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遠藤剛生氏から

その場所らしさを考える

 今日お話しした中に重要なポイントが2つありまして、 1つは場所性の話です。

建築を場所との関係でどう作っていくのかです。

2つ目には生活の問題です。

この2つの問題を、 私は都市の連続性と生活の連続性として捉えようと考えており、 その連続性も歴史的な縦軸の連続性と、 横軸の今目の前にある都市空間の広がりの中でフィジカルな連続性を考えています。

   

 まず最初の場所性の問題とは、 都市空間と建築空間の問題であり、 空間の構造の問題です。

この空間の構造は社会性を持った都市の連続性の問題です。

それともう一つは先ほど光や影を例に引きましたが、 都市空間と建築空間が生活者に与える精神性に関わる問題であります。

精神性の問題は、 建築空間の独自性や場所の力と深く関わりますが、 これら2つの問題を同時に解くことが建築家の仕事だと思っています。

   

 具体的に、 私自身過去24、 5年間ずっとやってきたことを少しお話ししますと、 1つ1つの配置や空間構造、 密度や形態等が皆違うわけですが、 なんで違うかと言いますと、 場所との関係でいつも答えを解いていっています。

ですから、 先ほどの中庄団地、 これは倉敷なのですが、 中庄団地で考える集合住宅と、 弁天町で考える集合住宅と全然答えが違うわけです。

なんでそんなに違うのかというと、 一言でいえば、 場所が違うから違うのです。

場所が違うことによって、 条件設定が変わり、 周辺の空間構造と街づくり要素が違う。

だからそこから生まれてくる答えも当然変わってきます。

   

 例えばよく京都らしさだとか奈良らしさだとか大阪らしさだとか、 いろいろなレポートを見るとそんなことが書いてあります。

確かに見方として東洋らしさ、 日本らしさ、 大阪らしさ、 豊中らしさ、 具体的な土地の場所らしさ等、 いろいろな段階で各々あります。

でも、 実際にものを作る段階で、 大阪らしいものをつくれといわれて、 なるほど作ってつくれなくはないのですが、 私自身の手法で言いますと、 その場所を見てその場所になにがふさわしいか、 どんな街づくり資源があるか、 その資源の中のなにを活用するか、 そこを読んでいるんです。

   

 ですから弁天町ですと、 例えば向かいにユニバーサルスタジオが見えるとか、 夕日の沈む方向を見たら弁天大橋があるとか、 部屋の中から夕日を見て楽しむとか、 そこの場所にある活用できるもの、 その場所その場所でのありようを読んでいます。

倉敷に行きますと周辺の例えば農村集落もあれば、 建て売り住宅もあり、 里山もあり、 その中でそういう資源をどう活用していくのかです。

   

 すなわち周辺の環境から空間のスケールに学び、 空間の多様さに学び、 時代的連続性に学び、 そこから自分の計画する空間の果たすべき役割とその構造を見つけだす、 そして次の段階で初めて、 例えば壁の色1つをとっても丹田さんは実にうまくおやりになって、 2期でも阿部さんが同じ様な茶色というか黄色っぽい色を、 またもう一度使われてる。

そうすると私が黄色を使うのかどうか、 どうするのか、 じっと考えるわけです。

たぶん、 同じ黄色をそのまま使うというようなことはやらないと思いますが、 ちゃんと関係性がある中で、 類似の黄色を使うか全く異なった色で黄色と調和させるかは作家の自由で、 それが結果的に全然バラバラならダメなのだけれども、 それが実にうまく調和して1つの方向に収斂していければ、 それはそれで場所を考えたことになると思います。

   

生活の視点

 次に2つ目の点ですが、 集合住宅を生活の視点からとらえるという捉え方と、 それから空間の視点で捉えるという、 大きく分けて2つあるだろうと思います。

これをどううまく重ねて収斂いしていくかが建築家の仕事だと思います。

ですから生活派だとか空間派だとかという言い方がありますが、 どちらもなきゃあいかんし、 どちらかだけでは豊かな環境はつくれないだろうと思います。

   

 具体的には、 コレクティブハウスを作るといった時に、 誰と誰が何人住むのか顔が見えるし、 シルバーハウジングといった時にはどういう年齢層の人たちが住む住宅かだけでも少しは見えています。

それに引き換え、 例えばよくいわれる標準世帯像、 例えば子ども2人に夫婦2人の家族ではほとんど人の顔は見えず、 抽象化された家族です。

   

 ですから生活といった時に具体的に生活する人の1人1人の顔が見える住宅を計画するのが本質ですが、 残念ながら大量に同時に供給する住宅ではままならないことはみなさんご承知の通りですが、 例えばコレクティブハウスだとかコーポラティブハウスだとか、 住み手の顔の見えてくる住宅の方が、 本当に血の通った住宅ができる。

それが生活を考えるということの原点ですし、 私たちの立場だろうなあと思います。

   

 それではその見えない住宅をなぜ作るのかと言われると返す言葉がないのですが、 まあ今の日本の社会のシステムの中で、 集合住宅に対して、 建築家の果たせる役割は街の連続性を考え、 生活の連続性を考え、 住戸内の生活に自由度を確保した空間を用意し、 後は生活者にゆだねる以外にすべはないと思っています。

   

インテリアデザイン

 それから、 先ほどインテリアデザインのことについてあとでお話申し上げますと申してましてたので、 少しインテリアデザインに触れたいと思います。

   

 生活の中で不特定多数の人が住むという住宅を考えた時に、 どういう住宅なら対応できるのか。

これは一言で申しまして、 無限定空間だということになります。

誰がどのように住んでもらっても不都合がないようなでっかいスペースを用意して、 使い方を特定しない。

   

 パネル協同組合からの依頼を受けて、 最近そういう住宅のモデルルームを名古屋で作りました。

そのうちにみなさんのお目やお耳ににとまる可能性もあるかと思いますが、 そこでなにをやったかと言いますと、 60m2ぐらいの狭い住宅を可能な限り広くしようということをやりました。

性格を全部殺してしまう、 可能な限り殺してしまう。

和とか洋とか言って、 和室があって洋室があって、 その間にふすまがあって、 洋室から見ると何となく洋室に見えて、 和室から見ると柱の半分をペンキを塗って半分を木地のままにしているとか、 いつまででもこんなことをやっている。

   

 そうじゃなくて、 もっと融合させてしまって、 1つの空間になる、 洋室のようでもあり、 和室のようでもある。

それで日本人の今の生活に対応できる、 そういう空間で誰に住んでいただいても住み手のライフスタイルによって、 どんな色にも染め上げてもらえるような、 むしろ今の時代、 そういう住宅を考えることが、 1つの答えではないかと思います。

   

 だから、 不特定多数の人を対象に住宅を計画する時に、 空間の質や個性を決めてしまうのは無理があると思います。

例えばヤングのなんとか派はコンクリート打ち放しの住宅とか、 いろいろなのがあります。

あういう方向はやっぱり違うだろうと思います。

このように考えてくると、 都市や建築に個別性を求め、 一方住戸で普遍性を求める矛盾がありますが、 このことがまさに不特定多数の人々の住宅を設計しなければならない今日の集合住宅の現実だと考えています。

   

閉鎖系から開放系へ

 もう1点、 密集市街地の話なのですが、 それも場所との関係でいえば、 郊外へでるか市街地の密集地かの違いだけで、 場所を読めばどちらもその場所のその状況によって答えは出せます。

ですから、 そういうプロジェクトが自分に与えられた時にそのことについて考えます、 という姿勢です。

例えばカルチエダムールを例に引くと、 周辺の密集市街地の空間の構造が歴史的にあって、 その空間の構造を地権者の関係や土地の形状、 そこに再開発される建築の密度が規制して、 類似の空間を作り出しており、 あの計画はやはりあの場所を反映していると思います。

   

 あと、 もう1点重要なことは、 近代の計画の中で非常に固定的で、 画一的で、 均質的であったものから、 多様で個別性があって、 変化がある、 空間、 環境、 そして、 それが集合することによる多様さに価値があると私は考えていますが、 このことを言い換えれば、 閉鎖系の計画論から開放系の計画論に変わっていかなくてはいけない、 ということだと思います。

計画論の模様替え、 意識、 価値観が変わっていくのだということです。

   

 開放系とはどういうことかと言いますと、 先ほどの岡山の例で申しますように、 周辺との関係を結んでいくこと、 自然との関係性も結んでいくということ、 それから生活との関係性も結んでいくということ、 それから周辺の建築家とも折り合いをつけるということ、 そういうことが全部開かれていることだと思います。

   

 具体的な例で申し上げますと、 高齢者の住宅の南側に廊下を作りました。

これは、 幼児と青年期の人、 壮年期の人、 老年期の人、 各々の段階で、 外に対する意識やプライバシーに対する意識が違うと思います。

例えば、 高齢者の独居になってきますと、 プライバシーを守るということよりも、 人とのふれあいの方が重要だ、 というようなこともあるだろうと思います。

   

 それは人間の各々のステージにおける意識の違いだというふうに受けとめます。

そうしますと、 例えば南側に廊下があってうるさいな、 という言い方もあるでしょうが、 主採光面側に廊下を作ることによって、 人と人との出会いのチャンスを多くしてくれる。

また住宅と廊下の間に、 濡れ縁だとか、 ちょっとした庭のような空間を作って、 出会いの場を作っていく。

そうすることによって交流のチャンスを増やしていく。

それが標準世帯ではどう設計していったらいいのか、 色々違うと思います。

   

 しかし一方では、 その人が亡くなったら次どうするのかということもあると思います。

標準的なファミリーが入る、 公営住宅では特にそういうことがよく言われます。

しかし、 いずれにしても次に誰が住もうとも住戸と住戸の関係を開き、 ネットワーク化していく、 このことが開放系の計画手法だというふうに、 私は今言っているわけです。

   

 生活に対しても、 文化に対しても、 歴史に対しても、 自然に対しても、 環境に対しても、 いろいろなこととの応答関係を持っていく、 関係性を図っていく、 ネットワーク化していく、 このことが開放系の計画手法だと言っているのです。

そのことは、 既にいろいろな分野で、 いろいろな局面で既に展開されているのです。

   

 ただ、 そのことをはっきり認識して計画をするか、 何となくするかによって、 成果の内容がずいぶん変わってくるのです。

例えば、 名塩で色々計画している中に、 そのことがうまくいくと読めていたかというと、 10年も前から計画していますから正直に申しまして、 すでに理解できていたこととそうでないことがあり、 今も現在進行形ですが、 段々進化していると思います。

ただひとつ一つ最初から考えていたことは、 あの周辺の自然との関係で折り合いをつけた建築を作ろう、 真四角な箱よりも非常に多様に変化した空間を連続させようと考えていました。

   

俺の建築から俺sの建築へ

 例えば、 建築と自然というものをテーマとして、 ランドスケープのみなさんと関わりを持つようにようやくなってきた。

かつて建築家は、 自分たちというような自分にsをつけないで、 自分だけの世界、 俺の建築がすべてであって、 あとは関係ないというような、 俺は俺だけでやるのだというようなことがずいぶん長くずっと続いてきた。

それは建築家のたぶん意識の底にあったものだと思いますが、 その根底には過去を否定する近代の思想があって、 それを口に出していうかいわないかは別にして、 かなりそういう部分が強かったと思います。

   

 だけど、 それでは都市景観だとか、 都市環境だとか、 いろいろな心地いい環境の連続した地域を作っていく、 まちを開いていくということを考えた場合、 どうしようもないことが起こってくるわけです。

自分の建築だけをあるなにかで囲ってしまって、 その世界だけでやっていく。

それは、 過去の都市を否定し、 周辺環境を否定する、 そこからはなにも起こってこないと思います。

   

 それは、 どういうことかと言いますと、 なるほど隣りにどうしようもない環境があるかもしれませんが、 その中でも例えば、 先ほどスライドで見ていただいた寝屋川の長屋の環境の中で、 あの空間のフレームが良いと申し上げました。

そういう空間の特性が地域の履歴にあるとすれば、 そういうものを活かしながら環境を作っていくのも、 1つの手法だと思います。

   

 それもありますし、 新しく計画された場に力を与えていく、 周囲に影響を与えていくような環境を作っていくことによって、 次に隣の建築がリニューアルされる時に、 こちらとの関係性を持っていく、 応答していくということによって改善される。

それが、 現実に生きているまちが、 ずっと連綿と時間の流れの中でつながっていき、 漸次よくなっていく唯一の方法だと思います。

   

 それを、 否定していきますと、 常に否定のしあいが連続するだけで、 お互いにいい関係を持てない。

それを面的に広げても、 本当に生活して快適なのかというと、 たぶんそうじゃなかろうと思います。

開いていくということは、 いろいろな意味でどんどん環境が育っていく、 豊かになっていく、 そういう流れだろうと思います。

   

 それは建築とランドスケープの関係もそうだろうと思いますし、 建築とインテリアの関係もそうだと思いますし、 あらゆる分野のものが共鳴し開いていくことが重要だと思います。

   

 江川さんへの答えになっていたかどうか分かりませんが、 以上が江川さんへの答えとします。

   

周辺から何を学ぶか

鳴海邦碩氏

 周辺と馴染むとかいう話で江川さんのお話をうかがって、 今、 遠藤流の周辺との馴染み方という話があったのですが、 ぼくは2回ほど遠藤さんが周りから一体なにを学んでいるのかということを体験したことがありました。

   

 さっきの話では夕日とかありましたが、 あるプロジェクトでは山を見てまして、 その山というのはずっと向こうの山で、 あれが周辺かというと、 そう言われればそうかなと思って、 ずっと遠くに見える山も周辺なのだそうです。

それから、 すぐ周りを歩きまわって見つけられる路地とかも周辺なのです。

遠藤さんが周辺と馴染むとか、 周辺から学ぶとかという時には、 そういうのを細かく観察するのです。

観察して何かそこからモチーフを得るとかという単純なことではなくて、 それをヒントにどうやったら場所を新たに作りうるかということを一生懸命考えてるのです。

だから普通に周辺から学んで、 何かデザインのモチーフにしようという、 そういう単純なことを言っているのではないのです。

   

 遠くの山も見てるし近くも見てるし、 でもそれをそのまま使うわけではないし、 遠くの山を見ながらどうしたらいいのかというのを遠藤さん流に考えている。

それはブラックボックスというか、 ブラックボックスだから作家が成り立つのですが、 そこらあたりが1つとして同じものがないと遠藤さんはおっしゃいましたが、 手順は何かあるようにお見受けしました。

   

 それから、 先ほどある人が模型を見てこれは森だなと言ったということですが、 「あれが森か」というふうにみなさんはお感じかもしれませんが、 遠藤さんの建物って最近どんどん散策路型になってるんじゃないかと思います。

街路型ではないのです。

   

 街路型は、 箱を作って線を決めていきますが、 散策路型というのは、 まだいい表現がないのですが、 四阿(あずまや)が並んでいてそれが散策路でつながっているというイメージがあります。

だからこれは森だなと、 そういうイメージにつながったのではないかという感じがします。

私の方からも聞きたいことがありますが、 時間があればということにして、 次に、 田端さんの方からご意見をお願いします。

   

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