そして、 各々の計画される場所や条件と合わせて計画を進めてゆきます。
農業公園の施設部分の模型なのですが、 広場を3つ作ります。
そこで2つの実験をしました。
建築を作りながら、 左の上の方は、 ちょうど蒲鉾の板の形のようにプロポーションの同じ空間を6本つないで、 少しずつ軸をずらしながらトンネルを構成しています。
その下に、 全くそういうルールも幾何学的な美しさも度外視した空間を作ってみたのです。
これは現場で大変苦労しました。
写真46は細川知事が“万博の時に使ったフォーリーを熊本に移設できないだろうか”と言っておられるということを県の方から聞きました。
そこで、 じゃあゲートの鉄骨を持ってきましょうということで、 私の設計した西ゲートの鉄骨のフレームを無料でいただいて、 そのまま入口のゲートとしてもう一度使ったものです。
埋める前の姿は写真47のようになっています。
外から公園にはいるところで一度結界を設けよう、 というようなことで作りました。
そして、 トンネルのある部分にトップライトから光が落ちてくる空間を用意します。
写真48は、 ちょうど、 先ほどのトンネルがぐるっと回ってきたところで、 少し斜面がだらだらと下っているところです。
まさにこれは棚田に学び、 そういうイメージでデザインしています。
この次に、 回廊で囲まれた庭があります。
写真50は、 ルーズな空間が連続していく庭です。
写真51は、 先ほど言っていたトンネルなのですが、 同じ形をしたものを繰り返し繰り返し使っていますので、 リズムがはっきりと読みとれます。 例えば、 照明器具の軸がこのボールトを象徴しているわけですが、 ちょうどその交点のところに円柱をたてまして、 そこにトップライトが落ちてくる。 同じ風景が繰り返してくる。 繰り返しの美というものがあるんだと思いますが、 それじゃ何回繰り返せばいいのかということになる。 それは空間の持っている力と、 その関係によって選択していくわけですが、 例えば延々とこんなルートが300mも400mも続きますとどうしょうもなくなってくるわけです。
それに対して、 先ほど申しましたように全く自由に作ったといえば聞こえはいいのですが、 悪くいうと何の秩序を構成するルールもなく、 自分の感性のおもむくままにこだわらず自然に淡々と作ったものです。 この2つの空間を比較してみた時に、 正味自分自身は、 どちらが心地いいのか、 どちらが納得するか、 というふうに考えてみたのです。
照明器具をカーブさせて空間の質と異なった要素が入ってしまいましたが(写真52)、 これが後で非常に悔やまれたわけです。 自由に作られた空間には価値がないんだ、 というふうにずいぶん長く呪縛されていたわけですが、 実際に空間を作ってみると、 そうではなくて、 集落が持っている空間の構造だとか、 さきほどの西芳寺でお話ししましたように、 自然のリズムの中にうまくとけ込んでいけるような空間というのは、 もしかするとこういうようなものなのではないのか、 というふうに思ったわけです。
ここでは、 空間の細かい組み立てについて申し上げませんが、 次に塔の計画の説明をします(写真53)。
敷地の周辺1kmぐらいをずっと土塁で囲んで、 その中に塔を作ったわけです。
ここで、 私自身の空間構成の手法について少しお話ししたいと思います。 一言で言いますと、 建築の空間と言いますのは、 絵画や彫刻と違って一見しただけで全てを認識するというわけに行かないんです。 それは、 音楽とよく似ているとよくいわれます。 例えば、 時間の経過とともにそれを理解していく、 了解していく、 そうして全てが終わった時に、 その空間を理解できる。 その空間の中に時間的要素が加わっているわけです。
中央の2つのシャフトの中の、 実は向こう側のシャフトの反対側に入り口があって、 そのシャフトの中を通って、 右と左の階段を通って、 2枚の壁の間を抜けて左の階段を上るルートと、 なお奥に入って四角形の空間の中を通って右に抜けて、 上の展望台に上っていく。 さらにそこから上に上って、 ここまであがってくる。 5、 6階建てぐらいの建物を、 エレベーターなしに、 どういうふうにすればみんな楽しく上ってくれるか、 同じ階段をぐるぐる回って上っていくなんてのは、 それはそれで必要があれば上りますが、 どうしても必要性がなければ人は寄りつかない。 上に登ればなにかありそうだ、 あそこに上ってみたい、 上るプロセスの中でそういうものを感じてもらえる、 そういうふうに空間を構成すれば、 人々は楽しみながら登る、 その結果、 こういうふうに人が集まってくれる。 それが、 建築が持っている力だろうと思います。
それを、 いろいろな要素に分けることができるんですが、 例えば、 光と影でとらえてみますと、 ピンクで塗っているところは直射日光が射し込むところ、 黄色いところは明るいところ、 エメラルドグリーンのところは少し暗いところ、 それから本当に暗いところに塗り分けてみました(写真54)。 例えばここから上って、 お堂のような空間の中を通って、 外に上っていく。 そうして、 ここに上ってきて、 ずっとこの中を通って外にでるルートと、 こちらから上るルート、 それをずっと流しますから見てください)。
それと、 例えば空間の広がりで言いますと、 両方壁に囲まれていて広くて天井が高い空間から、 両面が開放されてる空間とか、 片方が壁の空間でそして広がりがあって上が非常に高く抜けてる空間だとか、 そういういろいろな要素が複合することによって、 空間が作られているんです。
中に入っていった部分です(写真56)。
これは、 上を見上げたもの(写真57)。
右と左の外階段を回ってあがるところです。
上がると、 今度は2枚の壁の間を上っていきます(写真59)。
逆に見返ります(写真60)。
2つ階段があるんですが、 奥の真っ正面にもう1つのシリンダーがあって、 その中に入ります。
もう1つの階段(写真61)。
それを上ります。
ちょうど上に上ったところです(写真63)。
これからまた、 上に上っていくのです(写真64)。
一言で言いますと、 空間の連続性と変化ということがそこにあるわけです。 集合住宅を考えていく中で、 集合住宅のいうならば生活の側面から集合住宅を考えるという1つの方法と、 もう1つは、 純粋に建築空間的にとらえていく、 その2つがうまく重ならないといけない。 それを一般的には、 一方は社会派だと言い、 一方は建築的であると両方で非難しあっても全然始まらないわけで、 そういうことではなくて、 その2つが見事に融合してはじめて集合住宅というのは作られるのだろうと、 私自身は思っています。
写真65は、 上から下を見おろしたものです。
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