その時、 対象地区内の建物のデザインをいかに前もって制定したガイドライン通りにコントロールできるかが課題となりました。 これを検討した結果は、 審議会を作って対処するという結論でした。 しかし前例がないため、 2年間ほどの議論を経て82年にようやく審議会が動きはじめました。 ようするに、 建物や空間のデザインを審議するために、 台北市政府がデザインガイドラインを先に作り、 それを基本に、 委員達が建物の審議を行なうことになったのです。
デザインガイドラインの内容は敷地の大きさ、 空地の位置、 壁面線、 ペデストリアンシステム、 グリーンベルの指定などです。
しかし建物のデザインについて、 ガイドラインだけに従っても、 町並や環境にふさわしいものが必ずしも作られるわけではないので、 副都心地区内の各建物について審議会で議論していこうという方針でした。
これに対応するため台北市政府も内部(当時は都市計画処の中)に都市デザインチームをつくりました。
一方、 審議対象となる物が多くなるにつれ、 民間(施主や建築家)からの反発も強くなり、 そのため、 審議対象を検討し、 延床面積を3000m2以上、 敷地規模は6000m2以上までに緩和しました。
この間、 市政府のほうは都市デザインチームを都市デザイン課とし組織を拡大しました。
このように、 台北の都市デザイン制度がだんだん整備されたのです。
96年には新たに住民参加の問題が入ってきています。 都市デザインの審議と住民参加(例えば建設敷地周辺の住民は審議に意見を出すこと)との関係が市民主義を掲げている新しい市政府の政策の中に重視されるようになりました。 住民参加をどう位置づけるかがまだはっきりしていませんが、 新しいテーマになりました。
2 制度化が動き出す(〜1985)
いきなり全市的に制度を実施するのは難しいので、 まず副都心だけやってみようということでした。
3 適用対象の拡大(〜1991)
1984年には、 敷地内に公開空地を提供したらボーナスをあげるという制度が実施されたため、 以前より大きな建物が建つようになりました。 これについて、 85年ごろから大規模開発になった建物のうち、 敷地が3000m2以上、 延べ床面積が10000m2以上のものは、 都市デザインの審議の対象となりました。
4 制度の充実へ(〜1995)
90年ごろからは公共施設や公共工事(橋など)も対象になりました。
5 新しいうごきと住民の参入(1996〜)
95年ごろからは建物のデザインだけではなく、 建物と都市計画との関係が問題になりはじめました。 例えば都市計画の指定で高い容積が許容されている敷地では、 都市デザインを実施しても良い景観を創出しにくい場合があります。 その結果、 都市デザインに伴って土地利用指定も変更できるシステムに整備し、 委員会名も「都市設計及土地使用コントロール審議委員会」に変えました。
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