the Urban Enviornment Design Seminar, Yogyakarta
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日本の住宅の特徴

改行マーク私は歴史的遺産の継承についてではなく、 日本の住環境についてお話ししたいと思います。 そして今日の最後の締めくくりとして日本のHOPE計画についてご紹介したいと思います。


日本の伝統的な住宅のタイプ

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日本の伝統的な住宅の4つの類型
改行マーク日本の伝統的な住まいの形は大まかに、 4つのタイプに分けられます。

改行マーク第1は農家という一戸建て住宅です。

改行マーク第2は、 武士や公卿・僧侶などが住んだ、 塀で囲まれ庭を持った一戸建て住宅で、 屋敷あるいは館と呼ばれるものです。 この2つのタイプが、 これから述べる2つのタイプと異なるのは、 塀や壁ではっきりと区切られた領域を持っていることです。

改行マークさて第3は、 町に住む商工者達の住まいで、 奥に細長く、 隣家との間にほとんど隙間のない店舗付住宅です。 これは町家と呼ばれます。

改行マーク第4のものは長屋で、 一般には職人や奉公人が居住し、 1棟の建物を壁で区切って個々の住まいとしたものです。 都市において人口収容力が一番大きかったのは、 この長屋でした。


日本の都市型住宅−町家

改行マーク日本の前近代の都市では、 町家と呼ばれる職住併用住宅が、 商業や手工業のための基本的な住宅でした。

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京都の町家
改行マーク町家では、 通りに面する側に仕事のためのスペースであるミセが配されるのがふつうでした。 奥には住宅が設けられています。 写真の町家では小さなベンチが設けられていますが、 ここに人がすわり通りを行き交う人を眺めながら休んでいたのです。

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町家の構成
改行マーク町家では限られた通りの延長の中でミセの間口をどれだけ取れるかが大きな関心事でした。 宅地が細長くなるのは、 間口税のためだったという説もあります。 これも裏返せば同じことです。

改行マークこうして、 多くの場合、 町家は細長い敷地に建つことになりました。 町家は表から見ると連続しているように見えますが、 実は一戸建ての建物なのです。

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篠山と海野の町家
改行マークかつては多くの都市で町家の家並みが残っていましたが、 小浦先生が指摘したように近年はその多くが失われてしまいました。 しかし、 いくつかの地区で保存が行われており、 多くの観光客が訪れています。


戦前の郊外−一戸建て住宅

改行マーク明治という近代の時代に入っていくと、 工業化の進展とともに、 都市の人口の膨張が始まります。 近代化の過程で、 まず地主、 家主が貸家経営を行うようになりましたが、 やがて富をなした商工業自営業主や新しく出現したサラリーマン(俸給生活者)たちが、 零細貸家経営を行うようになりました。

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戦前の大阪の長屋と路地
改行マークこうした貸家は長屋形式が一般的で、 高密度な市街地を形成しました。 しかし、 市内の長屋の中には高級なものもあり、 こうした長屋にはかなり豊かなサラリーマンが住んでいました。

改行マークやがて、 都市の環境は悪化し、 都市は人間の墓場であるとまで言われるようになりました。 こうして新しい家族のための住まいの場所として郊外が着目されることとなったのです。 郊外の住宅開発を積極的に展開したのは、 民間鉄道会社でした。

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郊外住宅のパンフレット
改行マーク1910年の住宅開発のパンフレットには次のようなことが書かれていました。

改行マーク「美しい水の都は昔の夢となって消えてしまい、 空の暗い煙の都に住んでいる不幸な大阪市民諸君よ!(中略)煤塵の大阪を去って郊外に居住を構えようと企画している諸君は、 現在各電車の沿線にある郊外住宅を一覧して欲しい。 (中略)毎日市内に出て一日中の勤務で脳漿を絞り、 疲労した身体をその家庭において慰安しようとする諸君は、 朝は後庭の鶏の鳴き声で目覚め、 夕方は前栽の虫声を楽しみ、 新しい手作りの野菜を賞味することができる。 (後略)」

改行マークこのころ日本でもハワードの田園都市論に関する関心が高まっていました。 先ほどの大阪の郊外開発にも、 田園都市の考え方が反映しているとみることができます。 私が午前中のセッションで申し上げたEast meet Westの事例の一つです。 Japan meet West through Hawardと言えます。

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戦前に開発された千里山/阪急電鉄の駅の近く
改行マークしかし、 実際に実現した住宅地はハワードが構想したような職・住を備えた自己充足的なものではなく、 ほぼ同じ時期に生まれた「田園郊外」の考え方に近いものです。

改行マークまた日本の郊外住宅の空間構成は、 武家屋敷街のそれに似ており、 グリッド状の街路パターンを一般にとっていました。

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戦前に開発された大美野田園都市
改行マーク1900年代の前半に開発された、 このような郊外の住宅地は現在では高級な住宅地となっています。

改行マーク写真は南大阪の大美野の開発です。 ヨーロッパの影響を受けていることが分かると思います。


戦後の住宅地開発

改行マーク戦後、 産業の回復に伴い大都市圏への人口集中が再び進展し始めました。 この結果として民間分譲住宅の建設が活発な動きを見せるようになります。 この時期の住宅はおおまかに二つに分けることができます。

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ミニ開発/とても小さい家が高密度に建て詰まっている
改行マーク一つは、 交通条件が比較的良好で、 しかも比較的地価の上昇が遅いという条件を持った既成市街地の周辺地区に建てられる建て売り住宅です。 これらは狭小なものが大部分でした。 こうした住宅が建設された地域は、 現在、 住宅の老朽化や居住者の高齢化が進み、 日本の都市におけるインナーエリアの一つとして認識されています。

改行マークもう一つは郊外の鉄道沿線に建設された、 どちらかといえば水準の高い住宅です。 このような住宅開発の展開の中で顕著だったのは、 郊外の集合住宅団地および戸建て住宅団地です。

改行マークこれもJapan meet Westの例だと思います。 というのもニュータウンは西欧の考え方だからです。 たとえば日本で最初の本格的ニュータウンである千里ニュータウンのモデルは、 イギリスのハローです。

改行マークなお、 この郊外開発を契機に住宅産業が成長し、 一戸建て住宅のハウスメーカーによるプレファブ化が一般化すると同時に、 集合住宅建設の技術の向上がいわゆるマンションの急速な供給をもたらしました。

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