実際は人間を中心にして、 人間のメタボリズムによって、 自然の生態系を守る理論をつくることがこれから求められるのです。
もはや、 今まで人の手が加えられなかった自然の原野を開拓して、 民家をつくったり、 工場をつくったりしていくということを止めるべき時代に入っています。
それよりもすでに都市化して、 あまり使われていないグレーの都市を再開発して、 それをグリーンのフィールドにすることが大切だと思います。
その時に、 自然を勘違いしてはいけないのです。
人間は一生懸命頑張って良いものを自然の中につくっていると錯覚していますが、 例えばペットを飼ったらハエが来るといったように、 人間にとっては嫌なものも生物として存在していることをもっと知ることが必要なのです。
自然の中には病原菌だったり、 ウイルス、 風邪がひそんでいますが、 そういったものを全部含めた上でのシステムが存在しているという事だと思います。
そういうふうに見ていきますと、 私達の腸の中というのは非常に心地良く、 病原菌が培養する場所なのです。
例えばニューヨークの地下の下水道はワニがウヨウヨいたと言われていますが、 非常に富栄養的で、 あったかくて、 要するにジャングルの湿地帯に非常に近い状態なのです。
私達がニュータウンの現況調査(?)なんかをやっていた1970年代というのは、 排気ガスが特に大変な時期でした。
大阪で言えばコンビナートが出来たのですが、 最初は大阪でも七色の煙は素晴しく発展していく象徴といわれた時期もあったのです。
しかし、 その煙が住民の方に流れていって、 光化学スモッグの公害をもたらしました。
現在でも大気汚染は前よりは良くなったとは言え、 大変です。
現在大阪市内を流れる川は灰色の川でして、 それは工場による亜硫酸の廃液で、 ときには、 青っぽくなっています。
また、 この近くの工場地帯で育つ子供たちは川の色はもともとそういうものだと思っていると聞いて、 非常にショックを受けたのです。
都市現況とはもともと、 このような人間によって出来た人間生態系であるという認識をまず確認して、 そういう前提条件の中で、 これから人間と自然との共生をどうやっていったらいいかというのが今日のテーマです。
先程紹介していただいたときに、 『都市は野生でよみがえる』という本を十何年前に学芸出版社さんのほうから出していただいたのですが、 私はそのテーマを今でも引きずっています。
都市というものと野生というものとをこれからどのような関係で考えていけばいいのか、 これをまだ私は解決していなくて、 今も取り組んでいるわけです。
またそれより前に、 今は絶版になっておりますが、 二十数年前にNHK出版のほうから出した本がありまして、 その頃から都市と自然、 都市と野生というテーマを一貫して追いかけております。
どういうふうに人間と生物の共生を考えていくのかについては、 まだ自分の中では全然解けていない状況です。
いずれにしても、 これは人間が地球上にいる限り解いていかなければならない問題であろうと思います。
ランドスケープデザインや辻本先生のされてるような事や、 こういう生物を扱う事に携わっている人間が、 どういうふうにこの地球環境や人工環境に関わっていけばいいのかが問題です。
単にデザインだけの問題ではないと言われていますが、 デザイン論もこのようなことに関わっていく大きなものだということを、 私は一貫して言ってきました。
自然というものと都市、 文明というものを比較したとき、 全く比べ物にならないほど自然というものは弱いのです。
またそういう弱いものに対して今も近代文明、 モダニズムというものが雪崩のように自然破壊をする力を持っていて、 それに対抗するだけの力を自然は持っていないわけです。
近代文明にとって常に自然は「おしつぶす」対象の存在で、 その中で人間は自然の尊厳さをいじめ、 自然の尊厳さをなくし、 そして自然を勝手に利用していこうと考えて来たのです。
まだ自然を勝手に利用しようというくらいはいいのですが、 自然の良いとこ取りまで行っているわけです。