まず丸谷さんのお話の中で、 屋上の生育が非常にいいという話がありました。 「生産」ではなく「見る」ための都市の緑地において、 成長することが目的にかなうのかどうかが、 ふっと気になりました。 桐がどんどん大きくなっても将来桐下駄をつくるわけじゃないし、 どうするのか。 その点は僕自身も仕事の上で混乱している部分で、 木が成長しやすいように土壌改良しても「本当に成長させていいのかな」と考えているのです。
それに関連する話で、 江木さんはいろんな点に配慮して設計されたと思うのですが、 このように大きくなった木をどうするかまで配慮されたのかどうか気になるところです。
気になると言えば、 丸谷さんのお話では「昔このあたりにあった自然に戻す」とのことですが、 昔とはいったいいつのことでしょうか。 ひょっとしたら縄文時代? というのも、 現在の住宅地では圧倒的に落葉樹人気なんですね。 昔でしたら庭木と言えば常緑樹で、 関西ではクロガネモチが一番人気で「金持ちになる木」としてよく植えられていたのですが、 最近の庭はどこも落葉樹ばやりで、 一時は白樺を植えたいという人もたくさんいました。 僕も仕事で落葉樹を植えると喜ばれますね。 落ち葉が多いのに。
なぜみんな落葉樹が好きなんだろうと考えてみたのですが、 多分それは歌謡曲で言う「北帰行」、 つまり北国への憧れがあるのではないかと思うのです。 それで、 ここも縄文時代へのイメージに戻っているのかなと思ったのですが。
丸谷:
福廣:
ところで丸谷さんは野鳥の会の人ですよね。 野鳥の会の人というのは自分を人間だと思わないで鳥だと思っている人が多いですね。 しかし丸谷さんは非常にバランスのいいお話をされているので、 僕はとても評価しています。
それから非常に難しい話だったのが、 「自然風」と「自然」は違うという話です。 「好ましい生き物」と「好ましくない生き物」があって、 「好ましい生き物の自然風」が都市には一番便利というのは完璧な話です。 しかしそうすると自然と人間の「共生」は、 人間の自然への「強制」ということになるのではないかと思ってしまいました。
それから加茂さんの話にあった「入居者と周辺住民の意識の差」ですが、 僕は周辺住民の方が評価が高くて入居者の方が否定的という結果になるのではないかと思っていました。 僕が仕事で団地に木を植えると、 2階から3階の入居者には喜ばれるのですが、 1階の人は日影になると、非常に嫌うのです。 昔はベランダから南に5m離して木を植えるという内規があったのですが、 今は5mも離れるとすぐ隣の建物にぶつかってしまうので、 もう木を植える空間はないわけです。 ですから、 最初に言ったように都心を緑化できるグラウンドを持つだけでスゴイことだと思ったんです。
「障害樹木」という言葉があるのをご存じでしょうか。 つまりあったら邪魔になる木のことです。 自然との「強制」にも通じる考え方で、 都心での緑化は難しいことだと思っています。
それからもうひとつ加茂さんのお話で「受益者負担」という言葉があり、 受益者とは入居者のことであるというお話でした。 しかし、 野鳥が来たり蝶々がエコロードを飛べるということを考えると、 受益者は野鳥や蝶々かもしれませんね。 そんな環境こそが人間に欲しいということなら、 広く大阪市民も受益者かもしれません。 一体、 受益者とは誰だろうと考えてしまいます。
今日の3人へのコメント
いえ、 ほんの数十年前のイメージですよ。
そうですか。
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