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現実の制約の中で何ができるか

長谷川

 先程も言いましたように、 都市環境デザインフォーラムとしては「都市に住む、 都心に住む」というテーマでこれからやっていくのですが、 その中でも緑とか自然を実際都市の中につくっていく仕事をされている方が多いと思います。

そういった立場から、 意見や提言が何かありませんでしょうか。

   

 住宅・都市整備公団は今まで大規模開発を数多くやってきたと思うのですが、 そこにおけるオープンスペースの在り方はどのようなものなのか、 そしてどのようにつくろうとされているのか、 私たちも気になるところです。

いろいろ研究もさせてもらっているのですが、 少なくとも60年代70年代はまだ土地に余裕があって、 中層住宅なんかでも住棟間隔が17〜8mや25、6mあって、 オープンスペースも緑で豊かだったと思います。

   

 しかし近年は公団の住宅でも日影制限ぎりぎりになってしまって、 住棟間隔も13mくらいと、 隣の棟から声が聞こえるくらいにまでなってしまって、 ますます私たちの出番が少なくなっているように感じます。

そういう事も含めて住・都公団の西さん、 何かありませんでしょうか。

   

西(住・都公団)

 3つほど質問があります。

一つは私達は郊外のニュータウンをつくっているのですが、 つまり山や丘を切り開いて開発をしています。

そんな丘なんかにはもともと水がないわけで、 つまりこれは平地に水といった日本の街の成立する条件とは正反対なのです。

それが分かっているからこそ、 そこを責められると非常に辛いのですが、 止むを得ない面もあります。

こんな場合どうやっていけばいいのでしょうか。

   

 次に、 現代の鎮守の森についてです。

戦後の政教分離政策のために、 神社つまり鎮守の森はつくれないという状況にあります。

しかしそのような緑は非常に大切です。

私達はニュータウン開発をやっているのですが、 そのなかで現代の鎮守の森をつくっていくにはどうしたらいいのでしょうか。

   

 最後に、 私達は今次世代型のまちづくりに取り組んでいます。

特に震災の後、 公団のつくり方といったものが変わってきています。

現在、 舞子で計画をしているのですが、 その中で例えば配置計画の時に公園の広さを先に決めてしまうとか、 実際に耕せる公園にするとか、 いろんな事を考えているのですが、 実現は難しそうです。

次世代型のまちづくりについて、 どのようなアプローチが考えられるでしょうか。

   

吉村

 本当に難しい質問です。

一つ目の質問に対しては、 日本の法律の体系では絶対に無理でしょう。

と言いますのが、 デイビスのまちづくりの時の話しなんですが、 ほとんど全部法律違反でやったそうです。

建築基準法や防災等、 いかに規制をかいくぐって、 役所をだましてやっていくかといった具合だったそうです。

   

 例えば自動車が入ってこれないような路地なんかは、 法律違反でもしなければできないのです。

京都なんかもそうですが、 せっかくの木造建築なのに、 建て替えようと思ったら耐火建築物にしないといけないので、 鉄筋コンクリートなんかになってしまいます。

今でも木が使えない、 水が使えない、 さらに水辺に柵をつくらなければいけないとなると、 これは大変なんです。

   

 清潔に関しては、 水をどんどん流すことでそれを保っているようですが、 これではエネルギーの無駄使いです。

しかし清潔を求めるのは、 日本の国民性とも言えるわけです。

そこで自然と共に生きていくために、 先程辻本さんがおっしゃった落ち葉の掃除の話しのような方向に持って行かなければならないのです。

これは難しいことですが、 普段からやっていく事でどうにかして行かなければならないことです。

   

 また日本だけでなく、 アメリカでも難しいようです。

デイビスのような方向は大切なのですが、 それは非常に稀で、 極めて変わり者がつくった街で、 そこに住む人達も極めて変わり者といった具合です。

しかしこれから先の時代を考える時、 ゲリラ的でもいいからやって行かなくてはならないのです。

おそらく公団がやってきた手段からすると非常に難しいのですが、 もうちょっと横にある土地を買っていただいたりすることで良くなっていくだろう思います。

   

 次の二つ目の質問に対してですが、 鎮守の森に変わるものは何かという事ですが、 それはタカとか、 そういった生物が棲む所が現代の鎮守の森になるだろうと思います。

そして生物と、 つまりタカと地域社会が共生していくのです。

そこで、 戸数を減らすということを、 タカとの共生を頭に入れて考えていくのです。

   

 もう一つデイビスの例ですが、 そこでは音に対する意識が非常に高くて、 自動車も家から離れたところに停めますし、 郵便受けさえも一箇所に集めてあります。

日本の社会では、 なかなかそこまではできません。

郵便配達の自動車の音さえもやかましいと。

やかましさに対する意識、 つまり静寂さに対する共通の文化みたいなものを持っているわけで、 さらにそうすると今度は自然の音とか、 別の音が聞こえて来るのです。

雨が降ったときに傘をさして郵便受けの所まで取りに行くのか、 それとも家まで配ってくれる便利な方をとるのか、 ここの選択が非常に難しいのです。

つまり、 先程辻本さんがおっしゃったように、 手間がかかっても、 自然と共に生活することは楽しいことなんだと知ってもらわなければなりません。

ここから始めなければならないのです。

   

辻本

 住宅開発は、 つくる人が「居住者はこんなライフスタイルだ」といったふうに、 非常に偏ってライフスタイルを見ているのではないでしょうか。

そうやってできたものを生活者に与えているだけのような気がします。

また、 その住宅開発においてどこをゴールにするのかが重要です。

例えば花のある街といってツツジばかり植えても、 これではお花は好きでもツツジは嫌いという人にはお仕着せでしかないのです。

だからこれからは、 庭の計画にしても、 この坂の家ならこういう庭ができますとか、 そんなパターンがいくつかあって、 それを選んでもらうとか、 また途中まででやめとくとか、 こういうデザインの仕掛けもあると思うのです。

   

 私は法律のことは良く分からないのですが、 どうして日本には外国のような豊かな斜面地の住宅というのがないのかと思ってしまいます。

外国に行くと、 斜面の所にテラスがあり、 そこにデッキがあってバーベキューなんかできたり、 そんなのを見るのですが、 どうして日本ではないのかと。

どうやら結局のところ、 先程の話しにもありましたが、 根本的に考えを変えていかなければどうしようもないのだと思います。

今のままの住宅の発想では駄目なのだろうと。

   

 私は住み手が分からないうちに、 住民がいないうちに一般市民のサポートの仕組みを組み込んでおくことはできないだろうかと考えています。

山があるとして、 その山は20年放っておいたら駄目になります。

人の手が必要です。

そこで、 そこに住むかどうかまだ分からない人達を連れてきて、 そこでイベントをしながら管理していく事はできないかと。

その時に活動を通してこの街はこれからどうなっていくのか考えてもらい、 その内何人かが住んでくれればいいと思うのです。

そう考えると、 まちづくりの核となっていくのは植物館のようなコミュニティーセンターではないかと思うのです。

   

 住・都公団は飯能で、 「生活の木」というハーブのグッズを売っている会社と一緒になって、 ハーブ園やエコロジーライフ提案のハーバルカレッジを作りました。

それはコミュニティセンターのように非常に良く機能しています。

そこにはそのお店と、 インドの健康療法の教室と、 片方では共生のまちづくりの情報センターとかがあります。

そしてその裏にはハーブ園があるのです。

   

 1年くらい前から住・都公団の先輩に言っていたのですが、 まちづくりをするにはまず植物園のようなコミュニティセンターをつくり、 緑をどうやって生活に入れていくか、 どういったライフスタイルがあるのか考える場にすればいいと思います。

私は時々ハウスメーカーのイベントに園芸の専門家として行ってまして、 イベントに使っているお金はかなりの額なのに、 少ない人数しか集まらなくて、 企画した人はどんな営業しているのかと思ったりします。

公団もハウスメーカーも、 いろんな事をやってはいるのですが、 効果は上がっていません。

それならコミュニティセンターをつくって、 入居者が決まる前から、 イベントを通していろんなライフスタイルを伝える仕掛けをしていくこと、 あそこの街に行ったらああいうライフスタイルの生活ができる、 あそこに行ったらあの植物が手に入るとか、 まちづくり自体より先にそういった仕掛けをしていかないといけません。

   

 今のようにここをいくらで買って、 それから参加型のまちづくりをするのならやりましょうというのでは、 どうしても遅くなってしまいます。

そこに来て、 仲良くなって、 最初何年かは住民の数も少ないですし、 出来上がるのが遅くなります。

とにかく何か良い環境を求めている人達が参加して、 誰のものとも決められていない場所についていろんな事を考えていくうちに、 いつの間にかそこを守る気持ちが参加者の中から生まれてくるのではないでしょうか。

   

 飯能の「ハーバルカレッジ」を見て、 あれは公団の実験的な計画だと言われていますが、 私は結構良くやったと思います。

ただもっといい場所があったのではとも思っています。

仕掛けに乗ってきやすいような配置計画もあるのではないかと。

   

 また鎮守の森は子供の集まる場所だったのですが、 今の子供達にそういったライフスタイルがあるのかと考えた時、 別に鎮守の森でなくてもいいわけで、 そこで祭があったりしていたのも、 生活の中の仕掛けの一つなのです。

だからその場所をつなぐものは生活の中の一つ一つでいいと思うのです。

それが森であろうが植物園やコミュニティセンターであろうが、 生活の中の一つ一つを、 つまりライフスタイルを伝えていけばいいと思うのです。

   

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