日本では「公共」と呼ばれる概念は、 ヨーロッパでは「正義」ととらえています。 その正義をめぐる考え方は昔から大きな論点ですが、 ある本(川本隆史『現代倫理学の冒険』創文社、 1997)で見つけた分かりやすい例を紹介します。
3人の男の子が1本の竹笛を誰のものにするかをめぐって争います。
密集市街地をどうするかの議論も、 分解していくとこれらの考え方になっていくのではないでしょうか。 我々の社会の再開発や区画整理も今までは(1)〜(3)の考え方で動いていたと思います。 しかし、 修復型のプログラムは(6)だと思います。 何が公平かはさておき、 そこで生活していることを出発点としてできることから始めようという動きです。 とても現実的なのですが、 しかし政治的な場面になるとなかなかアピールしません。
今日お見せした各地の市街地の写真はそれぞれ共通性はありますが、 その社会がそれをどう評価するかによって、 イタリアのシエナのように美しく残ったり、 中国や日本のようにどんどん消えていくことになるのではないでしょうか。 木造密集市街地をどう改善するかは、 日本社会がそれをどう見ているかにかかっています。 社会がそれを存続させたいという考え方を持たない限り、 改善されないだろうと思っています。
今日は世界の密集市街地の概観を紹介すると共に、 最後は最近読んだ本の中から皆さんに問題提起をしようと「正義論」も紹介しました。 これで終わります。 どうもありがとうございました。
公共性を考え直す
(1)A君が一番笛を吹くのがうまく、 吹き手も聞き手も喜ぶからA君のものとする。 これは最大多数が最大幸福を得るという「功利主義」の典型的な考え方だそうです。
以上の3つの考え方は「古典的な正義」と呼ばれるものですが、 最近は次にあげる新しい正義論が出てきています。
(2)B君は貧しくておもちゃも持ってないから、 B君にあげよう。 これは最も不遇な人の暮らし向きを改善する「公正としての正義」と呼びます。
(3)実は、 C君が誰のものでもない竹を材料にして自力で作ったもので、 それを誰かが拾ったものだから、 C君のものである。 これは正当な手続きを踏んでいる人に権利があるとする「自由至上主義の正義」です。
(4)3人の個人情報よりも、 彼らが属している共同体のルール(慣行)に従おうという「共同体正義論」です。
最後の(6)の論理は分かりにくいのですが、 本当にいいのはこの考え方ではないかと思います。 この論理は、 途上国の援助手法について研究する組織から生まれたものです。 (1)〜(3)の方法で援助しても、 途中で金が消えてしまうのです。 効果が一番高いのは(6)の方法だというのはみんなが知っているのですが、 その仕組みをどう作れば良いのか分からないのが現状のようです。
(5)そもそもなぜ男の子しか登場しないのかということに注目し、 その背後にある性差別の構造から考え直そうという「フェミニズムの正義論」。 しかし、 正義のゴールがどこにあるのかは、 まだ分かりません。
(6)関係者がそれぞれのライフスタイルや価値観を考えながら、 富の市場価値ではなく思想や考え方に優先度を与えて解決していこうとするもの。
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