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自然に気付く場としての都市公園

 今現在やっている仕事で、 高蔵寺ニュータウンの緑化植物園で、 ニュータウンに住む20代から70代の奥さん方相手に、 毎月植物館のフラワーディスプレイデザイン(6回/年)と花のまちづくりに行っています。

高蔵寺ニュータウンなんですが、 そこには決まりきった庭しかないのですが、 こんなにスペースがあるのならもっといろんなライフスタイルに合った庭ができると感じまして、 そんな提案をボランティアの方々に手伝ってもらいながらやっています。

これが2年半くらい続いて、 次の段階ではボランティアたちの活動をまちづくりにつなげていこうという事になったのです。

   

 私は、 共生のまちとか循環型のまちをつくろうと思ったら、 みんなが遊ぶことの大切さを分かっていないといけないと思いました。

遊びの空間が必要で遊びの中から気付かせる装置というものが、 昔は鎮守の森とかだったわけですが、 今はそれがもしかしたら植物園や公園なのかなと思っています。

   

 しかし、 例えば大阪の街区公園を見てみますと、 特に天王寺区内の公園なんかは、 そこにいるのは浮浪者くらいです。

最近は学校の校舎の壁を取り、 ビオトープを作ったら補助金が出るのでつくりなさいというのですが、 その時一番問題になるのが浮浪者が学校に入ってくるということです。

ここで私が思うのは、 私達の社会というのはいろんなものを排除することから始まっているということです。

循環型の社会をつくろうとすると、 人間の周りからいろんなものを排除するようでは実現できないことが分かります。

全ての社会問題もそうなんですが、 人間も含めた生物全体が共生していくことを考えないといけないと思います。

ビオトープがどうだとか言っても、 例えば川をつくろうというときに、 川をつくったら浮浪者がそこで体を洗うからやめてくれということになってしまうのです。

   

 私は以前天王寺公園に関する報告書を大阪市に提出したことがあって、 その中で天王寺公園は閉鎖型になったらダメだという事を提言したのですが、 結局取り入れてはもらえませんでした。

また、 かつてニューヨークの公園を調べたことがあったのですが、 ニューヨークでは公園に浮浪者用にシャワーや水道があります。

地震の時には水道は使えないかもしれませんが、 例えば井戸をつくるとか、 何らかの仕掛けがあるとか、 そしたら地震が起こったときに公園が生活できる場所にもなるのにとか、 もっと広い範囲で考えていった方がいいのではないかと思うのです。

今の社会というのは公園だったら公園というふうに、 一辺倒のつくり方しかしていません。

   

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