小林:
コラボレートするということ
そういうことをふまえまして、 今回やられたコラボレーションについてですが、 日本は世界的に見てもそういったことに弱いと思います。 コラボレートするということは喧嘩をするわけではなくて、 仲良くなることでもなくて、 もっと根幹にふれる話を組み上げなければならないと思います。 根幹にふれる話というのは、 今回のHAT神戸のプロジェクトにおいては、 目をつぶって考えたときに、 そこに現れる人々の風景や子供達の表情が浮かばなければならないということだと思います。
ベルリンのポツダムプラザにおいては、 あそこにくる住居ゾーンとか、 商業ゾーンとか、 オフィスゾーンとかに登場する人たちの顔と建築との関係だと思います。 ここで、 逆説的なことを語りますが、 ポツダムプラザはあまりうまくいかなかったと思います。 確かに、 マスターアーキテクトということでレンゾ・ピアノがやったけれども、 コラボレートにおいては弱いと思います。 コラボレートできないから、 それぞれを担当した建築家が遠慮がちに設計している。 とうとうベルリンも市民の顔が見えなくなっている。
私は、 このHAT神戸でそういったことがどの程度見えたのか分かりません。 使う人、 訪れる人の顔というものが見えなければいけないと思います。
HAT神戸も、 まだまだ続きが計画されていくと思いますが、 もっと基本になる話、 神戸における歴史観ということを論じていかなければいけないと思います。 時間の無駄だとおっしゃられるかもしれませんが、 神戸は不気味で明るいという要素を持っていることを取上げて、 強いものをやっていくことがいいのではないかと思います。
私は、 新建築の月評では、 HAT神戸については少し批判しましたけれども、 ある程度は不気味な要素をHAT神戸は持っていると思います。 だけども、 少し弱いと思います。 弱いということは、 このプロジェクトに関わられた人たちを責めるのではなくて、 もっと別の話というものがたくさんいるのではないのかということです。 大震災とは何だったのかという議論をベースにやられなければならないと思います。
以上です。
私も、 「灘の浜」の住宅についてスタートの時点で関わっていたのですが、 確かその時に言ったことは一つで、 300%に指定された地区で、 300%の住宅地を作るべきではないなら、 250%でも、 260%ででも作るのが建築家の仕事ではないかということです。
それができない、 300%に決められているから、 300%で作らなければいけないような建築家なら、 お望み通り250%の指定に変えようかといって脅したんです。 指定されていても、 それを目いっぱい使わないことを説得できないような建築ではだめなのではないかと仕掛けていった記憶があります。 最終的には270%弱で、 今、 容積が余っています。 だから、 あと増築が30%可能な団地です。 それもいいのではないかと思います。
それから、 この前、 アメリカでサスティナブルコミュニティということをいっているカルソープという方がみえて、 HAT神戸をご案内しました。 いろんな小規模なものが集合している建築で、 あまり統一感がないというか、 沿道型の建物が並んでいるというのは、 非常にいいのではないかと言って、 「灘の浜」をえらく気に入って写真を撮りまくっていました。 この地区の西側の「脇の浜」には、 世界のAndoがマスタープランをした統一的な住宅群が建つと言ったら、 それは間違いである、 誰がそんなのを選んだのだと言って、 えらく怒っていました。
いろんな意見があるなあとは思いますが、 いろんな人が寄り集まってやっただけの意味はあったということが一点と、 安藤さんがいないここで文句を言っても始まりませんから、 できた段階で、 ぜひ安藤先生にも来ていただいて、 話をするような機会がもてたらいいかなと思います。
それでは、 今日はこれで終わりにしたいと思います。 ありがとうございました。
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