橋本さんのお話を大変興味深く聞かせていただきました。 共感できる部分と、 ちょっと待てよという部分があります。
一つは、 住宅あるいは住まい、 あるいはまちという生活の表出の場と、 管理の対象としての公営住宅との間に矛盾があって、 そこにフラストレーションがたまって、 それを解決する一つの方法として、 参加なりアートが出てくるとということであれば本筋ではないのではないか。 アートが出てくる前に、 矛盾に対応するシステムがあって、 その中でアートが位置づけられるべきではないかということです。
もう一つは、 アートのあり方として、 住民が手がけていくことと、 いわゆるプロのアーティストが参加するという、 2つの参加のタイプがここにあるわけですが、 私の最大の疑問は、 プロの参加が本当に必要であったのかということです。 プロはプロデュースするということにとどまった方が、 一般論としては良いのではないかと感じているのですが、 そのあたりはいかがでしょうか。
橋本:
まず、 プロは参加する必要がなかったのではないかという点についてですが、 私は全く反対の立場をとっております。 つまり、 アートであれ、 なんであれ、 それが後々まで残るものに関しては、 それが持つ公共性という意味での責任というか、 役割というものがあると思います。 素人か、 プロかということをどう考えるのかという問題があるかと思いますが、 分かりやすい言い方で、 プロのアーティストという言い方をしました。 いずれにしても、 パーマネントに残るものであり、 質の高い都市の環境空間を作るという意味では、 プロの力が大変重要であると思っています。
例えば、 素人の方が参加することに意義があるということで、 防潮堤なんかに、 ペンキで絵が描かれているのをごらんになられた方もあるかと思います。 第三者から見た場合に、 あれはどうでしょうか。 わたしは、 いつも腹立たしさを感じます。 なぜならば、 一つの公共空間を、 個人的な自己満足によって占拠されている。 しかも、 それがクオリティにおいて問題だと感じるわけです。
したがって、 ここにおいては、 どちらか片方だけではなく、 両方ともというというかたちを採りました。 ですからプロは不要であるとは私は思ってません。 また、 プロという意味あいをどう捉えるのかということの議論を深めないといけないと感じております。
プロのアーティストの参加が必要か
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