極私的イタリア紀行
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10月10日 イタリア初体験

 

 

ローマはあまくない

 朝の8時、 といっても日本時間だから現地時間なら1時なのだが、 目が覚めた。 眠らなければ。 でも1時間ごとに目が覚める。 12時に、 たまらなくなって朝の散歩に出ることにした。

 現地時間の5時だから、 まだ人気はない。 ホテルのそばのテルミニ駅にゆく。 ところどころでバールが開いていた。 30分ほどうろうろしてホテルへもどる。 疲れているのだが、 眠気は感じなかった。

 ホテルで朝食を済ませる。 飛行機の中でやった仕事を送るべくフロントに郵送を頼みに行くと、 郵便局にゆけという。 テルミニ駅のほうにあると教えてくれた。

 テルミニ駅で郵便局を探す。 途中、 絵葉書を買うと2000リラだという。 おとなしく払ったがよく考えると1枚150円になる。 高すぎる。 駅のキオスクの普通のネーチャンだったが、 ぼられたようだ。

 簡単に見つかると思った郵便局が見つからない。 人に聞くとあっちだというので、 駅にそってずいぶん歩いてみるが、 それらしきものがない。 不安になってくる。 一度、 駅に戻って案内版をよくみると、 郵便のマークを見つけた。 いさんで行ってみたが、 ない。 どうしてないんだ。 悪態をつきながら戻りだすと、 別の案内サインがあった。 やはり同じ場所をさしている。 もう一度、 探してみると郵便局ではなく、 大きなポストだった。

 後でグループについてくれたガイドさんである馬場さんに聞くと、 切手はタバッキとか呼ばれるタバコや雑誌を売っている街のキオスクのようなところで買うらしい。 とはいえ、 なんぼの切手を貼れば良いのかも分からない。 エアメールだし、 結構重いんだけどと言うと、 中央郵便局までゆくのが良いと言う。 ほんとうだろうか。 ローマの人は料金表も持っているのかもしれないが、 それにしても書留とか、 いろいろあるだろう。 大都市ローマで「中央郵便局に行け」はないものだ。


倉庫みたいな部屋でした

 集合時間も迫ってきたので諦めてホテルに帰る。 途中のバールで土橋、 難波、 横山氏を見つけた。 昨夜、 別のホテルに連れてゆかれた人たちだ。

 

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ローマ第一日目、ホテルからの眺め
 
 「どうでしたか。 ホテルは」と土橋氏。

 「可もなく。 不可もなくじゃない」と、 僕。

 本当はお高い阪急交通公社が手配したホテルと言うので、 ちょっぴり期待していた分、 がっかりした面もあるのだが、 交渉その他に苦労してくれた幹事の土橋氏に遠慮したのだ。 これなら代替のホテルの行った方が良かったかもしれない。 オーバーブッキングのお詫びにワンランク上のホテルだったに違いない。

 「ところで、 そちらは」と何気なく聞く。

 「物置でしたよ」と土橋氏が声を荒げる。

 「男二人ダブルベッドで寝ろというんだよね。 僕はかまへんと思ったけど、 相棒が嫌だというので、 ベッドを分けてくれといったら、 怒り出しちゃって。 交渉すること3時間ですよ。 ガイドの馬場さんも怒りだすし、 馬場さんが、 会社に相談の電話をかけるのを、 ホテルの人は、 電話代はこっちもちなんだ。 うちは何も悪くないってわめくし、 ベッドに入れたのは朝8時でしたよ。 日本時間ですけどね」と難波氏。

 「今日、 予定していたホテルの部屋を見せてもらったんですよ。 天国みたいでした。 涙が出てきて……。 ほんとうに木賃宿でした。 窓を開けたら下着が干してあるし、 シャンプーもなにもかも使いさしみたいだし」と横山さん。

 それはそれはなんて適当にいって逃げかえった。


いよいよローマ観光へ

 ガイドの馬場さんに引き連れられ、 バスに乗ってローマ観光に出かけた。

 共和国広場を通ってまずはトレビの泉へ。 途中、 土橋さんが「前に来た時にとまったホテルはあれですよ」と広場近くのいかにも立派そうなホテルを指差す。 「そりゃ、 高いツアーだったんでしょ」と言うと、 「そんなことはないですよ」と静かに不機嫌そうに言う。 相当こたえているようだ。

 バスを下りてトレビの泉に歩いてゆくと、 「ここが路上マーケット。 あれが大統領官邸ですよ」と馬場さん。 どうりで武装したガードマンがいるわけだ。 建物にも監視カメラがついている。 とはいえ20m近い垂直の壁。 これを登って襲うのは大変そうだ。

 トレビの泉には背を向けてコインを投げるのがよいと言う。 1回投げると愛しい人と結ばれるのだそうだ。 3回投げると離婚できるとかいうが、 ここはおとなしく、 僕とゆっちゃと1回ずつ放り込んだ。

 トレビの泉からベネチア広場まで歩いてゆく。 昔のマーケットの跡。 掘り出された遺跡。 これがローマだ。

 皇帝大通りをコロッセオに向かう。 時間がないので外から見るだけにしてくれといわれた。 環境開発の有光氏をつかまえて、 大阪ドームとどちらが大きいのかと聞いてみた。 「そりゃ、 大阪ドームのほうがずーっと大きい。 ここは競技場の直径が80mだけど、 大阪ドームは120mはある」。 「でも5万人でしょ。 大阪ドームはたしか3万か、 4万」「そやね。 周りがでかいということや」とのこと。 それにしてもそんなものを2000年前につくったんだからすごい。

 昔、 歴史の先生が教えてくれたのだが、 日本の議員さんがローマを訪れた時にコロッセオを見て「爆撃でひどくやられたんですなあ」と言ったという。 その時はなんて無知な議員さんなのだろうと皆で笑った記憶があるが、 まんざら馬鹿でもない。 観光客で賑わっているが、 どこか荒涼としてた。

 ゆっちゃが3000リラのミネラルウォーターを買う。 冷やして氷にしてあった。 高いのではとガイドさんに聞くと、 「観光地だからこんなものでしょう」との返事だった。 まだ物価が全然わからない。 ぼられないように気を引き締めなければ。

 続いてバチカンへ行く。 セントピエトロ寺院だ。 ここにピエタがあるというのでいさんでゆくが、 さっそく迷ってしまう。 大クーポラというところに人が並んでいる。 有料だけど、 ここにともかく入ろうか、 どうしようかと悩んでいると難波さんがいた。

 「ピエタが見たいんだけど」

 「僕もそうなんだ」

 「どこだろう」

 「ここはクーポラって書いてあるし」

 「クーポラねえ。 なんだろう」

と相談していると、 ゆっちゃが脈絡もなく
 「クーポラのある街」とぽつりとつぶやく。

 「これ」

と難波さんが人の嫁さんの頭をどついていた。

 「どうも、 こことちゃうみたいや」

と引き上げる。

 次は正しくピエタにたどり着いた。

 だが、 見えない。 ピエタから5mぐらい離れたところに縄は貼ってあるし、 ピエタの前にはガラス。 目が悪いから、 ぼんやりとしか見えない。 しょうがないのでカメラでアップで見てみたが、 やっぱりぼんやり。 このとき、 ゆっちゃがこっそり絵葉書を買ってくれていた。 後で見ると現物より鮮明で、 結構、 奇麗に写っていた。

 

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サンピエトロ寺院 壮麗な外部空間
 
 サンピエトロ寺院の内部は、 かなりおどろおどろしい。 写真の柱は、 おそらくもっとも神聖な行事を行う祭壇を際立たせるために設けられたものだろうが、 悪魔にささげられているようにも感じられる。

 外部空間は威厳があり、 壮麗でもある。 有料トイレも奇麗で、 普通。

 最後は駅にもどって近くの旅行社手配のレストランで昼食をとった。 始めてのイタリア料理。 旅行社手配にしては不味くはない。 ただデザートは甘すぎて食べられなかった。 ゆっちゃはペロッと平らげていた。


ジプシーに遭遇

 いよいよ街へ。 ゆっちゃと2人、 カラカラ浴場に行くことにした。

 地下鉄にのるためにテルミニ駅にゆく。 地下鉄に降りる階段はゆっちゃが見つけた。

 「ここよ」

 「そや。 ここや、 ここや」

と降りて行くと、 踊り場があった。

 おばさん2人と娘一人がこちらを睨む。 どういうわけか、 周りには人がいない。 彼女らは新聞を広げて近づいてきた。 なにやらワアワア言っている。 署名とカンパかな。 そう言えば昔、 似たような人たちが、 大阪駅にいたよな。 懐かしいじゃないか。

 あれ、 取り囲もうとしているぞ。 こら、 近づくな。 あっちいけ。

 ゆっちゃも心配して、 ガードしてくれる。

 これ以上、 近づいたら大声を出そうとしたとき、 彼らは近づくのをやめた。

 なにもしない、 わかった、 わかったと言うのか、 ニコニコしながら手をふる。 安心せいということかな。 うーん。 これが噂のジプシーなんだ。 胸がどきどきする。

 少し睨み合った後、 そそくさとその場を離れた。 地下鉄はもうひとつ下だった。 良かった。 ともかく無事に切り抜けたようだ。 ゆっちゃも安心したようだ。

 切符の買い方が分からない。 この機械で買うのかなあ。 タバッキで買うと聞いていたが、 それらしきものがない。 ともかく、 小銭をつっこんでみようかと財布を取り出そうとしたら、 なくなっていた。

 「おや。 ゆっちゃ。 財布がない!」

 「うそー。 さっきとられたの?」

 「どうも、 そうらしい」

 「いくら入っていたのよ」

 「うーん。 大きなお札は全部別のところに移しておいたから………。 ただ同然だよ。 」

 本当は、 数万リラは入っていたかもしれないのだが、 正直に言うと怖いので被害は控えめに言う。

 「あれはマリクレールの財布なのよ! 取り戻しに行かなきゃ」

 「もう、 いないよ。 諦めよう」

 「気に入っている財布なのよ」

 「しょうがないよ。 せっかくローマにいるんだから、 見学に行こうよ。 まずは切符だよ」

 ゆっちゃはすこぶる機嫌が悪い。


なぜ、 財布をとられたか

 ポシェットに財布を入れていたのは、 油断したとしか言いようがない。 彼女らはポシェットのチャックをあけて、 ガラクタの中から財布だけを選んで取り出していた。 おそらく、 大人が寄ってきて気を引いているすきに、 子供が手を伸ばしたのだろう。 50cm以内に近づかなかったと思ったのだが、 そうではなかったようだ。

 幸い、 財布には数万リラと、 500円のテレフォンカード、 どういうわけか置いてくるのを忘れたビデオのレンタルカードしか入っていなかった筈だ。 というか、 5万リラ以上のお札を別のところにしまうことに気を取られて、 財布を絶対に入れてはいけないと言われたポシェットに入れてしまったというわけだ。

 なんでも新聞を広げて近づいてくるのは、 彼らの常套手段らしい。 その時にのんきに昔を懐かしがっていたのは馬鹿であった。

 なぜ、 こんなに間抜けであったかだが、 一つには昨夜来の睡眠不足があるのだが、 もうひとつはローマの異常な暑さがあった。

 話ではイタリアは日本より寒いとのことだった。 10月なら11月の気温だというので、 セーターなど厚めのものだけを持って行っていた。

 鋭い人たちは、 朝の気温を感じて、 それなりの格好をしていたようだが、 頭でしか物を考えないたちの僕は、 11月、 11月と念仏のように唱えながら、 長袖の下着を2枚重ねにし、 その上に少し厚めのセーターを着込んでいた。 異常気象とかで、 夏場の服装の人もいれば、 季節柄、 多少は厚着をしている人もいる奇妙な街だった。 時差とボケと緊張で、 暑いとも気づかないまま、 ボーとしていたのだろうか。 ちなみにその日のローマは気温30度、 馬鹿の上塗りである。

 おかげで、 盗られたこともボーとしか感じない。 ともかく、 夢のローマにいるのだ。 たかがマリーなんとかの財布ごときで無駄に時間は潰せない。 警察に行くのならまだしも、 ここで悩んでいてもしかたがない。 さあ、 なんとかしてカラカラ浴場に行き着かねば。


カラカラ浴場のせこい係員

 別の入口に行くとタバッキで切符を売っていた。 切符を6枚まとめて買う。 一枚1500リラ。 一日有効切符も5000リラで売っていたが3回しか乗らないはずだからと6枚買った。 このあたりの計算能力だけは残っている。

 テルミニから3駅目、 CIRCO MASSIMO駅を出て、 不機嫌このうえないゆっちゃを連れてカラカラ浴場へ歩いてゆく。 それほど親切な案内が出ているわけではない。 地図やサインを睨みながら歩いて行くのだが、 肝心のところがよく分からない。

 運動場があるので、 ガードマンに「ここがカラカラか」と聞くと、 あっちだと教えてくれた。 結構聞かれることがあるようだ。

 たどりついて切符売り場を見たときには少し嬉しかった。

 入場料を払おうと5万リラ札を出したら、 両替料をよこせと言う。 せこい。 細かいのがないわけではなかったので、 ちょうど出す。 それに気づかないのか、 1000リラよこせとうるさい。 ちょうどだしているだろ、 とお金を指差し、 なんとか切符を手に入れた。

 小銭があるのに、 5万リラを崩そうと考えた僕もせこいが、 100リラの入場料を5万リラで払おうとしたわけではない。 1万6000リラもするのだから、 5万リラ札がそれほど非常識だろうか。 こんなところで両替料もくそもないだろう。 こんなんだから、 ローマは滅びるんだ。

 

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カラカラ浴場 そのタイル
 
 敷地は広い。 まずは庭園側から眺めてみた。 なんだか壁が立っているだけである。

 だが壁の中に入ってみると気分が変わってくる。 図書館も体育室もあった巨大な社交場。 ボロボロだが、 原型を彷彿させる高い壁が建ち並らんでいる。 ところどころに残るタイルは本当にローマ時代の物だろうか。 少しずつ観光気分が戻ってきた。


気の良い運転手さん

 カラカラを出てフォロロマーノに行くことにする。 コロッセオは見えているが少し遠い。 地下鉄で一駅だ。 また地下鉄に乗るのは気分が悪い。 ゆっちゃも乗りたくないと言う。 しかし、 歩いて行くのも気が進まないようだ。

 そこに都合良く路面電車がやってきた。 ともかく乗ってみた。 軽快に走る。 見る間にコロッセオが近づいてきた。 切符を買おうと運転手さんのそばで待っているのだが、 運転手さんはずーと友達らしいお客さんとの話に夢中。 話しかけるスキがない。

 

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レジの割り込み禁止/じれったいことが多いけれどレジで割り込んで話し掛けるのは嫌われる、のだそうだ。出発前に渡された絶対に守って欲しいマナー集より。
 
 電車はコロッセオに沿って曲がり、 止まった。 さらに向こうはフォロロマーノとは別の方向に向かっている。 やむを得ず
 「フォロロマーノ?」

と話しかけた。

 「フォロロマーノ?」

 「フォロロマーノ」

と単語を繰り返す。 身振りでここで降りろと教えてくれる。

 「ハウマッチ」

とお金を差し出す。 通じない。

 ともかく降りろと身振りで言っている。

 だからお金と、 差し出す。

 通じないのか、 降りろと身振りで示す。 ひょっとするとただで良いというのだろうか。 「グラッチェ」を連発しながら電車を降りた。


たどり着けないフォロロマーノ

 地図で見るとフォロロマーノはコロッセオと接している。 だが、 どこから入るのかが分からない。 それらしい人たちが何人か坂を上って行くのでついていってみた。 登り切ると柵の向こうにそれらしきものが見えているのだが、 入口がない。 それらしい人たちは教会に入っていったが、 どうもこれは違うようだ。

 時間もないし、 アセアセしながら坂を降りる。 ああでもない、 こうでもないと見回しながら皇帝大通りに沿って歩いて行くと、 それらしい入口をやっと見つけた。

 ところが切符売り場が閉まっている。 まだ3時半じゃないか。 ガイドブックでは4時までとなっているのに。

 だが、 ゲートは閉まっていない。 出口なのかもしれないが、 ガードマンらしき人もいない。 止められてもともとだ。 ともかく入ってみた。

 こうして、 ようやくたどりついたフォロロマーノは想像していたよりずっと狭かった。

 『地球の歩き方』によるとキケロが演説したという演壇。 そのまえには広場といえるほどの空間はない。

 英語のガイドさんが、 元老院をさしてシーザーがどうのこうのと言っている。

 

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フォロロマーノ、元老院
 
 「あそこで殺されたのよ。 きっと」とゆっちゃ。

 そうだ。 偉大なる世界帝国の心臓部についにきたのだ。

 だが、 何かが違う。 偉大なる世界帝国の心臓にしては、 いくらなんでも小さすぎるのだ。

 後で聞くと、 ムッソリーニの都市計画、 皇帝大通りの建設によって、 フォロロマーノはスケールを大きく損なわれたそうだ。 またフォロロマーノが中心であったのは、 シーザーなどが活躍する時代よりもだいぶ前、 ローマが都市国家であった頃である。 シーザーの暗殺もフォロロマーノではなく、 マルス広場のそばだった。 (元老院は適当な場所で開催されていたそうだ。 )

 ローマというと世界帝国とすぐ連想してしまうのだが、 市民と貴族が集会を広場で開いてワアワアとやっていた時代は、 ずっとずっとローマの規模は小さかったのだろう。 それにしても神々がやどるというカピトリーノの丘にしても、 女神官に守られたベスタ神殿にしても、 目と鼻の先。 ほんとうに猫の額のようなところで世界史がつくられたのだろうか。

 そんななかで大きさだけは期待にそぐはないのはマクセンティウス帝とコンスタンティヌス帝のバジリカ。 コロッセオもそうだが、 やはり皇帝のものは馬鹿でかい。

 

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マクセンティウス帝とコンスタンティヌス帝のバジリカ、小さく写っている美人がゆっちゃ
 

パランティーノの丘で路チューを見る

 パランティーノの丘の料金所はちゃんと開いていた。 12000リラ。 フォロロマーノはもともとタダだったようだ。 少し儲けた気分だったのに、 残念。

 パランティーノ丘はフォロロマーノに隣接する小高い丘で、 ローマ建国の時、 最初に集落が造られた丘だと言う。 ローマ帝国の時代には皇帝の宮殿などもここにつくられた。 ローマのもう一つの心臓部だ。

 丘全体が保存され、 公園になっているが、 形の残っている建物は少ない。 リビィアの家の跡など、 紀元前の建物の一部や玄関が修復され見所となっているが、 むしろフォロロマーノに面する展望台からの眺めが印象的だった。

 

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リビィアの家かな
 
 かつて皇帝や貴族は、 ここからローマ市街を眺め、 その向こうに世界を見たのだろう。 そこからフォロロマーノにトンネルを穿ってつくられた急傾斜の階段は、 奴隷たちが市場に買い物に行った道だろうか。 わずか1mほどのその路地は、 世界帝国ローマの威厳には似つかわしくなく、 古い街の見捨てられた路地でしかなかったが、 ここがパランティーノ丘だと言うだけで、 ありがたく見えてくる。

 コロッセオを濶歩していた日本人観光客は、 この丘にはあまりいなかった。 各国からの観光客が入れ代わり立ち代わり展望台に来るが、 混んでいると言うほどではない。

 「お! かっこいいじゃん」

 「足が長いねぇ。 長いことをちゃんと分かっていて、 着こなしているんだ」

とゆっちゃ。 ロングヘアーにパンタロンだ。

 すこし近寄って見てみた。 やっぱりかっこいい。 と、 連れの男とビタッとひっついてチューをした。 目を放すべきか、 否か迷っているうちに、 チューを終わった彼女が振り向いて、 目があってしまった。 見ていたことに気づいたのか、 ニコッと笑った。

 「路チューというんだよ」

とゆっちゃが教えてくれた。

 「日本と違って様になるね」

確かに、 見せびらかすだけのことはある二人だった。

 パランティーノ丘は路チューが盛んだ。 やってみようかと相談したが、 様になりそうにないのでやめた。

 

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丘の上の庭園/元々はどこがグランドレベルだったのだろうか。元々、傾斜を利用し、丘に埋もれたような建物だったのか、廃墟となった後、土が被ったのか、良く分からない。 丘の裏側/果たしていつ頃のもので、何に使ったのかは分からないが、横穴式住居とも見える穴が残っている。一部は管理施設に転用されている
 

再び地下鉄へ

 パランティーノの丘を出て、 地下鉄でスペイン広場に向かった。 今度は魔のテルミニ駅も無事通過。 スペイン広場にゆくはずの電車に乗った。 混んでいる。

 スペイン広場というのは日本語で、 イタリア語でなんというのかが分からない。 ガイドブックを出して調べるべきか、 こんな人ごみでカバンを開けるのはやめた方がいいかと言い争う。 SPAGNA駅についた。 「ここじゃないか」「どうしよう」と迷っていると、 そばにいた人が「スパーニャ。 ヒァ」と教えてくれた。

 夕方の5時ごろだったのだが、 何故かたくさんの人がSPAGNA駅で降りた。 ゆっちゃが
「みんな、 スペイン広場に行くのよ。 きっと。 だからついていけば大丈夫」

と自信ありげにいう。

 確かに長い通路や階段を一団となって歩いてゆく。 しかし僕には信じられなかった。 朝の通勤ラッシュじゃあるまいし、 なんでこんな時間に人がワンサカ歩いていくものか。 何かがおかしい。

 とはいえ他に当てがあるわけではないので、 付いてゆくと、 確かにスペイン広場への道だった。

 「だって、 観光客ばかりじゃない」

とゆっちゃ。 ともあれ無事につけたのだからよしとしよう。


スペイン広場は人ばかり

 昔、 『リゾート空間のボキャブラリー』(吉野国夫、 山口信吾著)という本をつくったことがある。 その中にスペイン広場の写真も載っていて、 「スペイン広場にはあらゆる人がやってくる。 誰もが何処かに居心地の良い場所が見つけられ、 また集まった人を見るだけでも楽しくなる」とあったが、 これは嘘だった。 あらゆる人が来すぎて、 座る場所を見つけるにも難儀する。

 

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スペイン広場
 
 ゆっちゃはヘップバーンに因んで、 スペイン広場では絶対アイスクリームを食べるのだと言っていたが、 人ごみに負けて食欲をなくしてしまった。

 ようやく見つけた噴水前の隙間にヨッコイショと座り込む。 ゆっちゃがうっかり隣の人のカバンに触ってしまった。 スリと間違われたのか、 隣の人からガンを飛ばされてますます疲れた様子。 せっかくだから階段を登ろうと誘っても、 もういいと言う。 時間も心配だったので、 すぐにナボーナ広場に向けて出発した。


アグリッパに出合う

 ローマの街は分かりにくい。 少なくとも碁盤の目が通った京都の街のように簡単には捉えられない。 まず、 CORSO大通りに出て、 COLONNA広場、 そこからグループと待ち合わせたナボーナ広場へと行けないかと考えた。 それにはまず、 スペイン広場に直交している道を行けば良いはずだ。

 通りを歩きだすと、 これがヤバイ。 スリより恐ろしい高級ブランド街だ。 幸いゆっちゃは地図を見ていない。 さっそく横道にそれることにした。 残念そうな、 ゆっちゃ。 フィレンツェにもあるから、 などと言ってごまかす。

 COLONNA広場の会館では遺跡保存委員会が展覧会をやっていたが、 これもパス。 道だけ聞いてナボーナ広場を目指した。 西に向かいながら適当に南にも行く。 これで行ける筈だ。 狭い道が続く。 所々に駐車場になっている小さな広場がある。 最悪でも、 テベレ川にはぶつかるはずだ。 少し心細い。

 突然、 視界が開けてドーンとギリシア風の建物が見えた。

 アグリッパと言う文字が読めた。 パンテオンだ。

 アグリッパは、 オクタビアヌスの右腕と言われた軍人である。 あのクレオパトラとアントニウスを破ったアクティウムの海戦にも参戦している。 軍事が不得意なオクタビアヌスに代わって事実上の指揮をとったことも少なくない。 また、 老いてからオクタビアヌスの娘ユリアと結婚し、 その血筋にはカリグラやネロも生れた。

 生きた時代は紀元前62年〜紀元後12年。

 そんな幻の英雄が建てた建物が、 何気なく建っていた。 目指して歩いていたわけではなく、 突然現れた古代の建物にやはり感激する。 来てよかった。


ナボーナ広場でボラれる

 ナボーナ広場はローマで一番気持ちの良い広場の一つだと言う。 幅40mぐらい、 南北に細長く200mぐらい。 中には3つの噴水がある。

 スペイン広場から約1時間。 実際に歩いていたのは30分ぐらい。 思いのほか早く着いた。

 広場の北側のレストランでカプチーノとオレンジジュースを頼んだ。

 最初に上野夫妻を見つけた。

 「どうでしたか」

と月並みな挨拶。 はて、 財布を盗られたと言うべきか。 どちみち、 そのうち口が滑るに違いない。 みっともないが隠していても仕方がない。

 「いや、 財布盗られちゃって」

 「あれま、 どこで」

 「テルミニ駅で、 ジプシーで」

と説明する。

 「泰さんも危なかったのよ」

と奥さん。 ちなみに泰さんとはランドスケープデザイナーの上野泰さんのこと。

 「ジプシーがナイフをもって寄ってきたのよ。 恐かったわ」

 「どうされたんですか」

 「寄ってきただけだよ。 ぱっと手で貴重品を押さえたから大丈夫」

と涼しげな様子。 なんでも人ごみの中でジプシーの子どもがナイフを持って寄ってきたらしいが、 とっさに貴重品を手で押さえて難を逃れたと言う。 さすがに慣れている。

 これは後で聞いたことだが、 治安が悪い、 物が盗られるといっても、 血を見ることは滅多にないそうだ。 だから押さえた手に切り付けてまで盗ってゆくことはないと言う。 そういえば、 出発の前にも散々脅した後で「命まで盗られる国とは違って安心だから」と恐がるゆっちゃを慰めた人もいた。 立命館大学の山崎さんである。

 ところで、 このレストラン。 24000リラもした。 なんだか、 無茶高い気がしたのだが、 よくわからないまま素直に払って出た。

 これも後で聞くと間違いなくボラれたとのこと。 そういえば、 どのレストランでもちゃんとしたレシートを出してくれたが、 ここは手で紙の切れ端にクチャクチャと書いた数字を見せてくれただけだった。 こういうのは極めて怪しい。


8時にはお席を

 今回のツアーは都市環境デザイン会議関西ブロックのメンバーの井口勝文さんがイタリアに別荘を買ったのが発端だ。

 「すごく良いところだから見に来てくださいよ」

 「じゃあ、 修復の仕事もお手伝いさせてもらおうか」

なんて、 冗談で言っていた筈のものが、 いつの間にか公式行事となって、 総勢26人もの団体がイタリアの田舎町にゆくことになった。 なかにはイタリアは5回目なんて人もいれば、 生れて始めてヨーロッパに行くという人もいて、 てんでバラバラの要望を井口さんや幹事役の土橋さんがまとめ、 なんとか実現した。

 素人衆はローマもみた方が良いよね、 というしだいで、 どちらかというと慣れない人間がローマ経由で入った。 そのなかでも、 慣れている人は別行動をとったので、 グループ行動の面々の誰一人、 良いレストランなんて知らない。

 「井口はんが、 ナボーナ広場周辺ははずれが少ないと言うてはったで」

という有光さんの言葉で、 あっさりナボーナ広場での待ち合わせとなったのだ。

 この有光さん、 「先に行って良さそうなところを探しとくワ」と威勢良く出かけたものの、 どうも広場を一周しただけのようである。 昼間からビールなど試し飲みして終わったらしい。 予約しておくなんて洒落たことはしていなかった。

 「広場でレストランとなっているのは、 ここだけや。 後はバールやで」

と、 広場の南の店に案内してくれたが、 満席。

 「8時になったら、 席を用意するゆうてるけど、 どうする。 北の店はあいとったけどな」

 こういう時はもめても仕方がない。 第一、 満席の店がある一方で、 ガラ空きの店があれば警戒するのも当然だ。 じゃあ、 待ちましょうと誰からともなく声が出て、 あっさりと決まった。

 20分ぐらいの待ち時間なので、 ナボーナ広場の周辺を散策して戻る。 さっそく、 席が用意されているかと思ったが、 これが違う。 みんな、 ボーと待っている。 ボー。

 有光さんと、 土橋さんが、 しびれをきらして交渉に。 「どないなっとるんジャ」と大阪弁で言えば効果があるだろうが、 英語ではなかなかに違いない。 もうエエンちゃう、 という気分になった時、 隣の店が空いたから、 そこでアンティパスト(前菜)を食べてくれということになった。

 だが、 アンティパストなんて出てこない。 飲み物だけ。 財布を盗られ、 24000リラも払って節約モードになっていた僕は、 どうーせすぐだからと、 飲み物はパスしたのだが、 全然、 すぐじゃない。 もう日本時間なら3時。

 結局、 席が空いたのは9時過ぎ。

 なお、 この日の食費は財布を盗られたことに同情してもらって一人分にまけてもらえた。 ラッキーである。

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このページへのご意見は前田裕資

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