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「ゼロ・エミッション」の可能性

 資料の中の6番目に「ゼロ・エミッションへの挑戦」とあります。

これはどういう事かと言いますと、 最近国連大学との共催で「ゼロ・エミッション」の運動をやり始めまして、 エミッション、 つまり排出物ですが、 これをゼロにしていくという概念です。

人間が出す排出物がつまり人工環境をつくり「地球の自然に負荷を与えない完結した人間生態系」をつくるということなのです(※1)

具体的な事例で言いますと、 ある人が、 「砂漠を緑化するには木を植えたらいいと思われているが、 そんな事をしても絶対に緑化にはならない、 ただ自然を破壊しているだけだ」と言っていたのですが、 そこは砂漠だから自然であって、 砂漠に対して木を植えるというのは破壊行為だということです。

また「砂漠に木を植えるというよりも、 むしろ人間が砂漠に住むのが一番緑化の手っ取り早い方法だ」とおっしゃられる方がいまして、 それに対して私はなるほどなあと思ったのです。

   

 なぜかといいますと、 人間がそこでオシッコをしたり、 排泄すると、 そこにいろんな有機物がたまり、 いろんな生物が寄ってくることになりますし、 また人間がいるからこそ知恵を使って、 人間の居住環境をもっとよくするために木を植えたりするからです。

まさに、 莫大なお金を使って砂漠を緑化するより、 人間が入ることでそこに自然が出来るという、 つまり「人間生態系」がその緑化の柱になるということですけれども、 それは非常に逆説的でして、 そういう過程でできる生態系が一方であるわけです。

   

 「自然界にゴミはない」と言われています。

森の中の樹の葉は落葉しても、 その葉は養分として土の中の肥料になります。

しかし街路樹の葉っぱはアスファルトに落ち、 ゴミになるのです。

森で葉っぱが土に落ちても、 それはゴミにはならないのです。

資源になるのです。

ですから、 私達が自然界にいろんなものを持ち込んでいることで、 人間が自然のサイクルをそこでシャットアウトしているのです。

それは水道なんかもそうなんですが、 人間の世界の中で不要だという事で全て循環系をシャットアウトしているのです。

   

 そうなってくると、 人間のつくるゴミはいつまでたっても再生産するだけでなく、 全体としてなくならないわけです。

例えば紙のリサイクルとか、 牛乳パックのリサイクルとか、 そういうのはゴミの存在を前提としてリサイクルしているのですが、 それは自然界のリサイクルとは違います。

紙パックを使わずに、 牛乳ビンを何回も何回も使うことの方が自然界にやさしいのです。

だから牛乳パックを分化して収集するということは、 自然に対してちょっぴりやさしいかもしれないけれど、 矛盾があるのです。

   

 「ゼロ・エミッション」とは、 自然界にはゴミがないということから、 全てが資源化されていくという概念です。

自然界にはゴミがなく、 全てが資源化されていくという秩序の中に人間の生態系を考え、 そこに生物との共生という概念があるはずなのです。

   

 そこで私が衝撃を受けたのは「ゼロ」という言葉です。

ゴミの量を少なくしていくのではなくて、 この地球上から排出量をゼロにしていくという、 そういうメッセージが私にとって非常に感動的で、 これは大変な挑戦だという事になってきたわけです。

排出物をゼロにするということは、 自然界のエコシステムに極めて近く、 模倣していくということです。

そうすることで自然と人間というものが初めて共生していく可能性が出てくるのです。

   

 それは言い替えると、 終末処理場のない社会をつくるということです。

もっと簡単にいいますと、 最後は終末処理場で処理するというのではなくて、 自分たちが出したものは自分たちで処理する、 あるいは自分たちで使うエネルギーは、 どこかの発電所なんかから持ってくるのではなくて、 太陽とか、 自分たちの身近なところで賄うようにする、 そういう風に自分たちの地域社会をできるだけ自然に近くしていくということです。

   

 そこで私は、 地域発ゼロ・エミッションという運動をやっているのですが、 そういう部分がこれから非常に大きな課題になっていくと思います。

例えば、 宮崎県の綾町ではゴミは90パーセントその地域で処理していまして、 町の中に焼却場がありません。

焼却場や下水処理場など、 終末処理場がない社会は大体15,000人くらいまではできるといわれています。

それは15,000人といっても農村地帯で、 他のところではなかなかできなくて、 東京なんかでは絶対にできません。

しかし、 この農村の実験を都市に応用したいと考えているのが、 地域発ゼロ・エミッションの運動の私の原点なのです。

   

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