the Urban Enviornment Design Seminar, Yogyakarta & Bali
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SATAIの串

上野泰

(ウエノデザイン)

 Tengananで最後に訪れた家は人気がなかった。 同行したメンバーが空き家ではないかと疑ったほど、 がらんとして生活を示す「もの」が見当たらなかった。 そのことは恐らく、 我々が背負っている文化の文脈の中で、 「生活」を示すものが見当たらないということである。 わずか鶏とbalai bghaの軒先に吊された鳥篭の中の小鳥が、 此処にたしかに人が住んでいるということを示しているのみであった。 この家は多くの家が屋根を架けてしまっているnatarに屋根がなく、 比較的オリジナルな状態が保たれているように思えた。 そのnatarのsanggahの前に、 一掴み程の造りかけのsateiの串が干してあった。 そして傍らのbalai bgahの棚のうえにはきれいに仕上げられた串が並べられてあった。 おそらくこの家の主の副業なのであろう。 日本の焼き鳥の串に比べて、 一回り細く鋭いその切っ先を見ていて、 ふと鳴海先生の「サティの串」理論を思い出した。 わかったことを(satai)のように少しずつまとめる、 そしてそれが連なって高分子の鎖のように大きな全体系を造り上げる。 いつもながら巧い喩えだと感心しながらも、 それは貫き通す串の鋭さ、 串を刺す人の手際如何に掛かっていることだとも思う。 首尾よく材料が手に入ったとして、 それをまとめる串は自前で用意しなければならない。 そしてその串は、 それを扱う人の背負っている文化の文脈を越えることはないのだ。 今回のセミナーの一つのテーマであるconservationという問題を考えるとき、 それがすぐれてmodernismの産物であり、 非modernismがmodernismに対して示す特異な“振る舞い”であることに気付く。
 都市とは多かれ少なかれ歴史の産物であり、 都市空間とは様々な時代的変化の断片の集積物に他ならない。 生きている都市とは常に変化しつづけるものである。 こうした了解を越える“許容しがたい”変化として、 modernismがもたらした変化が捉えられているのだ。 そして恐らく、 modernismの背景にある近代産業社会のもたらした、 「規格化」「専門化」「同一化」「最大化」「集中化」という諸相(A.トフラー)への異議申し立てがある。 したがって、 conservationとはそもそもmodernismの理解と評価に関わる問題であり、 そこでconservationに関わるsateiを造るとするならば、 その串を扱う人の内なるmodernismを問いなおし、 その理解を鋭く磨き上げることが求められている、 ということになるはずであろう。

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