またそれぞれどのような特徴があるのでしょうか。
山田
痛いところを聞いてこられますね。
本来、 瓦は適度の粘土があればどこでも造れるんです。 昔はいろんな地域にいろんな瓦屋さんがあって、 そこの土を焼いて瓦をつくっていたのです。
三河、 淡路、 石州もそれぞれの特徴があったのです。 石州は寒いので、 1200度ぐらいで耐火度の高い瓦を焼いています。 その結果、 収縮が大きくて暴れていると言われています。
淡路は本来燻し瓦の産地でした。 地面から浅いところの、 それほど長い間眠っていない土を1000度ぐらいで焼いていました。
三河はまわりに常滑や瀬戸の焼物の本場だったことで、 技術的に幅の広い瓦の産地だったわけです。
ところがどこの産地も装置産業化して、 土も適度にブレンドして、 燃料もすべてプロパンになってしまったわけです。 明治から考えると木から石炭、 重油、 プロパンと4回も燃料が変わっています。 このあたりも瓦屋が反省しないといけないところです。 国宝級の良い瓦は、 どんどん流れて生産される融通の利かない馬鹿なトンネル釜では焼いていないわけです。
この前、 「日本鬼師の会」で問題になったのは、 仮に一部の良い瓦だけ残ってもだめだ、 普通の瓦が良くならないと駄目だと言うことです。 文化財の修復にしても、 今の瓦では修復出来ないのです。 国宝や重要文化財の瓦を誰が製造し、 修復するのかです。
瓦屋さんも社会的責任を言うのであれば、 三河、 石州、 淡路の三大産地は、 いまや全国区なのですから、 都合の悪い時だけ国や県に「地場産業の育成のために宜しくお願いします」なんて言ってもだめです。 地場産業なら地場産業らしく、 生産枚数を減らすとか、 全国区ではない生き方がないのか。 言い換えると全国制覇を目指して大量生産を続け、 一方、 特殊な社寺建築の歴史を持ち出してきて、 いきなり住宅の瓦をやろうと言うのは問題です。 産業と文化の問題です。
本来、 三河も、 淡路も、 石州も、 それぞれの特徴があったはずなのですが、 いまは、 全国どこの工場もほとんど一緒です。 お金と土地さえあればどこでも瓦はできる。 今度は中国から土を持ってきています。 煉瓦のつくり方と一緒です。 オーストラリアからどんどん持ってくる。
これを国際化だといって喜んでいいのか。 ほんとの意味での地場産業をどうするのかということです。 文化財になることだけがいいということじゃなくて、 産業としてどうするのかということです。 これは瓦だけじゃなくて、 木も、 和紙もそうです。
僕の場合は15年前、 土が豊富にあり瓦の集落があり瓦師の職人たちが多く残っている淡路に来ました。 海に囲まれた島の独特の独自のロマン?…があります。
しかしなぜ僕が淡路瓦師にこだわったかというのは、 ローカルアイデンティティをもって、 そこから地場産業を考えないと、 都合の良い時だけ地方の時代だ、 地場産業だといっても、 ほんとの意味での地場は見えてこないのではないかと思ったからです。 限りない大量拡大生産を続けて、 粘土を焼いてそのあげく、 瓦の売れ行き不振を地震のせいだけにしても仕方がないです。 日本の瓦屋さんたちに個々特有の強い個性が急激になくなってきています。
そんなこともあって、 10年前「日本鬼師の会」を京都の大江町を事務局にして組織しました。
ほんとは大手の瓦メーカーが職人育成のためにこういうことをやらなければいけないんだけど、 大手の瓦メーカーはどのハウスメーカーに大量の瓦を使ってもらえるかだけに気をつかっています。 これでは、 不健全な建材になっていくんじゃないかと思います。
私が淡路瓦師にこだわっているのは、 ほんとは全国の瓦屋さんにこの辺で瓦の原点にかえって考え直そう…ということです。
ご質問の産地を比較してどこが違うのかということですが、 ほんとはちゃんと示せるようになりたいものです。 ありきたりのJIS規格じゃなくて、 どんな粘土をどう焼いたかといった特有の特性のデータこそが必要です。 しかし、 下手にデータを出すと、 大手ゼネコンがそれだけで判断するようになったりする。 県の工業試験場の判子さえあれば良いみたいなことになってしまう。 今でも僕は実績がない、 職人はない、 工場ももっていないから、 しょうもないデータを要求されて困っているわけです。 そのあたりが難しいところです。
司会
時間がまいりましたので、 終わりたいと思います。 今日はどうもありがとうございました。