今日は、 我々の仕事をスライドで見ていただきながら、 私が環境デザインをどのように考えているかということをお話させていただきますので、 環境デザインの領域あるいは将来像のようなものを考えるきっかけにしていただければと思います。
私は早稲田大学の建築学科を卒業し、 さらに大学院で建築デザインを専攻しました。 先生の穂積信夫は、 アメリカのサーリネンのところで勉強してきた人です。
学生時代には、 いろいろな設計事務所でアルバイトをしましたが、 大学院時代は、 もっぱら現代計画研究所におりました。 授業の合間や夜、 日曜日などはほとんど事務所にいたのです。
ちょうどその頃は、 丹下建三の東京計画1960、 大高正人や槙文彦による人工土地の提案、 大谷幸夫の麹町計画といった、 アーバンなスケールを形にするデザインの動きが注目を集めていた頃です。 それは、 システムがそのまま立ち上がったような形でしたが、 非常にダイナミックで魅力的なものであり、 従来の市街地像とは異なるもので、 都市デザインとか都市計画と言われていました。
大学でも、 いわゆる建築領域とは別に、 武基雄やコルビジェのところで学んだ吉阪隆正等の研究室が都市計画の領域を教えていました。 環境デザインやアーバンデザインというより、 都市計画といっていた時代です。
私の師匠である藤本昌也も、 当時、 大高正人の事務所から独立したばかりでしたが、 都市デザインの発想で建築や環境を考えていました。 私は当時学生だったわけですが、 事務所では、 港北ニュータウンの地区センターや近隣センターの街区の絵というか、 デザインをやらされていました。 街区のデザイン、 つまり、 土地割りというものですが、 どこに鉄道が通って、 駅前広場をどういうふうにとって、 施設用地をどういうふうに確保していくか、 といったことを、 最終的に建築が立ち並んだ様を想像しながら、 絵にしていくのです。 空間がどう抜けていると気持ちよい空間になるか、 あるいはどう止まっていると気持ちよい空間になるかといった、 関係性を想像するなかで、 街区のデザインをしていくのです。
同じ頃、 別の机では、 茨城県水戸市の六番池という小規模な公営住宅の設計がすすめられていました。 それまでの標準的な豆腐型の平行配置のものではない、 もっと地域に根ざした公営住宅ができないかというのがテーマだったのです。
そんなわけで、 小規模の地域型の公営住宅を一方ではやりながら、 ヘクタール単位の土地をいじるようなことも同時にやっているという事務所でアルバイトをしていたのです。
私は、 大学院を終えましてから、 この現代計画研究所に就職したわけですが、 5年後に個人的事情で大阪に戻ることになり、 現代計画研究所大阪事務所を設立しました。 それから、 現在までの約15年間、 何ヘクタールの規模の計画から、 単体の建築、 材料や部品の開発、 または従来なら建築分野ではない仕事などを、 常に、 同時にやりながら、 現在に到っています。 それも、 どちらかというと関西という風土のなかで考える場面が多いわけです。
大阪大学の鳴海先生は、 都市環境デザインに関して、 こう書いていらっしゃいます。
その意味で、 環境デザインは、 システム的な理解の人間化、 地域化を通じての実体化、 という役割を担っているということが出来る』(注1)
次からは私の文章ですが、 その住宅が建つ場所はそこにしかない状況、 その唯一の環境即ち「場所性」に導かれて(建築家の個人的原体験に基づく思い入れや住まい手のそれとの応答をくり返しながら)できるだけ素直な心で、 そこにしかない(しかし、 そこにあるのが最もふさわしい)住宅が創り出され、 そこにしかない発見がもたらされたら………』(注2) 私は“場所性”を考えることを、 「場所の声を聞く」と言っているが、 時間軸を含む、 歴史、 風土、 地形、 土地の記憶といった大地の声との応答の中で、 何を連続させ、 何を引き継ぎ、 何を新しい要素として新しい歴史を創っていくのかといったことを考える意味は、 単なるかたちの表現にとどまらず、 創る側と、 周辺の創られる側の異なる価値基準をいかに連続させるかということである。 さらに言えば、 このように新旧の異なる価値基準を「場所の声」を介在させることによって連続させようという姿勢が、 これからの日本の国土全体の在り方を考える都市デザインにとってきわめて重要であるということである』(注3)
そうしたこれまでの計画を乗り越えるためには、 人と自然、 人と人との関わり、 生活のダイナミズムやプロセスに注目する必要がある。
魅力的な都市をつくる集住の形態は、 どのようにデザインされるべきなのであろうか。 集住空間のデザインにとって、 極めて重要だと考えられる3つのキーワードがある。 (1)地域性、 (2)共同性、 (3)社会性である。 簡単に言えば、 地域性とは、 標準解や普遍解ではなく、 特殊解によって生活文化を考える視点であり、 共同性とは、 〈公〉と〈私〉の中間の空間、 つまり〈共〉空間を鍵とした空間配分構成手法の視点、 社会性とは、 生活者の空間と街の空間の平衡関係をつくり出す社会ストックとしての〈環境構造〉といった視点である。
都市景観を計画する上で最も大切なポイントは、 都市生活、 あるいはコミュニティ生活を支える〈公空間〉や〈共空間〉を視覚的に表現することであり、 それを「空間構造的表現」ということができる。 都市景観のあり方をを決定づける要素は、 空間の〈構造〉と〈様相〉に分けて考えられる。 空間の〈構造〉とは、 〈空地〉の基本形態と〈建築〉の基本形態の有り様である。 〈様相〉とは、 空間の表層における視覚的表現の有り様である』(注4)
ひとつは結果としてのデザインを支えるシステム、 方法であり、 もうひとつは、 優れたデザインを生み出し、 実現させるのに有効なシステムである。
結果としてのデザインのサポートは、 環境や景観のサポートということにほかならない。 都市景観が生活空間総体の表現であり、 生活のダイナミズムやプロセスに注目する表現であるとすれば………。
そのまえに、 何といっても、 本質としてそれを育む構造や様相のデザインが求められる。 しかし、 現実には、 旧来の標準的、 一元的基準や分断的発注形態等、 なかなか超えがたいハードルが数多く存在することも確かである。 デザインに関しても、 連続的に議論できない状況になっていることも問題である。 つまりは、 デザインを支える社会システムの立ち遅れということになろう。
われわれは、 そういった状況の中で、 デザインの実践という機会を通して、 デザインを支える社会システムをつくりあげていかねばならない。 このことは、 デザインの可能性を左右する重要なポイントである』(注6)
都市環境デザインとの出会い
環境デザインへのキーワード
そういう背景の中で、 都市環境デザインを理解するための私なりのキーワードといったものを先にお話しますので、 スライドを見るときの参考にしていただければと思います。
『なぜなら環境は、 文化的、 地域的な存在であるからである。
『その住宅が建つ「場所の声」、 なかなか聞き取るのは難しいけれども、 それを大切にしたいと思っています。
『かたちの表現手法としてだけでなく、 その奥に在る”場所性”を考える意味が大きい。
『今日の、 特に計画的につくられた都市空間や集住空間に、 われわれが都市景観としての貧しさを感じるのは、 計画時における重要な視点の欠落、 即ち都市景観を生活空間の総体の表現として考える視点が欠落していることが大きな原因なのではないだろうか。
『われわれは環境構造と、 それを支えるマテリアル、 ディテール、 といった視点で常に集住環境を考えているが、 そのことはつまり、 住環境の基本的骨格やその骨格における素材、 ディテールがベースになり、 そこに住民の手や時間の経過が重ねられて、 住民の記憶に残る、 愛着のある住民の街が形成されていくという考えである』(注5)
『デザインをサポートするものとしては、 2つの視点が考えられる。
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