前に 目次へ 次へ巫女になった少女達
辻本智子
(環境デザイン研究所)
ティンブランではたくさんの子供達が町のコモンで遊んでいた。 楽しく遊ぶ男の子達をカメラで撮ろうとしていたら、 老婆に引っぱられた。 後ろへ下がるようにと言っているようだ。 私が後ろに下がると同時に、 男の子達も遊びをやめ道を開けた。 その瞬間、 バレエの一場面が始まるように女の子達がきりりっとした顔で列をなし直進していった。 手には瓶を持ち、 一点を見つめるように少女達は整然と歩く。 その姿は幼い少女というより神に仕える巫女さんのようである。 この凛とした彼女達の姿に私は感動し、 彼女達を追って行こうとしたが、 自分のその姿が彼女達に比較しあまりにも俗ぽく感じられ、 その行列が行きすぎるのを待つしかなかった。 彼女達の姿が消えてから追いかけたが、 もう何処かへ行ってしまい影も形もなかった。 私が興奮して追いかけている姿に事の重要性を察知したのは鳴海先生。 鳴海先生と私の姿を見て、 やって来たのが丸茂先生。 私は彼女達を探すため、 鳴海先生の指示で女性の水浴び場をのぞいたら、 そこにいたおばさん達にえらく怒られた。 「いた!」誰が叫んだような気がするが、 そんなはずはない。 みんな沈黙を守りながら、 緊張気味に足早に少女たちを追いかけた。 少女達はまた、 風のように消えていった。 まるで私達まで神事に参加しているようであった。
吉野さんは神事に入る前の彼女達と話したそうで、 その時は子供そのものだったと言う。
日本でも若者が神事に参加し、 凛々しい姿を見せてくれることがあるが、 こんな小さい少女達が日常生活のなかで神を意識し、 ハレとケの“けじめ”をつけている姿を見た時、 けじめなく毎日を生活する最近の私たち日本人が無くしていっているものの大きさを感じた。
*追伸
少女たちは一点を見つめていたと思っていたが、 私の写真ではみんな下を向いていた。