ジョグジャカルタの
歴史的な地区における保存ガジャマダ大学
シータ(Dr. Ir. Laretna Trisnantari Adhisakti, M.arch., Ph.D)
ジョグジャカルタの歴史
今日は文化財と一緒に生きるとはどういうことか、 特にコタ・グデについてどう考えるかという二つのテーマについて報告します。 この二つのテーマで共通して大切なことは「コミュニティのポテンシャリティと保存の関係」はどうあるのか、 どうあるべきなのかだと考えています。
さて、 まずジョグジャカルタと周辺の小さな町の歴史について簡単にご説明したいと思います。
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図1 中部ジャワ島における17世紀までの王宮の移動 |
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図2 ジョグジャカルタの歴史的な重層構造を示したレイヤー分析 |
その後、 イギリス、 オランダ、 あるいは中国の影響を受けながらジョグジャカルタは成長しますが、 18世紀中頃に造られた王宮(クラトン)が今もジョグジャカルタの中心に残っています。
図3(a) ジョグジャカルタの都市空間(エリア、 土地所有システム、 人びと)
図3(b) ジョグジャカルタの都市空間(エリア、 土地所有システム、 人びと)
図3(c) ジョグジャカルタの都市空間(エリア、 土地所有システム、 人びと)
レイヤーの詳しい説明は図3をご覧ください。 社会的・経済的・文化的な成長がお分かりいただけると思います。 なかには日本の影響もあります。 隣組(rukun tetangga)などがそうです。 昔の問題のなかには現在にも繋がっている問題があります。
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写真1 タマンサリ宮殿付近のカンプン |
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写真2 ダレム |
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写真3 アルンアルン |
雪だるま方式
いずれにしても一番大切なのは住民の力です。 それを引き出し発展させなければなりません。 たとえばコダクテのケースでもそうです。 コミュニティのポテンシャルにとって住民の力が建物の保存よりも重要です。 ガジャマダ大学が提案し世銀のお金を引き出し一番小さなコミュニティ(隣組)から活動を始めています。 小さなプロジェクトでしたが、 それを核として雪だるまのようにより大きな活動にしてゆくべく、 昨日皆さんを案内してくださったハバさんと一緒に活動を進めています。 世界銀行はもちろん日本からの支援も期待しています。
活動は、 まずは調査から始まります。 すでに様々なデータの蓄積が出来て来ました。 いろいろなアイデアも出て来ました。 空き地の使い方については学生の提案が生きています。 それは空き地をコンベンションセンターやアートショップにするというものでした。
住民が大切だと申しましたが、 私たちは「ゴマスリ」なども含め住民を誘い込むことに力を注いでいます。 もちろん住民参加は難しく、 時間もかかります。 住民には行政等による補助の話は分かりにくいものです。 住民の人たちと付き合い、 話し合っていくわけですが、 とても時間がかかります。
でも小さな部分、 コタ・グデやタマンサリから始まって、 保存がどんどん大きくなっていって欲しいと願い、 頑張っています。
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