では午前中のセッションの最後に、 3人の大先生にコメントをお願いします。
考古学のInayati先生、 ガジャマダ大学で都市デザインを教えておられるArdi先生、 そして鳴海先生です。
Dr. Inayati:
今日のようなディスカッションは重要だと思います。 考え方が広がるからです。 たとえば建築家の立場と私の専門である考古学の立場にも共通のところがあることが分かりました。
シータさんから説明がありましたが、 まちの成長についてより詳しく説明しておきたいと思います。 特に西洋の影響があるかどうかについて詳しくお話したいと思います。
一番古いまちはコタ・グデです。 コタ・グデの空間構成は他の古いまちでもそのまま踏襲されました。 例えば中心にはアルンアルン(広場)があり、 南には王宮、 西にはモスク、 北に市場があります。 まちの中心には城壁があります。 コタ・グデでは二つあります。 その外側には水路があります。
その後、 首都が移動しましたが、 スラカルタ(ソロ)やジョグジャカルタでもほとんど同じパターンが使われています。
ジョグジャカルタとスラカルタのまちができてから、 ヨーロッパの影響も受けるようになりました。 例えばオランダ人の王宮や施設が作られたこともそうですが、 面白いのはスラカルタでは広場がひとつ増え二つになっていることです。 シンメトリーになっています。 これは前例がないことです。
またジョグジャカルタではムラピ山に向かう直線の道が作られました。 直線の道はジャワのコスモロジーを表しています。 ムラピ山と南にある海をつないでいるのです。 このように、 建物はオランダの影響を受けましたが、 空間構成はさほど影響を受けていません。
ただオランダ時代に出来た住宅地であるコタバルはジャワのコスモロジーを離れています。 ジョグジャカルタはコスモロジカルな空間構成ですが、 ここでは地形の影響を受けています。
都市の形成史への補足
Dr. Inayati
ヨヨク:
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