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表1 台北市都市デザインの実施経過
1978 台北市「信義計画副都心」計画草案づくり(台湾大学、中興大学、淡江大学)
1979 「信義計画副都心」計画案完成(KMG案)
1980 「信義計画副都心」都市デザインの実施に関する研究(淡江大学)
   「台北市都市美化推進委員会」設立
1982 「信義計画地区都市デザイン委員会」第一次会議
1983 台北市政府工務局都市計画處再開発科の中に「都市デザインチーム」を設立
   「台北市土地使用分区管制規則(ゾンリングコントロール)」を実施(容積率を導入)
1984 台湾において「未実施容積管制地区総合設計奨勵辧法」を実施(オープンスペースボーナス制度)
1985 「信義計画地区都市デザイン注意事項」を公示、地区内の建築設計が委員会の審議を義務づけられた。
1988 「台北市都市デザイン審議委員会」が発足、全市の敷地規模3,000m以上、延床面積10,000m以上の建物が、全て都市デザインの審議を受ける必要となった。
1990 台北市の大規模公共施設、公共工事及び大規模開発が都市デザインの審議対象に入れた。
1991 都市デザイン審議対象の大規模建設の基準を緩和し、敷地規模を6,000m以上、延床面積10,000m以上の建物を審議対象に緩めた。
1992 台北市政府都市計画處が都市デザイン科を設立
1993 台北市政府都市計画處が都市開発局に昇格
   信義副都心地区をペレストリアン示範地区に
1994 「都市デザイン学会」発足
   大型敷地の都市デザインガイドラインを検討
1995 「都市デザイン審議委員会」を「都市デザイン及び土地利用コントロール審議委員会」に変更
   第一回「台北都市デザイン美」の行事を開催
1996 「地区環境改造計画」(住民参加のまちづくり)を発足
   「総統府前廣場デザインコンペ」(市民提案)を開催
 都市デザインの実施経過の年表です。
 台湾で都市デザインが考えられ始めたのは1970年代なかばからだと思いますが、 その時に制度の実施をすぐに検討したわけではなく、 アメリカ留学帰りの先生や留学生達が都市デザインの思想や実例等を伝え、 それからどういうものを対象に、 どういう手法でコントロールするかなどについて、 論議を拡げたわけです。 しかし、 こういう新しい制度をいきなり既存の都市計画制度の中に導入するのは困難であり、 また問題でした。
 その時、 ちょうど市街地の東側に軍の工場跡地があり、 そこを副都心につくる動きがありました。 そこで検討中だったアーバンデザインの考えを実現するため、 台北市政府が台湾の大学に研究計画を委託すると共に、 東京のKMG建築事務所にも依頼しました。 そして今日も見えられている土井先生や大村先生をはじめ都市計画研究所の方々と一緒に、 この「信義計画」とよばれる副都心地区の都市デザインを検討しました。 この検討した結果に基づいて市政府がさらに実施案を制定しました。

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