ただ、 一つ大きく捉えると、 マスタープランを作って、 それをみんなで各街区に持ち帰ってコラボレーションをしたとも言えなくもないかもしれません。
具体的に、 私が関わらさせていただいたあたりからのお話をさせていただきます。
まず、 最初に95年のお盆休みの少し前あたりに、 公団の住宅建設部門から「マスタープランができているんだが、 どうも納得いかない部分があるので、 とりあえず君ならどういうふうに計画するのかということを1週間程度でまとめてみてくれ」という宿題をいただきました。 その時には中嶋龍彦さんと私が「おのおの思うとおりに描いてみろ」ということでした。 お盆休みに家でしこしことプランニングをいたしました。
その時に見せていただいたプランは、 完全な囲み型のプランで、 幕張のプランがそのまま灘の浜に再現されたという感じだったのです。 私個人の思いで申しますと、 いわゆるアジアの路地型といいますか、 道を介して形成されてきたまちの歴史から考えて、 いきなり神戸にこういう形の住宅ができる、 まちができるということは、 とても違和感があると感じました。
特に、 南側の40m道路との関係の中で、 沿道街並み形成型のものではなくて、 もう少し道に開いていくといいますか、 もっと曖昧な空間を持ち込んだような、 そういう配置がよかろうということを提案した記憶があります。
もしかすると間違っているかもしれませんが、 市浦都市開発建築コンサルタンツさんでお作りになられた囲み型のマスタープランの上に、 中嶋、 遠藤の提案があって、 その3つの案を色々検討されて、 公団で最終的にまとめられたのが今の案だろうと思います。 この部分には私が提案させていただいた部分も入っているのかな、 という感じの部分もあります。 とにかく、 そういうことで、 今の計画ができあがったわけです。
マスタープランへの提案
このページへのご意見は前田裕資へ
(C) by 都市環境デザイン会議関西ブロック JUDI Kansai