また、 残念ながら時期がちょっと遅いのですが、 ここに植栽されている木がどこで生産されて、 どこから入ってきたものなのかという経歴も残せればと思います。 そういうところから、 本当はスタートしたらと思います。
そういった経歴も含め、 ここまではちょっとやったらいかんでとか、 シラカバはやっぱり大阪ではやめようやとか、 山から採ってきて植えるというようなことはやめとこうかとか、 栽培したものならええでとか、 そういうふうな評価をするための分析をまずしてみたらと思います。
ですから、 先ほどの江木さんの話にもありましたが、 室内に植物を植えることはいいのか悪いのかということです。 そういう意味で、 ここには自然の緑から室内に植えたみどりまでありますので、 ここをケーススタディにすると非常におもしろいなという感じです。
それから、 僕が意識している緑地とは、 多分潅水しなくてもいいもの。 それから、 少なくとも木が天然で更新することだろうと思います。 このぐらいのスケールのものを緑地といって、 それ以外は庭ではないかと思います。
例えば、 子供達が木の大きさを毎年順番に調査していったら、 これはすごい資料になると思います。 それでいて、 子供は絶対に楽しいので、 子供達がおかあさんを連れていって、 「おかあさん、 あのなあ、 この木はなあ…」といったら、 その木は絶対に切れなくなるというようなことが、 おこると思います。 それで、 取ってきたデータを造園学会に売ったり、 あるいは木の枝を花屋に売ったら、 これは農業のスタイルですから、 うまいこといくのではないかと思っています。
造園倫理
先ほど造園倫理というお話がありましたので、 福廣さんの方から、 NEXT21に造園倫理的にどういう芽生えが感じられるかという点について、 お願いしたいと思います。
人間は自然物をどこまで使っていいのか?
福廣:
僕が造園倫理といったのは、 自然物を使うことが悪いとかということではなくて、 自然物をどれだけ人間の都合で使っていいのか、 どのあたりまで使えるのか、 ということです。 そういう視点から分析してみたら、 NEXT21には、 普通の団地に木を植えているという場合に比べたら、 ものすごい段階があると思います。
建物の寿命と木の寿命
言い残しを少しいわせていただきたいのですが、 木の寿命と建物の寿命が違うということを、 分かっていただきたいんです。 普通サクラなんかを除いて、 いわゆる成木は、 たとえばエノキでは100歳から150歳ぐらいかと思います。 住・都公団の団地は今だいたい35年ぐらいで建て替えているのですが、 そうなると、 だいたい少年ぐらいで木を切ってしまうわけです。 これはやっぱりちょっと意識しなくてはいかんと思います。 木にとってのサンクチュアリみたいなことも考えなくては。
管理から趣味へ
それから、 管理の話がたくさん出ていますが、 管理という言葉を聞いたらすぐに義務という感じがしてしまいます。 これは抽象論かもしれませんが、 趣味の園芸という言葉があるのですが、 上手に緑とつきあったら趣味になって、 それに対してお金を出します。 お金を払う方向が逆になっていきます。
屋上緑化
最後ですが、 最初に僕は、 屋上緑化はちょっと信じていないんだということをいったのですが、 ちょっと情緒的な言い方になるんですが、 梶井基次郎という小説家がいますが、 「桜の木の下には、 死体が埋まっているのだ。 これは信じてもいいことだ。 そうでなくては、 あんなに桜はきれいでない」というようなことを言っているのですが、 屋上緑化の下に死体が埋まっているということを、 あんまり想像できない、 というようなことです。
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