例えば、 駅にはタッチセンサーでレストランや飲み屋が探せる情報検索システムがよく置いてありますが、 あれほど利用のしがいのないものはありません。 「どうせ金払ってるスポンサーしか載せてないんやろ」と推測できますし、 信頼できないシステムだと思います。
むしろ我々は、 機械の設定したニーズよりもっと違う要求から店を探そうとしているのではないか。 1時間だけ暇をつぶしたいとか、 目的地への最短距離を教えてもらいたいなどのわがままな要求で、 一人一人違う情報を受け取りたいのです。 今の情報システムは、 そうしたわがままに対応できてないと思います。 これは選択肢を増やせばいいという問題ではないはずです。 その辺を、 インデックスでどう補完するのかがまだ判りません。
もう一点、 駅を起点とする移動体への情報提供の可能性としては、 地図などの視覚に頼る以外のことを考えるべきではないかと思っています。 なぜそう思ったかというと、 以前、 近鉄のある駅で視覚障害者向けのガイダンスを聞いた体験からです。 「トイレに行きたい」というボタンを押すと、 「後ろに10m、 右に曲がって○m、 左に向かって…」と非常に回りくどくて覚えるのが大変です。 途中で忘れるとまたガイダンスの所まで戻らなくてはなりません。
つまり、 移動していく途中の人への配慮がないのです。 一度聞いたらあとは勝手に歩けという案内で、 そういうところに深い問題があるように思います。 起点で全ての情報を伝えて、 移動しながらの途中の情報提供は一切ない案内だったわけです。 このあたりに、 今後の可能性を考える余地があるのではないかと思います。
以上、 今まで話したことを一言で言うと「人という存在を情報の受発信できる端末としてとらえうるのか」ということになります。 我々は案内板を作るときにそういうことを考えてきたのか。 ここに大事な問題点が浮かび上がるように考えています。
5.まとめとして
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