今日のテーマは“集合住宅が目指すもの”というテーマで非常にいいテーマだったな、 というふうに思います。
ようするに、 集合住宅の目指すものは何ぞや、 というものをみなさんが読まれて、 なんや集合住宅の話か、 と思っていらしたかなと思うのですが、 実は集合住宅の目指すものはああいう話なのです。
(笑い)
どなたにお話ししてもらおうかという話になった時に、 遠藤さんということをぼくは言っていたのですが、 一般的にまた遠藤さんかとか、 あの説明をまた聞くのとか、 というような感じをもたれる方が現実に結構いらっしゃるんです。
いやちゃうよ、 とぼくは言ったんだけれども。
たぶん、 今日は学生さんとか若い方も来られてるけれども、 既にできたもので、 見られたものの作品解説ではない、 遠藤さんのお話が今日は聞けたんではないかと思います。
遠藤さんの作品というのは、 昔やられたものからずっと順番に並べてみますと、 今日お話になられたようなことが、 非常に連続的に展開されているのがよく分かって、 それが非常におもしろいと言いますか、 建築家の中にもいろいろな人がいるけれども、 そういう意味では分かりやすい建築家ではないかと思っております。
今日の話は、 特にぼく自身の興味の対象に解釈を無理やりさせていただくと、 いつも同じことを言っていて申し訳ないんですが、 今日の話は空間の計画論なのです。
しつこいくらいに同じことばっかり言っていて申し訳ないのですが、 やっぱり空間の構造をどうデザインするかという話なのです。
例えば、 昔は集合住宅というのは、 ある程度密集して住むために、 積層して住まないといけないという状況の中で、 どちらかというと住宅が立体的に集まってアパートみたいな感じになって、 集合化してきました。 その時集まってやられるものはいったいなんだろうかということで、 例えば共同のダイニングであったり、 共同の洗濯室であったりとかいうようなタイプの、 一種のコミュニティ施設というか、 そういう形で集まって住むメリットを求めるような形態がありました。 だんだんそれが、 コミュニティのわずらわしさみたいなところから、 最近のは、 なんでもかんでも自分の家に備えるようになってきました。
それがただ単に効率とか密度とかというような形で集まって住むという形になってきて、 どうもそれだけじゃあ何かがつまらないねということになってきました。 でも、 自分たちが住んでいる空間、 自分たちが楽しんでる空間は、 部屋の中だけじゃあないだろうということになって、 我々のように都市環境デザインということを議論しようということになっているわけです。
今日の話もそうだと思うのですけれども、 集合して住むということが、 自分たちが住む全体の社会の空間の中で一体どういう意味を持っているのか、 あるいは生活ということもあるけれども、 どういうトータルな空間づくりに貢献できるのかという話なわけです。
集合住宅をやっている建築家の人たちは多いけれども、 なかなかそういう話にならないわけでですが、 今日の遠藤さんの話はそういう話になっていたんではないかと思います。 例えば、 中庄団地で丹田さんがおやりになったところとか、 阿部さんがおやりになったところとか、 このあいだも少し議論していたのですが、 容積率で見ると結構低くて、 例えば300とか400とかの話ではなくて、 遠藤さんがおやりになってるところでも200とか300詰まっているような話ではないと思います。 例えば駐車場のところを六甲アイランドのように地下に埋めてしまうと、 結構150ぐらいにはなっているんでしょうね、 そんな密度感なんだと思います。
逆に密度だけの話を言うと、 戸建て住宅あるいはタウンハウスのようなものの解き方もあるわけなのです。 だけど、 集合して住むことによってなにが一体実現できているのか、 そのことが我々の生活空間にとって、 あるいは街にとって一体どういう意味があるのか、 というような視点で少し考えてみることもなにか新しい、 目指すものが見えてくる1つのヒントではないかと、 私自身は常日頃思っています。
特に、 今日の話の中で、 空間の構造をどう連続させるかというような話が主体になっていたのではないかと思うのですが、 幕張をやっている曽根さんの話では、 昔の日本の団地というのは、 ユートピアを作るというか、 そこだけ非常に優れた環境を作るというような発想に基づいてたのじゃないかというわけです。
内に対しては、 ある種の開かれた感じがあるような感じがするのだけれども、 街全体を見ると非常に閉じているものであったと。
今日も遠藤さんがおっしゃっていましたけれども、 従前に作られた団地と、 配置の構造とか、 空間の構造とかがどうも連続していない。 ある同じ仲間だけ集まっているような集まり方で、 周りとの感じでいうと、 開かれた感じがない。 それを開いた感じ、 開いた街にするのに、 幕張のような街路型の集合住宅の形態をとる。 パリとかそういう例を出されて、 そういう試みをしているのだというわけです。 だから逆に言うと、 敷地の中に対しては閉じているけれども街に対しては開いているのだと、 という話なのです。
ところが、 幕張のような手法と今日の中庄のような手法と比べてみると、 次に議論しなければいけないことがあると思います。 最終的に渾然一体となるような空間、 渾然一体となるのだけれども極めて多様な空間というのは、 配置図で見るだけでなくて立体的に認知できるボイドスペースというか、 空間のなにもないマスのスペースというか、 そういうものも含めた起伏のある空間の連続性というか、 そういうものに建築がどういうふうに貢献していくのか、 そういうものを作り出していくのに貢献していけるのかということじゃないかと思います。
でも、 今日の話はそういうことではないのです。 だけれども周辺と馴染ませるという話なのであって、 そこのところがたぶん非常に重要なのではないだろうかと思います。 対応とか応答の関係を空間を媒体にして解いていくというか、 その発想は結構これは新しいとかということかも分かりませんが、 僕たちが目指すべき1つの視点ではないかと思うわけです。
例えば、 みんなでなにか街を作っていったり、 あるいは大規模なものをある1つのイメージで作っていく時に、 最近では景観ガイドラインとか景観指針とかいうものを作ります。 その時に、 どうしても形の議論になっちゃうんです。 頭をこういうふうにしようとか、 こういう材料を共通して使おうとか、 私はどうもそういうのじゃないところに、 なにかまたもうちょっと気持ちの良い空間ができる、 多様であって気持ちの良い空間ができるポイントがあるんじゃないかと思っています。
そのポイントは、 空間の連続性というか、 応答性というか、 その時の空間というのは、 ただ単に見えるボリュームとしての空間だけではなくて、 風とか光とか雨とかという自然であったり、 社会の条件であったり、 経済の条件であったり、 そういうものが複層した意味での対応との関係にあるわけですけれでも、 景観指針を作るような仕事の中で、 形を決めたり、 ここに広場をつくれとかそういうような話ではないと思います。
今日の遠藤さんの話の中で、 ぼく自身がこだわるべき視点として、 ぼくはこのように思ったというので言うと、 周りとの応答関係をどういうふうにとったというか、 応答関係の視点というか要素というか、 そういうようなものを共通の認識とする、 共有できるものにする、 そういうものがある意味で言うとガイドラインになっていったり、 景観指針になっていったりすればいいのじゃないかと思うのですけれども、 そのあたりについて遠藤さんから1つコメントをいただきたい。
これまで我々のセミナーは、 復興関係の話を数回続けてきたわけですが、 遠藤さんは東部副都心のような新しい市街地づくりのところでやっていらっしゃいますが、 既成市街地の中の密集地とか、 そういうものをこれから復興していく、 これはもう震災復興に限らず日本が抱えている大きな課題だとは思いますが、 そういうところでの解き方というを少しご披露していただければ、 と思います。
集合住宅は環境に貢献できるか
うまく言えないのですが、 集合住宅はどういう貢献ができるのかという意味で、 集合住宅の目指すものという話につながっていくんじゃないかと思います。周辺と馴染むとは
もう1つ、 周辺と馴染ませるという話の中に、 従来ですと形を似せるとか、 色を似せるとか、 素材をあわせるとか、 そういう話で、 新しいものは周辺に馴染んでいった方がいいんだ、 こういう話が結構ありました。密集市街地で
もう1つは、 ちょっと長くなっちゃいますけども、 今日の話の中で密集市街地のようなところでの話はなかったわけですけれども、 基本的には同じことだとは思います。
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