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ランドスケープ・アーキテクトが見た関西の都市デザイン

イギリス・オックスフォード生まれ

デイビッド・N・バック
(David N. Back)


日本庭園から学ぶこと

   バックと申します。

私は今日、 ランドスケープアーキテクトの目から見て関西の都市空間を評価したいと思います。

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   私は、 日本の伝統的な庭を見ないと本当のランドスケープアーキテクトになれない、 と思い日本に来ました。

図1はイギリスでも誰もが知っている竜安寺です。

周辺の大規模な自然と建物のまわりの空間との関係のつくり方がすごく上手です。

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   図2は京都にある大仙院です。

槇文彦が「Collective Form(コレクティブ・フォーム)」という論文で分析していましたが、 庭園のスケールだけではなく、 都市空間としてのスケールがあります。

石の使い方、 色の使い方、 自然の材料がどういうふうに使われているかが、 示唆にとんでいます。

 

   しかし近代の都市空間を設計するときに、 これは簡単には使えないのです。

近代の都市空間では、 スケールではなくファンクションが一番大切にされます。

期待されるファンクションと望ましいスケールが全然違うので、 引用(Quotation)はできるのですが、 いろいろな問題があります。


日本の風景

画像d03    図3は、 私が昔いた神戸大学の研究室からの風景です。

こういう写真をイギリスの風景と比べますと、 一番大きな差は「無断片」だということです。

昔のものがほとんど残ってない、 ということです。

 

   イギリスの都市の中には、 歴史的なものがたくさん残っています。

日本の場合はレイヤーとしてではなく、 京都の庭園のように、 点在しているだけです。

 

   イギリスの場合、 設計するときに現地の土地を調べると、 昔の秘密が出てきます。

日本の場合は、 使えるものがあまり出てきません。

それが問題だと思います。

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   関西のランドスケープスペースの中で伏見稲荷は一番おもしろい空間です(図4)。

 

   非常に大きなスケールの中で、 人間が設計したものは強いと思います(図5)。

自然の緑と、 空のブルーと。

大きなまちの中にはない使い方がここにはあります。

 

   ランドスケープデザインには、 建築と違ってファンクションがあまりありません。

公園にはレクリエーションファンクションがありますが、 建物みたいに「この部屋は何」という明確なファンクションがないので、 もっと強い空間、 パワフルな空間を設計しないとダメじゃないかと思います。

 

   その点、 こういう大きな自然のスケールの中で設計されたものにはインパクトがある、 と私は思います。


高密な都市

画像d06    図6も京都です。

日本の都市は歴史の綾がないというだけではなく、 とてもデンシティー(高密)です。

最初に日本に来たときに、 びっくりしました。

日本人は自然と近い関係にあるとみんな思っています。

イギリス人もそういう印象を持っているのですが、 こういうまちに来た時に、 自然とどういう関係にあるのか、 すごくわかりづらいのです。

 

   例えばドイツの人口密度は実際には日本とそんなに変わらないんですね。

325人/平方km(日本、 S60国勢調査より)です。

韓国と台湾のほうが日本より密度が高い。

シンガポールも日本より高密度ですが、 シンガポールはガーデンシティと呼ばれています。

だから、 どうして日本の都市にはオープンスペースが少ないのか、 不思議だと思います。

 

   もっとオープンスペース、 公園、 広場がないと、 都市の中で生活するのは大変だと思います。

大阪の少し北の方にある豊中には田んぼがまだ残っているのですが、 どうしてこんなに高密のところがある一方で、 全然利用されていない土地が残っているのか、 すごく不思議です。


OBPへの批判

画像d07    図7は大阪ビジネスパークです。

OBPは昔のまちと比べると大分違います。

最初からアーバンデザイン、 都市計画がされているからです。

建物の設計だけではなく、 全体の計画を考えていますので、 いい空間ができていると思います。

たとえば道路、 歩道がそうです。

 

   しかし私には理解できないことがあります。

ペデストリアンデッキがあり、 そこを通ってOBPに行くための階段とかエスカレーターがあるのですが、 どうして人間の方が上がったり下がったりしなければならないのか。

人間の方が車より重要じゃなかったのか。

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   次のポイントが、 ランドスケープデザインです。

図8は建物の周辺の緑地です。

こういうところで低木を使うと、 緑地面積があっても、 オープンスペースとは感じられなくなります。

たぶん管理の問題もあるのでしょうが、 芝生を使うとか、 もうちょっと広がりが感じられる方法を使う方が効果的と思います。


ファンクションによる設計ではダメ

画像d09    図09は、 うつぼ公園です。

 

   日本のランドスケープアーキテクトは、 ファンクションで全体を設計します。

例えばこれはフィッシングパーク、 これはベンチ、 これはレクリエーション、 そういう言葉で考えて設計する。

そういうファンクションじゃなくて、 伏見稲荷のように、 不思議とか聖性(セイクリッド)とか、 もうちょっとパワフルな空間を設計しないと良くないと思うのです。

 

   ランドスケープアーキテクチャーと建築との大きな差は、 前者はライフスパンが非常に長いことです。

木は百年間生きています。

スポーツクラブ風なんて感じでつくっても、 それはすぐにダメになる。

今のファンクションで考えるのではなくて、 もっとストロングな、 もっと強い、 フレキシブルな空間を設計しないと、 いい空間はつくれないと思います。

 

   イギリスではイングリッシュランドスケープスタイルといわれる18世紀の庭園がまだたくさん残っています。

つくられた時と求められているファンクションは全然違うのですが、 自由に使えるからです。

図9では二人がテニスしています。

でも、 テニスがファンクションではない。

そういう話じゃなくて、 もっとフレキシブルに考える。

そういう発想です。


雑多な町

画像d10    図10で私が言いたいのは、 一つのまちの中に建築のスタイルが多すぎるということです。

色の使い方だけではなく、 隣の建物に全然関係がない設計がされている。

まちの形が一体のものとなっていない。

一体性がないと、 元々のロットが小さいから、 小さな汚いまちになってしまうと思います。

 

   いつも不思議なことは、 大阪の中に色々なスタイルがあるんですが、 どこに行っても、 その地方の関係性(リレーション)がないことです。

この写真は大阪のまちですが、 京都とか、 広島に行っても、 東京に行ってもそんなに変わらないのです。

 

   イギリスは日本より小さい国ですが、 オックスフォードとその隣の街に行くと、 少し違う味が出ています。

 

   日本は精神分裂症的です。

一つの原因は、 日本人の土地に対しての考え方に、 まだ農民的な考え方が残っているからです。

自分の土地が自分のプライベートな場所で、 自分の好きなように建築をつくってもいいんじゃないか。

隣はどうでもい。

そういう昔の考え方がまだ残っています。

その考え方は昔の農村のコミュニティの中ではともかく、 近代のまちには合わないと私は思います。


大阪南港野鳥園

画像d11    図11は南港です。

私がわりと好きなところです。

ここでは、 まちの中に自然を持って来ようということで、 ワイルドライフ・パークをつくりました。

例えば植栽がテーマでハーブ園をつくるとか、 フィッシングパークをつくるということは日本でも多いようです。

でもワイルドライフという考え方で、 空間をつくることは非常に少ないと思います。

 

   イギリスでは昔の田畑とか運河がまだ残っている古い町は、 再開発の中でも、 それらをワイルドライフ・コリドールとしています。

日本も緑をつくるときに、 人間のためだけではなく、 もっとワイルドライフの面で考えて、 空間を設計する方がいいと思います。

 

   南港でも最初の計画の段階では、 緑地はその周辺に長細くあったんですね。

それはたぶん面積が一番取りやすかったからだと思います。

他のファンクションにあまり影響せずにとろうということで長細くなってしまうのです。

それはアーバンデザイナーのアイデアだと思います。

 

   ランドスケープアーキテクトが最初からプロジェクトに入ったら、 こういう人工島であっても、 最初が森、 全部が緑地で、 その後に商業空間をおいて、 次のファンクションの空間をおいていく。

そうすれば最後には全然違う空間が出てくると思います。

最初にランドスケープアーキテクトがプロジェクトに入らないとダメだと思います。


新梅田シティ

画像d12 画像d13    図12は梅田にあるスカイビル。

原広司の設計です。

これはヒューマンスケールとは全然関係がない建築ですが、 非常にいい空間だとわたしは思います。

 

   図13は、 吉村元男という有名なランドスケープアーキテクトが設計したスカイビルの外部空間です。

彼は自然をテーマにワイルド・フラワーの庭園を設計しました。

彼は「中自然」という言葉を使っていますが、 こういう大きな建物であっても、 ランドスケープでパワフルな空間を設計できるという例です。

 

   この建物にはいろいろな非難があると聞きました。

京都の町に中国のお寺が入ってきたときも最初は非常に変だと思われたでしょうが、 今では日本の文化的なものになっています。

こういう近代的なものはそれなりに、 最初のお寺と違ってそう遠くない時に馴染むのかなと、 私は思います。


日本のアパートのつくり方

画像d14    図14は普通の公団住宅です。

私は日本でいろいろなアパートに住んできましたが、 長細いアパートが多いと思います。

その原因は「南向き」にあります。

どうしても南向きのアパートをたくさんつくりたい。

建物の裏にきれいな川があっても、 それには関係なく、 南向き。

南向きだけで考えてこういう住宅配置がされています。

それはもったいない。

 

   またバルコニーが全部に付いている。

バルコニーはあまりこういうアパートには合わない。

アパートの中が暗くなる。

長細いだけじゃなくて、 バルコニーがあるから、 住みづらい。

アメニティのある空間にならないと思います。


電線

画像d15    図15は大阪の街のなかの写真ですが、 電線だらけです。

電線が多すぎる。

イギリスでは、 電線は地下に埋設しています。

また、 サイン計画が全部違うのです。

100メートルぐらい向こうまで見えるサインが全部違う。

それはあまり良くないと思います。

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   図16は、 今日の会場の大阪ドームのすぐ近くの7号線という道路です。

ここには電線がなく、 サインが少ない。

非常に違う風景ができています。


巨大なインフラストラクチャー

画像d17    図17は関西国際空港の前のゲートタワービルから撮った写真です。

この写真で言いたいのは、 インフラストラクチャーのスケールです。

スケールが非常に大きい。

アメリカやヨーロッパでも70年代に同じような空間をつくりましたが、 その後、 考え方を変えています。

私はよくわかんないんですね。

70年代のアメリカの失敗を、 どうしてそのあとに日本が輸入するのか、 非常に不思議でしょうがない。

 

   そしてランドスケープデザインですが、 街の中では商業施設だけじゃなくて、 経済的な意味だけじゃなくて、 オープンスペースが非常に重要だと、 皆はわかっているけれど、 新しい街の計画の図面を見たら、 まだその分かっているはずのことが出ていないと思います。


私の仕事

   私は2年前から日建設計でいろいろな仕事をやっています。

私と、 もう一人のランドスケープアーキテクトの登坂誠と一緒にこういう仕事をしました。

日建設計の作品です。

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   図18は大阪市立大学の学術総合情報センターの前のアーケードです。

日本の大学キャンパスは周辺の街に対して閉ざされているケースが多いのに対して、 周辺の街に対して開放的だと言う点で面白い仕事だと思っています。

 

   また、 段差をつくるのではなくて、 材料の質感だけで、 空間のバリエーションをつくりたいと思いました。

真ん中にある斜めの橋はアルミでつくって、 後は木造の休憩ゾーンをつくったんですが、 これは評判が良かったとわたしは聞きました。

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   図19の池のなかの四角の小さな銅の銘板の上に、 文字がはいっています。

我々ランドスケープアーキテクトが、 なにを作っているのか、 少し説明的に書いたものです。

またランドスケープ・エコロジーという最近できた専門の歴史の流れ、 誰の考えが重要なのか等をブリッジ上に示し、 広場のなかに配置しています。

それは英語で書いてあります。

大学生の一人が辞書で意味を調べて、 英語のスペルのまちがいを見つけてくれました。

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   図20は夏の風景です。

 

   図21はさっきのりんくうタウンです。

そのパーキングの上の屋上庭園ですが、 インフラストラクチャーのスケールが非常に大きいので、 立派な木を使っても全然問題がない。

スケール感でアピールするだけじゃなくて、 もっとシンボリックな意味、 もっとスピリチュアルな意味で、 設計をしました。

 

   これは、 見たらわかるように、 日本の庭園のヒントを使いました。

ひとつは、 一段が150ミリしかないですが、 京都の哲学の道の近くにある法然院の庭の入口に300ミリくらいの砂でできたステージがあります。

それは非常にパワフルな空間ですが、 そのアイデアで、 この段差をつくって設計をしました。

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   図22はただのタイルですが、 上の建物から見たら緑に見えるし、 周辺の大きなスケールのものに対しても十分にインパクトがあると思います。

 

   今までフォームとか、 ファンクションで空間が設計されていましたが、 フォームとかファンクションだけじゃなく、 愛着があるとか、 魂がある、 という設計をしないといけないと思います。


ランドスケープの地位の強化を

   イギリスでは、 ランドスケープアーキテクトはあまり重要な専門ではありません。

60年前に、 最初のランドスケープ・インスティチュートがつくられましたが、 建築、 土木に較べたらまだまだ立場が弱いのです。

その原因のひとつは、 分かりにくさです。

アパートをつくるのは建築家です。

ランドスケープアーキテクチャーは何をつくるのか、 一般の人はその意味を理解していません。

イギリスでの我々ランドスケープアーキテクトの失敗は、 ランドスケープの意味をしっかり決められていないということです。

 

   例えば、 ランドスケープは自然に近い、 ネイチャーを生かして空間化する、 もうひとつは風景、 シーンを設計する、 それがランドスケープアーキテクトです。

 

   日本のなかでは「昔の庭園を設計するデザイナー」は、 まだたくさんいると思いますが、 新しい専門家としての「ランドスケープアーキテクト」は少ないと思います。

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