ところがオランダ人はシンメトリーのまちを造ってゆきました。 たとえば北と南に二つの広場をつくったのです。
日本は200年鎖国をしていましたが、 インドネシアは400年もオランダの支配下にありましたので、 インドネシア・オリジナルの形は潰れてしまっています。 もちろん井口先生が指摘されたように似ているところもあるのですが、 オリジナルのパターンは潰れています。
またイスラム教の影響もあります。 もともとは仏教、 ヒンズー教の影響下にあったのですが、 イスラム教の影響を受けて空間構成も変わっていったと思います。
これからはインドネシアも改革の時代になり、 住民が自由に言うようになると思います。 しかし住民の意見が私たち建築家の意見と同じとは限りません。 住民が保存に賛成するとは限らないわけですから、 これからはもっと難しい時代になると思います。
今井町の場合も、 東京大学、 京都大学、 大阪大学が20年間をかけて調べて、 それを踏まえていろいろ提案をしておられます。 それを見てもとても難しい仕事だということが分かります。
インドネシアの状況への補足
アルディ(Dr. Ardi Pardiman Parimin)
都市の形への西洋の影響
今のお話を補足しますと、 バタフィア(ジャカルタ)でシンメトリーのまちが出来ています。 17世紀以前のマジャパイト王朝では、 王宮とアルンアルンはシンメトリーではありませんでした。 コタ・グデでもそうです。
真の住民参加はこれから
なお、 住民参加についてですが、 日本では参加も自由だと思いますが、 インドネシアでは真の参加はまだないと思います。 住民の意見が政府に出されるときも、 学者が脚色しています。 住民がそのまま言うのではなくて学者が奇麗にして言うのです。
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