スライドを見ながら話をしたいとおもいます。
図1は遠景の写真ですが、 右はモンテカルロというヨーロッパの街、 左は日本の街です。
どちらも綺麗ですが、 日本の都市は平地が多く、 高いところに行かなければ綺麗な風景が見られません。
ヨーロッパの地形は斜面が多いので、 これは普通に見られる風景です。
図2も少し高いところから見た風景です。
左はメインストリートのイメージです。
メインストリートは道路が大きく両面に建物が並んでいて、 統一より一様(homogen)な印象です。
あまりポイントがありません。
右はこのメインストリートの裏です。
これを見たら日本のカオス、 混雑した様子が良くわかります。
変な個人的な自由が強く、 よく変化する街。
そして、 この変化がとても自然発生的(spontanious)で、 ダイナミックというより冷酷な印象が強いのです。
図3左は東京、 渋谷です。
デザインはよく考えられています。
しかし、 スケールが大きい。
図3右は一般の街の風景ですが、 これを見たら「いったい日本の都市計画家の専門分野は何なのか? 土木か」という気がします。
みんな一緒で、 とてもスタンダードな建物です。
殺風景という表現が一番合うかもしれません。
もうひとつは色です。
日本の街には色がほとんど出てきません(図4左)。
色が出てこないから、 化粧をしていない女性の顔みたいです。
ヨーロッパは、 強い色がよく見え、 それがアクセントになっていて、 見るのが楽しい。
まるで化粧をしている女性みたいです(図4右)。
団地では洗濯物とか布団がたくさん並んでいて、 それがひとつの助けになっています。
これを恥ずかしいことだと言う人もいるかもしれませんが、 私にとってはすごくいいことです。
とても自然で、 殺風景なファサードの印象を取り除いています
。
図5左を見たら、 白い色が多く見えます。
日本人は、 白に清潔感を感じて憧れているようですが、 私は図5右のように、 例えば布団のパターンでも、 もっといろんな色を使ったらすごく綺麗ではないかと思います。
もちろん、 日本にも変わっている空間もあるのですが、 時々変わりすぎている空間もできています。
それを見たら「住んでいる人がうまく利用できるかな」という疑問が沸くのです。
シンボリックな空間は、 住宅に合わない部分があるんですね。
美術館には合うかもしれませんが、 住宅という住んでいくための建物は、 もっと使いやすいほうがいいと思います(図6左)。
図6右も格好のいい住宅なんですが、 ちょっともったいない空間があちこちにできています。
日本の都心
日本には、 人々がたくさん住んでいる所、 空間が混じり合う所、 本当の意味での都心(urban center)がまだあります(図7左)。
東南アジアにはショップハウスという形がよく見られます。
日本には、 また違うタイプのショップハウスがあるのです。
図7右では建物の1〜3階は仕事のための所で、 その上が住むための所です。
次は商業の空間です(図8左)。
左では製品がファサードの一部分になっています。
これはすごく人工的(artificial)なファサードです。
そしてもうひとつは、 見たら目を離したくなくなるくらい素敵な芸術的なファサードです(図8右)。
次は看板の話です。
図9左を見たら、 看板と建物と人々を合わせると、 とてもいい風景になっています。
なにかライフリーというか。
ただ問題は、 漢字で書かれている看板がうまくデザインされていないことです。
格好のよくないものが時々あります。
そんなこともあって、 若者がよく来る店では、 漢字よりローマ字を使った看板が最近目立っています(図9右)。
お金持ち、 日本
図10左を見たら「日本はすごい金持ちだ」という印象です。
昔から野心的なプロジェクトがあって、 素晴しいと思います。
機能的に見たら疑問はあります(図10右)。
日本は、 経済も技術も問題がないから、 建築家がデザインしたらなんでも実現できる。
それは私たちにとって、 とてもうらやましいことです。
私の国だったら、 経済も技術もハンディキャップ(handicap)があって、 一生懸命リサーチしても実現できない場合が多いのです。
日本はそういう所がない。
だから、 国際的に有名な建築家が日本から出るのは、 当り前だと思います(図11左)。
面白いのは、 外国の風景をそのまま日本に持ってきて建てられていることがあることです(図11右)。
スペイン村とかハウステンボスもそうです。
例えばマレーシアにもリトル・インディアがあり、 アメリカにもリトル・イタリーがありますが、 それは、 歴史的な現象(phenomenon)でできている環境です。
図11右はリトル・ヨーロッパですね。
もしかしてこれはヨーロピアン・マインディッドの表現でしょうか。
私はあまりよくないと思います。
美しい日本
日本は美しい自然にめぐまれています。
例えば、 紅葉はどこにでもあると思うんですが、 日本は、 自然と人工的なエレメントがうまく共生しています。
すごく上手だと思います(図12左)。
例えば、 桜は綺麗です。
それをどうやったら、 もっと美しく、 楽しめるかということを考えているんです(図12右)。
日本はカオスだという批評がよくあるんですが、 よくデザインされているところもたくさんあると思います。
一つはウオーターフロントエリアです。
カオスの中にこういう風景があるから、 良さが目立つのかもしれませんが、 これも良いアーバンオアシスだと思います(図13)。
昔からあるウオータフロントもあります。
例えば、 近江八幡は昔から生きているところですが、 昔の様子を再現したり、 保存したりして、 素晴らしい景観ができています。
ただ図14左は、 ちょっと化粧をして磨いたような景観です。
図14右は、 伊根町です。
これはもう化粧しなくてもいいんですね。
伊根町みたいな所をデザインしている人は、 もしかしたら独学者(autodidact)かもしれません。
私たちエデュケイテッド・プランナーとしては、 こんな素晴しい景観が、 勉強をしなくても何故できるのか、 ヒントを探さないと駄目じゃないかと思います。
私は、 一度、 古い町家に泊ったことがあります。 日本人の知り合いのおばあちゃんが、 こんな家があるから、 ということで泊めてくれたのです(図15左)。
このとき、 全然寝られませんでした。 なぜかというと、 この建物と道路の間に緩衝空間がないため、 車が通ったら建物が揺れる。 私は2年前の地震の経験がありますので、 とても寝られなかったのです。
私たちはよく「保存しよう」と言うのですが、 そのために住民たちが犠牲になるのじゃないかと思います。
図15右は長屋で、 街の中心にまだこういう風景があります。 長屋は、 建物の裏と表の感覚がなくて、 とてもきつい空間です。 そんなきつい空間にたくさん緑がつくられています。 そこで私たちは、 「住人はそういう事まで考えている」とすぐ勘違いをします。 もちろん、 美しくなっていることは、 とてもいいことだと思いますが、 美観を考えてそうなっているわけではありません。
京都が存在している、 それだけでも日本人に感謝しないといけないのかもしれません(図16)。
例えば、 ヨーロッパに行ったらゲーブル(gable)が道路に向かっています。 日本は屋根を隠しています。 屋根が違う側に向かっているから隠れた雰囲気(secretive)の町並みがよくできるんですね。 それもすごくいいところです。
さっきは材料の話でしたが、 あとは飾りです。 シンボリックな飾りですごい綺麗な風景もできています(図17)。 こういう風景が街を歩くとよく見られます。 これもいいところだと思います。
どうして日本はオープンスペースがないのか、 図18を見るとよくわります。 道が急に大きなオープンスペースになる。 祭の時にそうなる。 人々も溢れて、 その時、 道路がひとつのコミュニケーションの媒介になっています。
景観には、 生活のライフショー(life show)が必要です。 例えば、 街を歩いていて見られるこんな風景も、 景観の要素のひとつです(図19左)。
図19右は北野神社でのフリーマーケットです。 神社は神聖なところですが、 マーケットをやったら、 神聖なところと日常生活のギャップがなくなるんです。 神社もひとつの日常の生活の部分になっています。
それはフィジカルなエレメント、 鳥居みたいなもの(図20右)、 あるいは生活の習慣、 例えば靴を脱ぐ習慣です。 そういう習慣をずっと守っている。
日本の景観はカオスでも、 こんな習慣を見たら、 やっぱり生活にはハーモニーがあるのです。 というのは、 みんながルールを守っているからです。 例えば、 図20左は和式の建物ではありませんが、 靴を脱がないといけない。 ちょっと面倒くさいのですが、 それもひとつの習慣だから脱がないと駄目です。
日本は宗教がないとよく言われていますが、 よく見たら、 日本はどこにでも神社とか寺があります。 大きいものから稲荷神社みたいに小さいスケールまで、 どこにでもあります。 これを見たら、 日本はとても宗教的な国じゃないかという気もします(図21)。
まるで、 綺麗なゴーストタウンです。 いったい人々はどこにいるんだ、 という疑問が出てきます(図22)。
街の中心に行けば、 みんながどこに行くのかよくわかる。 日本人は、 住居の周辺で、 あまり時間を過ごさない。 みんな自分のタスクがある、 みんなグループがある、 みんな自分の行くところが決まっている。 おばあちゃんたちはみんな図23左のようなところに行く、 若者はアメリカ村とか、 若者ばっかりのところに行く(図23右)。 オヤジもオヤジのところに、 子供も子供のところに行く。
住民は「街がどうであっても問題がない」と考えているんじゃないかと、 私はよく思います。
日本では例えば駅とかでは人がたくさん見られるし、 梅田のBIG MANの前は人々のミーティング・ポイントになっている(図24)。
アーバンデザインやプランニングを勉強をしている人は、 こんなところとかをもっとリサーチするほうがいいんじゃないか、 と思います。
みんなが行くところがデザインされているのかどうか、 私は疑問に思います。 たまたま、 ミーティング・ポイントになっているのかもしれない。 みんな、 一番わかりやすいから、 ここで集まっている。 でもデザイン的にはあまり考えられていないみたいです。
最近よくある車のナビゲイション・システムですが、 私は最初この機械を見たときに、 機械が私たちを侮辱しているような気がしました。 人間に都市の認識はいらないということだ、 ということです。
100年後、 200年後の日本はもっともっとカオスだと思います。 カオスだけれども、 もっと賢い機械が作られるかもしれない。 だから、 もしかしたら、 100年後、 200年後は、 アーバンプランナーはいらないかもしれません。
結論を言うのは難しいんですが、 言うとすれば、 「日本の未来にアーバンプランナーはいらない」が、 私の今日の結論になるかと思います。
歴史的町並み
最近、 古い町並み、 歴史的な町並みを保存しようという議論がよく出ます。
伝統と宗教
日本には昔からよく守られている要素があります。
誰が美しい街を望んでいるのか
整備されている街を訪ねたら、 ちょっと寂しい気分がします。
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