学校の許可を得るのに「今回の旅行はイタリアの人びとと交流する他に代え難い機会で、 国際交流とヨーロッパ文化の理解のために格別有益である」などと言った出まかせを文書で提出してきたそうだ。
ただ、 宮前さんの名誉のために言っておくと、 国際交流セミナーは極めて真面目にやった。 セミナーには当日駆けつけた吉野国夫さんをはじめ全員参加したし、 メルカッテロ市長を始め街の人や遠方から来てくれたイタリアの専門家の人など、 延べ100人も参加してくれた。
セミナー終了後の交流パーティも盛況だった。 街の人が入れ替わり立ち替わり来てくれた。 土橋さんが担いできた焼酎や、 その焼酎をそそぐためのボール。 冷蔵庫みたいな大きさになっていた展示用のパネル。 すべてがそれなりの役目を果たした。
ただ、 日本側の参加者によるビジュアルプレゼンテーションは長すぎた。 一人3枚だというのに倍以上のスライドを持ってきた人が多い。 いつまでたっても終わらない。 「みんな帰っちゃうよ」と井口夫人も心配そうだ。
ところで、 僕とゆっちゃは1日半ビッチリつまったセミナーの記録係を仰せ付かっていた。
いやだ、 と言ったのだが、 土橋さんに強引に押し付けられたのだ。
なんぼなんでもイタリアでテープ起しはしたくない。 なんとかサボりたい。 だからひたすらメモをとった。 通訳の人が話すスピードにはとても追い付けないが、 イタリア語で話されている間になんとかメモに落とし込む。 かなりいい加減だが、 まあ許してもらおう。 なんたってセミナー参加費だけで6万円。 旅行諸費用はもちろん一切合財個人負担なのだから、 そのうえ1日半のテープ起こしがボランティアではひどすぎる。
とうわけで何とか書きぬいたメモを、 一日ほどかけて整理し、 あとはパソコンに打ち込むだけというところまで仕上げて郵便で日本に送り返す。 重たいということもあるが、 手元に置いておきたくないということもあった。 幸い、 ローマと違ってメルカテッロでは郵便を出すのは極めて容易だった。
この記録は99年8月現在、 井口さんがチェック中だ。 ところどころ他では得難い情報もある。
なお、 誤解のないように付け加えれば、 セミナーを含むこの旅行全体でもっとも大変だったのは井口夫妻である。 そのほか、 幹事の土橋さん、 会計の大矢さん、 先遣隊の森重さんや工藤さん、 このあたりの方は信じられないほど献身的な方々だ。 なかには日本に帰りつくなり病院に担ぎこまれた方もいる。 このイタリアセミナーは都市環境デザイン会議の歴史の中でセント・井口の奇跡として伝説となるに違いない。
グループ最後の会食で、 来年もやりましょうという声に、 井口さんが珍しく答えに窮していたのが印象的だった。
10月12日 公式セミナー
セント・井口の奇跡
宮前さんはお子さんと一緒に来ている。
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