左三角前に 上三角目次へ 三角印次へ

今後進む恐れのある田園景観の荒廃が心配

 都市景観と言いますが、 これは建設省の都市局が扱っているから都市景観と言わなくてはならないだけです。

都市というのがじゃまで、 ただの景観行政と言って欲しいのです。

もっと田舎の山並みとか、 海が景観の一番重要な部分で、 都市景観行政と言うとそういうのが全部見えなくなってしまうので、 ただの景観行政にしたいのですが、 それにしても、 景観行政と言っているものから都市デザイン行政に変わってしまいますと、 ある面では非常に積極性があっていいのですが、 景観という言葉が含蓄している幅の広い、 奥行きのある部分がなくなってしまうという気がします。

   

 極端に言うと自分の市域を越えた向こうにある富士山から向こうの公海上の海まで含めて、 その中に自分の街があるわけですから、 そういう中で自分の街の景観がどうあるべきかということを考えるべきだと思います。

富士山が富士宮市のものだといっても誰も納得しないわけですから、 そのような意味での景観行政が必要であると思います。

   

 農水省では米を作っていいのかどうか分からなくなって、 ほっぽりだしそうです。

その結果、 田園地域の風景が荒れてきていますが、 今後もっと荒れそうな気配です。

今までの市街化を押さえる側の力がなくなってきているわけですから、 調整区域を出たいという勢力だけになってくると、 必ず荒れるわけです。

そういうのも含めて景観ということで捉えていくべきだと思っています。

   

 景観行政の中で都市から自然まで、 あるいはもっと文化とか歴史とかそういうものを含めて捉えられるはずなので、 そのあたりを考えて欲しい。

   

 景観は土地利用政策と結びつきがあるし、 環境行政ともかなり結びつきがあります。

ドイツでは3番目のマスタープランが景観基本計画といった位置づけになっていますが、 日本でもそういう視点が必要じゃないかなという感じがします。

   

左三角前に 上三角目次へ 三角印次へ


このページへのご意見は前田裕資

(C) by 都市環境デザイン会議関西ブロック JUDI Kansai

JUDIホームページへ

学芸出版社ホームページへ