左三角前に 上三角目次へ 三角印次へ

都市のストラクチャー形成とバブル

バブルの時こそ都市の構えがつくられる

 バブルは否定的にしか言われません。

私も都市計画屋としては否定的ですが、 都市環境デザインとか、 デザイン一般の面でいえば、 そうでもないという感じもします。

これはたった今各分野ごとに見てきた通りです。

   

 というのは、 世界の主だった大都市の今日できている都市の構えは、 どうもバブルの時にできていると考えられるのです。

ニューヨークの摩天楼時代、 スカイスクレーパー時代は、 今世紀のはじめのアメリカのバブル景気のなかで出てきました。

ロンドンにしても、 パリにしても、 その当時のバブルの中でできてきているわけです。

これは、 決して建築デザインが一流だということではありません。

むしろ俗受けのするデザイン様式が主流であるとも言えます。

それはともかく、 少なくともストックとしての空間ストラクチャーは、 その都市のバブルの時期に一気に作られたと言えるでしょう。

   

 つい先日までヨーロッパの方へ遊びに行っていたのですが、 東欧のウィーンとか、 ブタベストなんかでも、 あのような構造ができたのもバブルの時と言えます。

   

 例えばウィーンでいうと、 それまではオーストリア・ハンガリー帝国の首都で、 攻められにくいように城郭都市だったわけです。

その城郭をはずしたところに有名なリングシュトラッセというのがあるのですが、 昔はそこに城壁がありました。

城壁の外側には数百メートルの水をためられる野原というか、 そういう空閑地がずっととりまいていました。

その外側にスプロールした市街地が少し広がっているという状態だったわけです。

   

 19世紀後半、 その城壁を壊して、 空閑地だったところの区画整理をやったわけです。

この区画整理費用をひねり出すのに、 かなりの土地を民間に売ったらしいのです。

売った金で工事費をひねり出して、 あげくにあそこに建っている美術館だとかの公共施設をだいぶ整備したらしいのです。

   

 それだけの金で良くできたなと思いますが、 それはともかく、 結局成金の新興勢力が投機目当てで不動産投資をしてできたわけですから、 結局それもいってみればバブルのようなものです。

世界の都市は、 そういうチャンスをうまくつかんで都市の骨格を作ってきました。

   

日本のバブルは都市の骨格をつくったか

 それでは日本ではどうだったのか。

日本は戦後2度くらいチャンスがあったと、 昔、 槙さんは言っていました。

戦争直後に戦災復興ということで一つのチャンスがあったけれども、 最大のチャンスは高度成長期の1960年代にあった。

つまり、 オリンピックとか、 万博とかといった投資ができるようになった時期です。

その時期にチャンスがあったのだけれども、 日本はみすみす見過ごした。

ああいうチャンスは世界史的に見てもそう何度もあるものではない。

したがってもうしばらくはそのようなチャンスはないだろうと、 彼はその時言いました。

   

 槙さんがこれを言ったのは1970年代のはじめだと覚えていますが、 その時今回のバブルみたいなものがたて続けにあるとは誰も思わなかった。

今回のバブルの時に、 ストックを形成するチャンスをまた見過ごしたのかどうかが、 重要な問いだと思います。

   

 私は見過ごしたと思っています。

バブル期にずいぶん色々なものが立ち上がったわけですが、 結局社会資産として何ができたのか、 あるいは、 後世に残すに値するようなものが果たしてあったのかということなのです。

   

できた大型開発がストックとして評価できるか

 古典的にというかバロック的な理解での都市のストラクチャーは少なくともできていません。

臨海部あたりに若干そういう空間構造的なものがあるかもしれませんが、 それぐらいしか目に見えていない。

結局あるのは、 大型敷地での複合開発といいますか、 大型開発で、 これはかなりいろいろなところでできてきています。

そういったポイント、 拠点型のものはできた。

ただそれが都市構造の中で位置づけられるような拠点性を果たして持っていたのか、 戦略性を持っていたのかどうかというあたりになると、 かなり怪しいものです。

   

 そういう戦略性の中で、 言い換えれば都市の空間構造の中の位置づけがあったとは思えないプロジェクトが非常に多いと思います。

仮にそうした位置づけがあるとの主張があっても、 後からの理由づけに近いものです。

言ってみれば都市計画の技術操作的な面が克ち理念が薄らいだということでしょう。

こうした開発でこそ都市デザインあるいは都市環境デザインの場面が重要だと考えますが、 これも、 もうちょっと別の形で働いてしまっている気がします。

そういうところに創造的な、 理念型の都市計画なり、 マクロな意味での都市デザインが関与できなかった、 あるいはそうしたことをめぐっての議論があまりなかったことが気になる点です。

   

資本投資を誘導する戦略を持ち得たか

 私がそもそも都市デザインを30年以上前に言い出したときに、 おまえのいう都市デザインとはなんなのかと同じ研究室の中でずいぶん追求されたことがありました。

頭の中で概念を整理しながら考えていくと、 もちろん先に言った地区ないし街区スケールでのデザインということもあったのですが、 それと同時に最終的には“創造的な都市計画=都市デザイン”であるという結論に達したわけです。

これは都市計画批判を一言で言ったというようなところがあって、 研究室のメンバーから総スカンを食らった覚えがあるのですが、 そういう部分が都市計画の中に創造をするという部分が希薄だったし、 空間を構成するというか、 編成する戦略みたいなものが都市計画の中にどれだけあるのかというと、 どうも現状追随的な面だけが目立っていました。

それに対して都市デザインという立場からもう少し発言できないだろうかと考えたわけです。

   

 たまたまその当時、 ボストンにデービット・クレインという男がいました。

彼は都市計画局のチーフプランナーとして、 ボストンの都市計画の非常に戦略的な地図を作ったのです。

それはキャピタル・ウェッブという概念なんですが、 要するに、 資本の流れ道を作るというか、 民間の資本をある方向に誘導するという軸です。

あの当時は、 いわゆるバックベイセンターのところで再開発がありました。

そこで資本を従来の中心である内陸の方に誘導するために公共投資を集中する、 それによって民間の投資も誘導していくという概念です。

   

 これは、 都市計画戦略と都市デザイン戦略が一緒になっているものです。

実際にはバックベイセンターの方はそのまま立ち枯れて、 ボストンはウォーターフロント沿いに広がっていったので、 キャピタル・ウェッブのコンセプトは有効ではなかったのですが、 そういう概念も含めたアーバンデザインというものを構想していた時期でもありました。

こういうことはバブルの時期にはなかった。

皆バラバラに勝手にやっていたということです。

   

 しかし既にできたプロジェクトを今後どう活かし、 空間的な脈絡をつけていくのかということは、 拠点的なものをつなげていくような可能性を持っているのかいないのかということも含めて、 検証していく必要があります。

   

左三角前に 上三角目次へ 三角印次へ


このページへのご意見は前田裕資

(C) by 都市環境デザイン会議関西ブロック JUDI Kansai

JUDIホームページへ

学芸出版社ホームページへ