極私的イタリア紀行
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10月13日 セミナー2日目、 ウルビーノ訪問

 

 

バールで朝食

 朝、 バールに朝食を食べに行った。 だいたい3000〜4000リラぐらいでパンとカプチーノを頼む。 日本円で300円ぐらい。 それほど安くはない。

 タバコをふかしていると宿(ペンショーネ)のおばさんが入ってきた。 向かいの家のおばさんと二人連れだ。

 目があった。

 

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目があったらボンジョルノのイラスト(by 井口勝文)
 
 「ボンジョルノ」

 「ボンジョルノ」

よしよし。 マニアル通りだ。 だが先は続かない。

 よせばいいのに、 ゆっちゃはベルリッツの即席イタリア語会話本をとりだして、 何か言おうとしている。 イタリア語は本に書いてあるカタカナ通り発音しても通じることが多いし、 いざとなれば見せれば良いから確かに便利だが、 これくださいならともかく、 会話はなりたたない。

 「ウルビーノ?」

とおばさん。 どうもウルビーノに行くことを知っているようだ。

 「イエス。 ウルビーノ」

とそこまではよかったが

 「ペラペラペラ」

とおばさん。 何を言っているんだか。

 ゆっちゃは会話本で格闘している。 これ、 あれ、 と指差すが、 どうも違うらしい。 おばさんが盛んに身振り手振りをまじえて話している。 一時はおばさんが会話本をめくり出した。

 「こんなかっこうじゃ寒いと言っているよ」

とゆっちゃ。 ほんとに分かったのだろうか。 第一、 数日前のローマは30度だぞ、 30度。

 みると、 おばさんが凍えるようなまねをしている。 どうも確からしい。

 「セーターを貸してくれるらしいよ」

とゆっちゃ。 半信半疑で待っているとセーターを持ってきてくれた。


ウルビーノへ

 セミナーも2日目。 地元メルカテッロで開くイベントではないので、 みんな緊張が緩んでいる。 吉野さんなんかはこの日の朝、 シリアに向けて旅立っていった。 昨日、 突然現れて、 まる一日も経っていない。 旅慣れた人なのだが、 なんとも忙しい人だ。

 ウルビーノはメルカテッロから40kmほど東にいったところにある山岳都市だ。 ラファエロの生家があり、 ルネサンス期に栄えた街として知られている。 イタリアに建築見学ツアーにゆくなら、 フィレンツェやローマとともにこのウルビーノやビツェンツァは必見のポイントだという。 特にヨーロッパの知識人にはよく知られた街だそうだ。 また、 この街で30年ほど前につくられた都市計画が、 イタリアの歴史的な小さな街の保存・修景計画の基礎となったという。 この日は、 その街を訪ね、 都市計画の経緯を聞き、 その後、 修復中の建物を見せてもらうことになっている。

 

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ウルビーノの華、ドゥカーレ宮殿
 
 出発前の記念撮影の後、 井口さんが終わった後サンマリノ共和国に行きたい人は手を上げてくださいと言った。

 サンマリノだって。 行きたいとは思っていたが、 今日はゆっちゃが具合が悪い。 どうも風邪を引きかけているらしい。

 「行く?」

 「いんにゃ、 行かない」

というわけで手を上げなかった。 ゆっちゃの具合もあるが、 せっかくウルビーノに行くのに、 あたふたと出て行くのもちょっと残念だ。 それに車に長時間乗っているのはしんどい。 ゆっくり街を見て5時ぐらいに迎えに来てくれたらハッピーだと思ったわけだ。

 「行きたい人が多いですね。 わからないから、 行かない人が手を上げてください」

 おや、 みんな行くのか。 どうしようかな。 まあ、 ここで初心を捨てては男が廃る。

 「あれ、 前田さんたちだけですか。 また半端になっちゃったな。 車は全部サンマリノに行かないといけないし」

 「それならバスで帰ってきますよ。 あるんでしょ」

 「ありますよ。 ついたら調べてあげますから」

とあっさり迎えの車は無くなった。 せっかくの旅だ。 これからは二人でバスや汽車に乗らなきゃいけないんだし、 練習するのもいいか、 と諦めた。


ウルビーノの都市計画

 午前中は大学のセミナーハウスでウルビーノの都市計画の話を聞いた。 通訳の渡辺さんもだいぶ慣れてきて日本語になってきた。

 彼は気の毒にもおやじさんが井口さんの親友だということで、 通訳に駆り出された若者だ。 イタリア語は流暢だが、 日本語が怪しい。 哲学史かなにかを専攻している学生さんだから、 都市計画の専門用語も初めてなのだろう。

 テープは絶対に聞かないぞ、 メモでなんとかでっち上げようと思ったのには、 彼の日本語の脈絡のなさと、 固有名詞の聞き取りにくさに閉口したからでもある。 こりゃだめだ、 適当にでっち上げてあとは井口さんに振ってしまおうと思った。

 が、 一日の経験を経た彼は、 見違えるように巧くなっていた。 そのままメモしていっても、 おおむね日本語になっている。 自信をつけたのかな。 たいした物だ。

 具合が悪いと言っていたゆっちゃも、 「マ君(僕のこと)がメモしても後で読めないでしょ」と嫌みを言った後、 せっせとメモしてくれた。 でも最後はダウンしてしまったから、 やっぱりしんどかったのだろう。

 例によって予定外に長引いてしまったセミナーを終え、 ウルビーノの街に向かった。 前日の夜、 セミナー終了後、 ウルビーノで昼ご飯をいかにおいしく食べるか、 果てしない議論が繰り広げられた。 バールでパンを買って丘に登って食べるのが一番だ。 その際、 どのバールが一番おいしいか。 おいしいバールが一軒だけある。 が、 井口さんは名前を忘れたと言う。 では渡辺さんはどうか。 彼は行けばわかると言うが、 セミナーが終わったらすぐ帰らなきゃいけないというのだ。

 そんなことはすっかり忘れたかのように、 みんな目についたテイクアウトのピザ屋さんで食べている。

 大学街だから、 若者向けの店が多い。

 街の中心にあるドゥカーレ宮殿と美術館を横目に見ながら、 修復中のウルビーノ大学経済学部に向かった。


内部空間はどうでもいいの?

 大学と言っても日本のようなキャンパスではない。 ドゥカーレ宮殿の前の建物は芸術学部かなにかだし、 経済学部も昔からの建物を改装して使うのだそうだ。

 外壁を奇麗に保存したまま、 コンピュータ室や図書室、 大講義室など、 大学に要求される様々な設備を取り入れてゆくのだと言う。 地下にはローマ時代の遺構もあって、 上から掘れないから横から掘る。 なかなか根性が入っている。

 ただ、 参加していた何人かの建築関係者は「内部は何やってもいいのかよ」と不満気だ。 どうも保存ばかりが優先されて、 内部空間がよい空間とは言い難いということらしい。

 ウルビーノの城壁の外には空地が無限といっても良いぐらい広がっているのに、 あえて街の中のややこしい建物を活用しようと言う執念には感心する。 もちろんウルビーノのシルエットを守るために、 城壁の外にも建築制限がかかっているのだろうし、 修復のコストも新築に比べれば高くはないというから、 無理をしているのではない。

 見学終了後、 みんなは三々五々駐車場に向かいはじめた。 たまたま残っていた僕たちは、 案内してくれたスパーダさんと井口夫妻とともに修復工房を見せて貰うことができた。 予定にはなかったのだが、 スパーダさんが修復工房のマエストロ(技能者あるいは親方という意味)と偶然道で会って、 そういうことなら日本人も一緒に見てゆけということになったのだ。

 

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ウルビーノの路地 工房で修復中の像
 
 修復中の像をモデルに、 この部分は16世紀ごろの色、 ここは18世紀ごろの色と、 種々説明してくれた。 ルネッサンス絵画との初めての対面だ。 良く分からなかったが、 イタリアの街まちが中世のまま止まってしまったような印象を受けるのには、 並みたいていではない努力があることがうかがえた。


まじかに見ると恐いものね

 ドゥカーレ美術館は残念ながら休館。

 買ってかえった絵葉書のドゥカーレ宮殿は、 童話の背景のように可愛らしい。 慎ましやかできめ細かい。 だけど、 まじかにみるとたいそう威厳がある。 鉄格子なんかも垣間見えて少し恐ろしい。

 宮殿の下から、 路地へ。 街中を歩いてみた。 ふむふむ、 あれがセミナーでスパーダさんが言っていたモルタル塗りの建物だな。 おや、 ここはレンガじゃないか。 セミナーで聞いた通りだと、 感心しながら歩く。

 残念なのは、 規制がゆるいのか、 せっかくの坂道に駐車している車が多いことだ。 歩いていて邪魔になると言うほどではないが、 写真を撮る時に相当気になる。 その点はアッシジの方が徹底していた。

 脇道にそれると細い道がある。 新しいが、 街の雰囲気に合わせた建物。 急傾斜の階段。 MIKIという猫がいた。 ゆっちゃが呼び寄せようとするが、 なかなか通じない。 猫語も日本とイタリアでは違うのだろうか。 飼い主のカッコの良いお姉さんがMIKIをしかっている。 きっと悪い外国人には気をつけようと言い聞かせているのだろう。


今度は時計がない。 無くしたか、 盗られたか

 もうそろそろバスの時間だというころだ。 共和国広場の前のバールでカプチーノを飲み、 休んでいた。

 ゆっちゃの具合が悪い。 日本から持ってきたテッシュがなくなったので、 薬局に行き、 立派なティッシュを買込んできた。 ポケットティッシュが6つ入って1800リラ。 なにしろ型押しの花模様が入っている高級品だ。

 「お、 買ってきたぞ、 そろそろ時間だろ」

と腕を見ると、 時計がなかった。

 「あれ。 時計が」

 「また、 盗られたの」

 そう言えば、 変なおじさんがテーブルの付近でうろうろしていた。 でも今度こそ、 1m以内に近寄っていない。 これで盗られたら奇跡だ。 街中だってローマじゃない。 人とまじかにすれ違うこともなかった。

 「セミナー会場に忘れてきたのかなあ」

 「もう。 困るじゃないの。 私は時計を持っていないのよ。 知っているでしょ」

 そうそう。 2、 3年前、 誕生日のプレゼントに腕時計を買ってあげることになっていて、 いまだ果たしていない。 僕は正確な時計が良いと思うので、 カシオなどのデジタルをすすめるのだが、 ゆっちゃはいかにも怪しげな時計が欲しいと言い、 折り合わなかったのだ。

 セミナー会場を片付けた時にことを思い出す。 腕時計を一時はずしていたのは確かだが、 終わった時机の上には何もないことを確かめた。 あの時、 机の下に落ちてしまったのだろうか。 悩んでいても仕方がない。 この際、 どこかで時計を買おう。 バスに乗り遅れたら、 時計より高いタクシー代が待っている。


バス停で

 昼、 井口夫人がバスの時刻は調べてくれていた。 直通は3時過ぎに出てしまうので5時過ぎのフェルミニヤーノ行きに乗って、 フェルミニヤーノで乗り換えれば良いというのだ。 楽勝の筈である。

 だが、 時刻表も、 行き先案内も見つからないのは何とも不安だ。

 「あれよ、 あれ。 あの場所で青いバスに乗れって言っていたもの」

と、 ゆっちゃ。 しかしどう見てもフェルミニヤーノとは書いていない。 リミニと読める。

 「でも、 時間だし、 この色のバスよ」

とゆっちゃ。 僕も不安になる。 こういう時は聞いてみるに限る。

 「フェルミニヤーノ?」

 「ノー」

とすげない。 ホエヤーとかワットタイムと聞いても、 通じている気配がない。

 不安なまま待っていると、 Fermignanoと正面に書いたバスが来た。

 「メルカテッロ?」

と聞いてみる。

 「ノー」

 そんな、 と慌てて地図を見直してみた。 僕はてっきりウルビーノとメルカテッロの中間にある街がフェルミニヤーノだと思っていたのだが、 確かに違う。 貰った地図には載っていない。 よくみるとFermign……という街があるが、 地図の端できれている。 これがフェルミニヤーノだとしてもむしろ別方向だ。

 「ぺらぺらぺら」

むっ。 別のバスがあるみたいに言っている。

 「ぺらぺらぺら」

やっぱりないと言っているみたいだ。

 ゆっちゃがベルリッツの会話本を取り出す。 やった。 デボ カンビアーレ メルカテッロと言えば良いんだ。 メルカテッロにゆくには乗り換えしなければなりませんか?
 通じた。 そうだ。 そうだと言っているようだ。 ともかく第一関門を突破した。


フェルミニヤーノで

 バスはほどなくフェルミニヤーノについた。 終点だから簡単だ。

 で、 乗り換えのバス停を探さねば。 どこだ。 降りたところにはフェルミニヤーノとウルビーノの時刻表は張り出してあるが、 他のどこ行きのバスの案内もない。

 広場を一周したがそれらしきものがない。

 じゃあというので、 タバッキに切符を買いに行った。 切符を買えば、 場所も教えてもらえるだろう。

 ところが、 タバッキのおばさんは違うという。 そう言えば、 さっきのバスも切符は乗ってから買った。 ガイドブックにはタバッキに売っていると書いてあったのに、 様子が違う。

 「メルカテッロ? バス?」

 「ピアッツア」

との返事。 広場に行けということだ。 今度は広場のキオスクのような店で聞いてみた。

 「メルカテッロ?」

 「あっち」

と言ったのかどうか。 向こうの方を指差してくれた。

 「こっちらしいぞ」

と不安げなゆっちゃに声をかけてどんどん進む。 だが、 それらしきものはない。 とうとう、 町外れに出てしまった。 ひょっとして、 メルカテッロはあっちだと教えてくれたのだろうか。 歩いて行けと言うのだろうか。 幸い、 スーパーのようなお店がある。 ともかくあそこで聞こう。

 車が結構多い。 こんなところで曳かれてはたまらない。 でもどうしても無理してわたってしまう。

 スーパーのレジで、 今度は先ほどのバスの切符を見せながら
 「メルカテッロ?」

と聞いてみた。 回りにいた買い物中のおばさんたちも何かいろいろと教えてくれるが、 親切すぎてさっぱり分からないことは日本のおばさんとよく似ている。 とにかくピアッツアという言葉だけ聞き取れた。 やっぱり先ほどのお姉さんはメルカテッロへの道を教えてくれたのだ。

 広場に舞い戻った僕の目に、 学生風の若者が映った。 これだ。 これしかない。

 「フェア イズ ジ バス ゴウトウ メルカテッロ?」

を何度か繰り返す。

 「ボス? メルカテッロ」

 「やー。 メルカテッロ。 バス」

 「ヒアー」

なんと、 さっきバスが止まったところじゃないか。 で、
 「ファットタイム?」

 「ファット」

 「タイム。 バス」

 「ユウ ドント ノウ?」

 時間を知らないどころか、 まだバスがあるのかどうかも知らないのだ。 ひょっとしたらウロウロしているうちに出ていってしまったかもしれない。

 学生風のお兄さんは「ウエイト」と言って近くのバールに聞きに言ってくれた。

 「シックス。 フォティファイブ」

 ああ、 間に合った。 まだ心配そうな顔をしていたのか、 お兄さんは親切にも数字を書いて渡してくれた。

 このフェルミニヤーノ、 後で思ったのだが、 ローマからリミニにいたる大街道、 フラミニア街道と関係がありそうな名前だ。 調べてみると先に紹介したメタウロの会戦のが行われたのがまさしくこの地だとのこと。 フラミニア街道の要衝で、 ローマ時代の橋も残っている。 バスを待っていた時間があれば、 その橋ぐらいは見られたかもしれない。 本当に惜しいことをした。

 

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フェルミニヤーノのローマ時代の橋(現地パンフより)
 

メルカテッロに無事戻る

 バスは時刻通りに来た。 立派なバスだ。 道沿いの景観は安っぽい工場が並んでいて日本のロードサイトと似ていた。

 絵に書いたような美少女が乗って来る。 ゆっちゃと顔を見合わせる。 隠し撮りしたいが、 ASA100ではとても無理だ。 気づかれないようにこっそり、 眺める。 実に可愛い。 残念ながらすぐに降りてしまった。

 やがて光が消え、 暗闇の中を走りぬけてゆく。 ウルビーノにゆく時に見たウルバーナのII Porco Ducaleが見えた。 確かにメルカテッロに向かっている。

 バスは街まちの中心市街地に入って停まる。 お客さんがどんどん減ってゆく。 運転手さんと話し込んでいた制服の車掌さんらしき人もいなくなってしまった。 そういえば、 切符は運転手さんが売ってくれたから、 あの人は車掌さんではなかったのかもしれない。 サンタンジェロインバドーを超えると乗っているのは前の中国人らしい二人連れと僕たちだけになった。 立派なバスが寒々としてくる。

 突然、 メルカテッロの街に入った。

 中国人の人たちもおりる。 誰もいなくなったバスは次の街へ一人寂しく去っていった。


小さな街は便利

 小さな街は右も左も分からない旅行者には便利だ。

 実はウルビーノで無くしたと思った腕時計が、 フェルミニヤーノで戻ってきていた。

 ワッパが切れて、 腕から外れた時計が、 宿のおばさんが貸してくれたセーターの袖に紛れ込んでいたのだ。 歩き回っているうちに、 ごそごそするものがあったので、 取り出してみたら時計だった。 悪いことばかりが続くわけじゃない。

 だが、 なんといっても不便だ。 メルカテッロに時計屋さんがあるだろうか。

 ところが探して見ると2軒もある。 アクセサリーなども売っている小さな店だから、 ワッパだけ売っているのかどうか、 わからない。 外から眺めたところは、 なさそうだった。

 一応聞いてみようと入ってみた。

 「ボンジョルノ」

と、 時計を差し出す。 何も言わなくても通じた。 奥から箱を取出してきて、 大きさが合いそうなワッパを選んで付けてくれた。 4000リラ。 とってもハッピーだ。

 既に書いたがローマでは郵便を出すのに四苦八苦して結局出せずじまいだったが、 メルカテッロでは楽勝だった。 銀行もメルカテッロが一番便利だった。 クリーニングだって、 ローマのホテルでは、 あっちいって、 こっちいって、 その向こうのクリーニング屋さんに出せと言われて諦めたが、 メルカテッロにはちゃんと二軒もあった。 小さな村は旅行者には便利だった。

 

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メルカッテロの素敵なブティック前で
 
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