主だった都市ではかなり体制が確立してきています。
70年代にコミュニティ行政というのがあって、 その後文化行政というものもありました。
これらが各方面をにぎわせました。
その後景観行政が言われて、 私もかなりいろいろな所に呼ばれるようになったのですが、 景観行政もこれまでと同じように一過性の流行の一つじゃないかと言って皮肉っていました。
ところが、 あれ、 これはかなり長持ちしているなあと思っているうちに、 かなり本物になってきたわけです。
それは、 たぶん時代の雰囲気があったのだと思います。
特に生活者も含めてバブルの時代に対してなにかおかしいのではないかという気持ちもあって、 もう少し潤いとかゆとりとかが欲しいということがあったのではないかと思います。
建設省の制度でHOPE計画というのがありますが、 あれは本来3年か5年の時限で作ったものです。
それなのに各地方があれを使わせて欲しいということで、 だんだん補助率が下がっているのですが、 まだ続いてます。
それと同じように、 都市景観行政も受ける施策の一つだったのではないかという気がします。
後押しがあったということよりも、 各市町村でも景観行政がかなり政策展開の上で役に立つという認識があったからでしょう。
関西でもずいぶんあります。
関東では昔は横浜にしかなかったのですが、 神奈川県下でもかなりの市町村が都市デザイン担当とか言い出しています。
千葉とか埼玉とか関東でもかなり多くなってきています。
20年くらい前に、 都市デザインとは何ぞやということを行政の人を相手に説明をさせられていたことがあるのですが、 反応は「おっかなくてようやらん」ということでした。
つまり、 デザインというのは非常に主観的なもので、 主観的なものを行政で扱うことは馴染まないのではないかというような意見をずいぶん聞かされました。
景観というとなぜいいのかよく分からないのですが、 とりあえず景観と言っている方が中立性があるような感じがするのか、 景観という言葉がずいぶん使われたのです。
それが90年前後からアーバンデザインとか都市デザインという言葉を平気で使うようになってきました。
別に彼らの腕が上がったのでもなんでもなくて、 そういう言葉を使っているのが流行だということだと思います。
行政自身がデザインに関わる事業をやりたいというのかどうか、 その辺はよく分かりませんが、 行政が都市デザインとか都市美デザインというような言葉を使うようになったということは、 これはやはり精神構造が変わってきているという感じがします。