうして、 時事刻々変わる気候的な、 また周囲のいろいろな条件の変化に対して、 見えてくる姿が常に違うわけです。 例えば、 光がさっと差し込んでくる、 雲がでる、 さっと暗くなる、 そうしてまた風が吹く、 そうすると光と影がチラチラ動く。 そうして静かな庭の中を歩いていると、 例えば、 鹿おどしにたまった水が、 さっと流れてキーンというような音が空間の中をつんざくというような、 そういう音の要素も加えられている。
限りなく多中心的な空間がたくさん集まって庭を構成しています。 この美意識の違いは、 非常に明らかだろうと私は思っております。
少し進んでいくと左の方にちらっと向上閣が見えてきます。
この門をくぐると、 今度は裏山に登って行きます。
そして、 ずっと歩いていって、 何となく冗長な空間だなあと思いかけた頃に、 なんでもないところにパッと岩組がある(写真14)。 そこでは光と影の関係が、 静かな中にドラスティックに変化する風景が展開されている。 というようにすごく様子が変わるわけです。
このようにベルサイユと西芳寺の美意識は違うと私は理解しています。
軸線を大事にし、 人間がいろいろなことを考えながら構築していく空間のあり方、 その伝統をパリの都市軸の中に次は読んでみたいと思います。
そのスタートが、 ルーブル美術館の中庭です。 地上つくられたピラミッドと逆さまに空間の中にぶら下がっている空間です。
このピラミッドも、 例えばエジプトのピラミッドに始まるヨーロッパ文化の流れをここに、 IMペイが表現したのではないかと思ったりもします。
少し先へ話を進めて、 中央にオベリスクが建っているのですが、 このオベリスクはエジプトからプレゼントされて持ってきたものですが、 ルーブル美術館の中には何万個あるのかわかりませんが、 おびただしい数のエジプトの壷等があって、 どの部屋へ行ってもエジプトの壷ばかりでいやになった記憶があります。 あれはたぶん盗んできたものだろうと思うのですが、 そういう収奪品の収蔵庫のような美術館なのです。
余談はともかくとしまして、 そういうエジプト文化からの流れを持つ、 精神的な要素を表現されたものだと考えています。 形態的には先ほどのまっすぐに伸びていく軸線があります。 軸線の中程のチュイルリー公園の中にもオベリスクがあって、 その西に凱旋門が見えて、 その向こうはデファンスが見える、 こういう風景があります。
最近、 幕張などでも言われていますが、 例えば都市型の住宅は囲み型であるとか、 沿道街並み形成型がふさわしいとか、 パリの19世紀の街の姿を再現、 再構成したんだとか、 いろいろな言い方がされています。 パリの街というのは確かに囲み型の住宅があるのですが、 囲み型の住宅だけで街ができているわけではなくて、 ベーシックな街のエレメントとして囲み型のクラスターはありますが、 中心部にはっきりとした軸線を持った景観インフラがあります。
例えば、 この新凱旋門は少し軸線から左に偏っているのですが、 これはルーブル美術館の中庭の角度と同じ角度で偏っているのだとか、 いろいろな物語がこの都市軸の中にあります。 新凱旋門の開口の大きさは、 ノートルダム寺院がすっぽり入る大きさなんだとか、 目に見える視覚的な要素と、 心に感じるとでも言いますか、 そういう2つの要素をそこに重ねながら、 明快に都市軸を作っていくのです。
こういうパリの中心の都市軸に対して、 郊外に30キロぐらいでたところにセルジポントワースという、 ニュータウンができています。 その街を計画する時に、 ただ単純に30キロぐらい郊外にできたニュータウンというだけではなくて、 色々なことが考えられています。
例えば、 写真15のようなオベリスクがありますが、 ここから逆に下の方に下りていくとパリの方へ軸線が交差しているわけです。
パリへの軸線の延長線上に先ほどのデファンスがぼやーと見えるんですが、 つながっているのです(写真16)。 郊外に街を作る時にも、 価値化されている今ある環境と関係性を図っていく、 結んでいくことによって、 こちらのニュータウンの価値を高めていく、 というようなこともやっているわけです。 そのあたりが非常に理屈っぽいというか、 さすがというか、 なるほどというか、 そういう感じがするわけです。
パリに見る軸性
パリの都市軸の中心部分には、 ルーブル美術館があり、 チュイルリー公園、 コンコルド広場があり、 エリゼー宮の前の森があって、 シャンゼリゼ通りを通りエトワール広場へと続き、 そして、 デファンスを経てさらにその外側につながっていくという軸線があります。
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