昔の人たちは、 しっかりと、 きっちりと、 きれいな土木を作っていました。
図2は南禅寺にある琶湖疎水の水路閣です。
「西洋の歴史様式をそのまま引き写しただけ」とも言えますが、 意欲的なデザインで作っています。
図3は、 香川県にある豊稔池ダムです。
アーチをたくさん重ねたマルチプル・アーチ・ダムで、 大正年間につくられたダムです。
デザインとして非常に優れていました。
残念なことに、 水漏れがひどくて改修した結果、 以前とは似てもにつかないものになってしまいました。
図04はアーチがシャープだったのですが、 改修によりにぶい感じになってしまったものです。
もともとあったところに、 表面に同じ厚みでもう一度コンクリートを巻くという乱暴なことを平気でやって、 せっかくの文化財を、 いってみれば破壊してしまったということです。
残念な事例です。
次は、 大阪市内でのいろんな橋づくりの話です。
京大の建築学科に武田吾一という先生がいたのですが、 そういう人と相談しながら作り上げていったということです。
図5は水晶橋です。右の図06は大江橋です。
これはコンペで作った模型です。
この写真集は昭和5年に発行されています。
模型しか作られていませんが、 都市景観をきっちり考えて作って下さいという要綱のもとで実施されたコンペです。
優れた橋を作ろうとしていたことが分かります。
図07は江戸期に作られた九州の通潤橋です。
九州の方には、 こういった眼鏡橋がたくさんあります。
これを見ますと、 アーチのところには中国あたりの技術が入ってきていると思いますが、 例えば足下の線などは、 どう見ても日本的な線で、 石垣にある線そのものではないかと思います。
つまり、 日本的な造形にきっちり昇華して作っていると思います。
1850年代ですから、 だいたい150年ぐらいたっています。
図08も同じですが、 たまたまバイパス的につくられた現代の橋がとなりに並んでいます。
問題となった和歌ノ浦の橋のような感じです。
比べてみていかがでしょうか。
新しい、 現代の技術で作られた橋が、 造形的に見れば比較になりません。
おそらく現代の橋は、 力学的にも、 経済的にも、 社会的にも、 あらゆる面から見て合理的であろうと思います。
合理的に作ったこの橋が、 なんという頼りないものになってしまうのか。
こういうふうに並んでいるのを見ると、 考えて込んでしまいます。
いずれにせよ歴史的に見れば、 土木づくりは、 西欧ではローマ以来の伝統で、 ちゃんとした作り方をしていますが、 日本でもそんなにいい加減なものばかり作ってきたわけではないということが分かるわけです。
今日は、 いい土木も悪い土木もたくさん見てきました。
本来的には土木は、 我々の環境の中で、 日常に親しまれ、 なおかつ環境の基調をなすものとしてあるべきものです。
そして、 そういう土木が少なくないことも確かです。
しかし、 なかなかそううまくは作られていないのも多いという状況があることも事実です。
構造的にそういうことになっているという面が多々あります。
つまり、 土木づくりのシステム、 土木にとってのデザインが重要であるにも関わらず、 困難であるという状況によく出会います。
しかも、 公共事業に対して、 そう多くのお金はかけられなくなってきていますので、 土木系のコンサルタントは、 どこも大変な状況にあるようです。
ただ、 私としては、 若いみなさんが、 そういうことをよく理解して、 それでも、 そういう土木のデザインの領域へ積極的に飛び込んでいっていただきたいと思います。
建設コンサルタントという業界が世の中にはありますが、 そういうところに積極的に飛び込んでいっていただいて、 なるべくいい土木を作っていただきたいと思います。
別の分野で活躍される方も、 土木の重要性をよく認識していただいて、 そして、 土木屋さんとうまく協調しながら、 土木づくりをしていっていただけることを期待してます。