関西ブロックイタリアセミナー
(株)アーバンスタディ研究所
土橋 正彦
1。 関西ブロック海外セミナー
関西ブロックの定例行事には月例の都市環境デザインセミナーと、 年一回の都市環境デザインフォーラム・関西とがあったが、 昨年から新たに年1回の海外セミナーが加わった。 月例セミナーとフォーラムは会員相互の情報交換や都市環境に関心を持つ人々への情報発信を主な目的としていて一般にも公開するのに対し、 海外セミナーは、 海外の同じ関心を持つ人々との交流を通じて会員の知見を広めることに主眼をおいている。
写真1 パラッツォ・ガスパリーニ
写真2 都市環境デザインガイドマップ展
写真3 セミナー風景
写真4 交歓パーティー
第1回の昨年は、 有志26名がイタリアの小都市を訪れ、 「巨大都市時代における地方都市の可能性」と題したセミナーを開催し、 また現地の市民と交流し、 生活を体験する機会を持った。 いろいろな面でわが国とは異なる事情のもとで、 山間の小さな町がどのようにまちづくりに取り組んでいるのかを目の当たりにし、 参加メンバーにとって、 文献からだけでは知ることの出来ない貴重な体験となった。
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表1 セミナー行程 |
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表2 セミナープログラム |
3。 メルカテルロ・スル・メタウロ
(1)位置
今回のセミナーを開催したメルカテルロ市は、 直線距離でローマから北に約200km、 フィレンツェから東南東に約100km、 アドリア海から約50km西に入ったアペニン山脈の中の小都市である。
このアペニン山脈から流れ出て東のアドリア海に注ぐメタウロ川という小さな川がある。 まちの名前は「メタウロ川の畔にある市場(メルカート=マーケット)」に由来する。
(2)歴史
パオロ・チンチルラ氏の講演に沿って、 メルカテルロの歴史を簡単に紹介する。
まちの起こり
まちの歴史は13世紀頃に遡る。 当時は麻の衣料や木材の交易で賑わい、 中部イタリアの経済拠点のひとつであった。 その経済力や自治権はなかなか強大で、 現在に至るまでまちの誇りであり続けている聖フランチェスコ教会もその頃に建立され、 メルカテルロはこの地方の宗教の中心としての地位も占めていた。
ルネッサンスの頃
その後15〜16世紀のイタリア・ルネッサンスの時代に入ると、 メルカテルロは自治権を奪われて政治的な地位を低下させるが、 フィレンツエとアドリア海の港町コーナを結ぶ交易路の上に立地するという地理的条件のもとで、 経済的な繁栄はなお続いたという。 セミナー会場であるパラッツォ・ガスパリーニも17世紀中頃に建てられたものである。 しかし、 1636年にこの地方が教皇直轄領に組み入れられた後は町の勢いは衰え、 図書館を、 したがって町の様々な記録も火災で失ったりという時代で、 メルカテルロの歴史としては一番暗い時代であったという。
イタリア王国時代〜ファシズムの時代
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メルカッテロ・スケッチ(by 井口純子) |
第二次世界大戦ではメルカテルロも爆撃を受け、 いくつかの歴史的建造物を失った。 なかでも聖フランチェスコ教会に面した貴族の館の被爆は、 チェントロ・ストリコの中にオーバースケールのアパートを出現させてしまった。
4。 セミナーの成果
海外でセミナーを開催するのは関西ブロックにとって初めての試みであったが、 多くの成果があった。 その大きな理由は、 縁を得てイタリアの、 それも山間の小さな町で開催できたためであると考える。
メルカテルロに滞在したのはメンバーによって2日〜5日間と、 決して長い期間ではなかったが、 まちづくりへの取り組みと成果、 そして課題の実際をつぶさに確かめることが出来た。 この経験は、 参加メンバーが似たような状況に置かれているわが国の過疎地におけるまちづくりや風景づくりを考える際に、 大きく役立つことであろう。 また、 過疎地に限らず、 中小都市にとって中心市街地がどうあるべき存在なのか、 さらに都市を取り囲む風景をどう考えるべきなのかという点についても、 考えさせられる点が多々あったように思う。 それらの具体的な内容については、 井口、 上野、 榊原、 森重、 大矢の各氏の報告に一端をかいま見て頂けることと思う。
“大普請”の時代を終えようとしているわが国の状況と対比して考えるとき、 イタリアの都市計画、 風景計画の理念、 さらにインフラや住宅の作り方、 使い方、 後世への伝え方等々、 今回のセミナーは、 参加メンバーそれぞれにとって日本での仕事に考えるヒントを多く与えてくれた。
5。 今後の展開
海外セミナーを定例化すること、 また開催地の受け入れグループとの交流を継続するという二通りの展開を目指す方向に動いている。
第一の定例化については、 昨年に引き続いて今年はインドネシア(ジョグジャカルタ及びバリ)を訪問するセミナーを開催する。 現地の大学との共催の形を取り、 昨年同様の成果が期待されるところである。
第二の交流の継続に関しては窓口となる組織が育ちつつあり、 相互に訪問し情報を交換する場が再び持てればと考えている。
6。 おわりに
最後に、 この企画を受け入れて下さり多大な支援を頂き、 さらに催しに参加していただいたメルカテルロの市民の皆さん、 マウリツィオ市長、 パウロ・スパーダ氏を初めとする現地の講師陣に感謝の意を表する。 また、 企画の種を播き、 率先して計画を進め、 宿舎までご提供いただいた井口ご夫妻に、 深く感謝を申し上げる。
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