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バブルが残したもの

田端修

これは困った環境デザイン

この『日本の都市環境デザイン』の中で第3部を担当しました。

その中でも「これは困った環境デザイン」が、 例えば編集を担当した前田さんの話では、 評判が良かったということを聞いています。

画像s08  「これは困った環境デザイン」は、 過剰デザインとかへたくそなデザインであるとか色々なものが、 パブリックな世界に顔を出して、 どうも困ったというものを集めてみようというところから出発したわけです。

ただ、 募集をしたところ、 そんなにたくさんは集まらなかったのです。

何かの拍子に北海道の方々がグループを作られて相当たくさん、 特に道路関係の事例を送ってくださり、 これで何とか様になったという感じです(図8-こじつけ的表現掲載)。

   

 その中身を分類をしました。

そういう分類の言葉を見ていきますと、 バブルの産物であることが、 良く分かります。

   

 最初の「こじつけ的表現」は、 例えば、 北海道ではスズランが産物として知られていますが、 スズランを非常に巨大化して、 街灯として形を作っていて、 しかもその色が相当えげつない色なわけです。

夕張メロンの形そのままが街灯になっていたりするものもあります。

   

 次の「厚化粧」は、 河川の堤防になくてもいいような絵が書いてあったりするものです。

   

 それから、 「安易」というものもあります。

ここには、 余りうまくない、 しかし何かしなくてはならないというような感じで、 絵が描かれている壁面などが集まっています。

   

 「おもちゃ箱」は、 色々なものが混じっているという事例です。

スケールアウトとか、 色彩不良とかがあります。

その中でも、 非常に派手っぽい橋であったり、 あるいは、 公園でも自然の中なのにそこまでやらなくてもいいのにというようなものがあります。

   

 そのようなものを見ていきますと、 まさにバブルの時代の産物でありますが、 しかしなにかやらなくてはいけないというような雰囲気の中で生まれてきたものであろうと思います。

   

 しかし、 そればかりではなくて、 「気配りのなさ」とか「放置」では、 一生懸命金をかけて作ったけれども、 後の管理がされていないものを取り上げています。

これは、 しばしばお役所仕事といわれているようなものです。

「気配りのなさ」では、 電柱、 標識、 色々なボックスが歩道の上に出てきて、 そういうものが色々競合して歩く場所がなくなっているとか、 建物のエントランスにそういうものが張り出してしまっているという事例を取り上げています。

「気配りのなさ」とか「放置」は、 バブルそのものの問題ではないかもしれませんが、 常々出てきているような話だと思います。

   

 土田さんの基調的なテーマとしてバブルと都市環境デザインをどう考えるかがあったと思います。

都市のストラクチャーといいますか、 構えというものができそうで結局できなかったということだと思うのですが、 私もその通りだと思うのです。

ものとしては残っていない感じはするのですが、 役所の中の都市景観部だとか都市デザイン課だとかが非常にたくさんできてきて、 形になってできあがってきている。

それは、 いわば人の中にそういった成果というか、 バブルの結果として得られたものが残っている。

人の中にそういう技術が伝えられていっている、 そういうようなところぐらいに、 バブルの成果というものがあるのかなあという気がしています。

   

でき上がってきた面白い街

画像s09  もう一つ『日本の都市環境デザイン』の中で、 「でき上がってきた面白い街」という章を作りました。

それも集まりが良くなく、 仕方がないので私が書いた部分が京都の「北山ファッションストリート」というところです。

この北山通りには、 現代っぽい、 小さな商店がずっと並んでいって、 それなりに面白い街ができていると思います。

強力なコントロールがないのにこういう風になったのには、 この北山通りに店を出しているオーナーが、 京都の町の中にやはり店を出している商人だということがあると思います。

そういう人たちがそれぞれの思いで、 つきあいのある建築家だとかデザイナーだとかと一緒に店を作っていって、 そういうものの集まりとして北山通りがそれなりに形を作っていったというようなことを書いています(図9-北山通り全文紹介)。

   

 そのあたりが、 人の中に蓄えられているなにかが、 最終的にできあがっていくというようなことかなという気がしているわけです。

   

 土田さんの話は都市デザインの役割として都市のストラクチャーのデザインという話を考えたいということだったと思いますが、 ただストラクチャーというものを作っていく大きなプロジェクトというものがこれからどれだけあるのか。

私の主たる舞台は京都ですが、 京都にはここの所そういう大きなプロジェクトはないわけす。

それは日本の将来の一つのありようを象徴しているのではないかという気がするのです。

   

 そういう観点からいけば、 小さいものの集まりでものを作っていくことしかないわけです。

その時にガイドラインということではなくて、 今言っているような、 デザインセンスとかそういうものを蓄えた人間をうまく作っていくことが、 一番いいのです。

   

 今回のバブルはある程度デザインのセンスを、 体内の中に蓄えるという働きもしたのではないかなという気もしています。

   

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