前に 目次へ 次へお墓か、 祠か?
鳴海邦碩
(大阪大学)
ジョグジャカルタ近郊の小さな村。 アルディ博士の手作りの自宅がある村である。 ぶらぶら村を歩いていたところ、 こんなものに出会った。 中には、 イスラム教のお墓のミニチュアのようなものが並んでいる。 同行のイカプトラ博士は、 「ここにはかって墓があったのだと思う」という。
さらに歩いていくと、 他にも同じようなものがいくつかある。 どうも墓のシンボルではなさそうだ。 それならば、 小さな動物の墓か?あるいは水子の墓か?。
タイに行くと、 確か「ピー」といったと思うが、 神々の依代がそこここに置かれている。 それは小さな家の模型のようなもので、 高さ1.5メートルほどの柱の上に載せてある。 そこは空っぽで、 ここに田の神とか、 道の神とか、 やってくるのだそうだ。 八百万の神である。 日本の神社も本来は空っぽで、 神社は神を迎える場なのである。 バリのお寺も同じ意味で空っぽだ。
この小さな祠のようなものも、 タイの「ピー」のようなものではないかと思う。 聖なる場所は空っぽ。 それが道端の祠。 アジアには共通した聖なる場の意識がある。 アルディ博士にそれをいったら、 「私もそう思うが証明できない。 それがアジア文化のミッシング・リングだ」と応えた。 アジアを感じることはできるが、 証明することは難しい。