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10年間を振り返り、 未来を展望し得たか

宮前保子

『日本の都市環境デザイン』について

 編集委員を仰せつかりまして、 関西ブロックでは田端先生とご一緒にこの本の第3部の「でき上がってきた面白い街」と「これは困った環境デザイン」を担当させて頂きましたが、 原稿を集めるのに時間をとられて、 中身についての議論が欠けていたのではないかと、 今反省しております。

といいますのも、 どういうフォーマットで構成していくのか、 あるいはどういう地域がおもしろい街なのかとか、 そういう議論を少しはしてきたのですが、 集まってきた原稿にたいして、 もう1度執筆していただいた方たちにこちらの編集意図を投げかける時間がほとんどがないままできあがってしまったきらいがあるということです(図8、 9参照)。

   

 内容についてですが、 私の専門分野である造園という視点からみると、 この'85年から'95年の10年がどうであったのか、 佐々木さんが最初に第1部で書いていらっしゃいますが、 他のところで展開できたかといいますと、 なかなかしきれなかったという感じで、 これも反省しているところです。

   

 やはりランドスケープデザインが、 どう変容していったのか、 どう展開したのか、 あるいはどう衰退していったのかがもう少し見えてきた方が、 良かったのではないかと思っています。

   

 先ほど土田さんのお話の中にランドスケープデザインという言葉がいつ頃始まったのかというお話がありました。

私自身も不用意にあるいは安易にといいますか、 ランドスケープデザインという言葉を使っておりますが、 そもそも用語としてどう確立しているのかすら分かっていません。

景観というふうにも捉えられますし、 そうではないかもしれない。

造園という言葉はランドスケープ、 アーキテクチュアの日本語訳ですが、 造園とランドスケープデザインが違うのか、 あるいは職能としてのランドスケープアーキテクトはどういうところにあるのか、 あるいは、 我々が都市の中であるいは地域の中で対象とする空間のランドスケープとは一体何なのかというようなあたりについて、 せっかく色々な立場の方たちがいらっしゃる中でこのような本を作ったわけですから、 もうちょっと展開していけば良かったと思っています。

   

ランドスケープデザインからみた'85-'95

 先ほど土田さんが近代とは一体何なのかというお話をされましたが、 近代化とは欧化の思想であるということを、 日文研の白幡洋三郎さんがおっしゃっています。

欧化の思想とは一体何なのかというと、 足し算の思想ともいえます。

明治に入りまして、 造園界の重鎮なり、 あるいはヨーロッパの公共の緑やオープンスペースというものを見てきた人々が、 街路樹を作り、 公園を作り、 そういうヨーロッパ的な形態を都市の中に取り入れていったわけです。

   

 約100年以上経ちまして、 現在はどうかといいますと、 相変わらず足し算の思想です。

まだ都市には公園が足りない、 緑が足りないという形で、 どんどん足していく。

足していった結果が個別バラバラでそれが都市の中で人の目に見えるストラクチャーになり得ていません。

そういう傾向がますます高まっていったのが、 この10年です。

しかし、 今ある空間の中の要素の何を引いていくのか、 景観としてランドスケープとして引き算をしていった結果何が出てくるのかということを考える端緒になったのも、 この10年ではないかと思います。

   

 それからこの10年の中で起こってきたもう一つの新しい芽が、 多様性を取り入れるということではないかと思います。

   

 色々な立場があるのですが、 例えば生態学的な観点からいいますと種の多様性を求めるとか、 あるいは風土性という観点からいいますと、 異界性とか物語性の追求ということがあろうかと思います。

この異界性の追求というものの最たるものが、 岐阜の養老公園の中にできました養老天命反転地であると思います。

   

 これまでの公園行政、 あるいは公共がやっていく緑づくりなりオープンスペースづくりは、 どうも愚民思想で作られてきたのではないかと指摘されています。

愚民思想とはお上が考えるとおりに公園をつくり、 愚民は与えられた空間を享受していればいいというものです。

   

 そういう考えに対して、 ポーズとしての参加型のデザインのプロセスというものが、 この10年間に芽生えてきたのではないかと思います。

   

 さらに、 どう社会性を獲得していくのかということが造園なりランドスケープデザインの分野でも追求されてきているのではないかと思います。

阪神・淡路地域ではまちづくりのための議論が高まっていますが、 その中で「防災公園は1ha以上でなくては認めませんよ」と建設省がいっても、 「公園はもういらない」とか「1haの公園はいらない」というような街が出てきているわけです。

そういうところで、 それまで愚民思想で作られてきた公園なりオープンスペースが、 どう評価されどう評価されなかったのかということが、 端的に出てきたのです。

これを今後10年間で、 どう考えていくのかが問われていると思います。

   

自然保護運動とランドスケープ

 それから、 オープンスペースの社会性の追求ということでいいますと、 全国で色々な形で自然保護運動が展開していますが、 70年代の自然保護運動と85年以降の自然保護運動というものが少し変わってきています。

例えば白神のブナ林を守るというようないわゆる原生自然をまもるという運動から、 裏の里山に運動公園を作るのはやめて欲しいとか、 あるいは新しい住宅地開発にともなって、 普通の見慣れた、 里山といわれたり二次林といわれたりしますが、 そういう山をつぶさないで欲しいとか、 あるいは、 ため池を埋め立てて公民館を作るのではなくてそのまま残しておいて欲しいとか、 そういう要望が色々な形で展開していっています。

   

 こうした運動の社会性の意味、 あるいは、 そういう地域の構造を今後の10年間、 あるいは21世紀に向けて考えていかなくてはならないのではないかと思います。

それをもう少し言いますと、 今まで私たちは、 都市、 あるいは都市デザインに関わり、 あるいは都市に居住していて、 空間を占有してきたのですが、 その空間の占有という概念がある限りは、 なかなか街並みというものが美しくはならないだろうし、 絶えず色々な齟齬がでてくる。

土地を獲得してその中では我々は何をしてもいいのだという占有から、 その空間を領有して空間に対する責任とか義務とかも負うのだといった概念を、 どう都市デザインの中で作り上げていくのかが、 今後の課題になるのではないかと思います。

   

 この『日本の都市環境デザイン』は、 2000年ぐらいにもう一度作ろうかという話がありましたが、 そこでは、 これらの課題がどう展開されているのか、 それが社会性をどう獲得しえたのかというような視点の元に作られていったらいいのではないかと思っています。

   

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