丸茂先生のコメントは非常に分かりやすくて、 面白く聞かせていただきました。 ありがとうございます。
ではここで、 参加者のみなさんからの感想やご意見をうかがいたいと思います。
この新アテネ憲章では「都市観光は歴史的な遺産によっている部分が大きいから大事にしよう」と書いてあるのですが、 実は観光客を受け入れる人たちにとってはそれは大した問題じゃない。
受け入れる側にとっては観光客は自分たちの生活圏を侵しに来るということになるのです。 もちろん、 観光客が来ることで経済的な収入源になります。 観光は経済活動の大きな部分を占めているから無視できない。 しかし、 住人たちから見ると、 自分たちより生活レベルの低い人たちが生活にたかりにくる、 自分たちにはどうしようもないという構造になっています。
フランスでもイタリアでも自国の人口と同じぐらいの数の観光客が来ていますが、 21世紀初頭にはそれが倍になるだろうと言われています。 今でも、 都市にある観光客のためのホテルがシーズン中には足りなくなって、 あふれ出た若い人などは野宿をする状況です。
そういう状況の中、 ベネチアが万博をやろうとして大問題になり、 推進派の市長候補が落選して、 万博が取りやめになったことがありました。 ベネチアは観光で成り立っている都市で、 町中には観光客しかいないと言われるぐらいですが、 そのことが今や問題であることが象徴的に現れた事件だと思いました。
それに、 観光客が増えすぎたせいで、 観光資源(建物、 文化)の実物にさわれなくなってきている。 偽物が町中にあふれ、 本物は美術館の奥深くにしまわれるということになっています。 観光資源の質が確実に落ちていると思います。
また、 観光客とは別の問題ですが、 移民が入って来るということもあります。 その辺の問題が新アテネ憲章では触れられていないと思いました。
私の感想としては、 旧アテネ憲章はヨーロッパのいろんな制度の桎梏の中で工業化社会をよりよくするために出てきたもので、 情報化社会を生き抜くためにやりくりしながら出てきたのが新アテネ憲章かなというところです。 たぶん、 旧アテネ憲章が登場してきたときの社会は工業化社会をどう作っていこうかという時期で、 相当新鮮に受け入れられたのではないかと思います。 今は、 都市を修理しながら使っていかねばならない時代なのだろうと理解しました。
ただ、 物足りないと思うのは「5。 新しい技術からの利益」についてです。 コンピュータ社会が、 都市づくり、 コミュニティ形成など人びとの生活にどう影響を及ぼしていくのかがあまり言及されていないと思いました。 しかし、 あまり大きな街を作らないとか、 自転車サイズのまちづくり、 成長管理のあり方についてはなるほどと思いながらうかがいました。
ところで、 サステイナブルという言葉を最近あちこちで聞きますが、 本当にすばらしいことなのか。 「自分がいつも主役で生き延びよう」という発想でしょうが、 本当にそれは正しいことなのかと思います。 文明はカタストロフィーから避けられないと言いますか、 一種の見切りをつけることもひとつの文明のあり方ではないでしょうか。 ですから、 僕はサステイナブルは必ずしも絶対的に正しいものではなくて、 捨てたり崩壊しながら別の新しい地域で文明が起こることもいいことではないかという視点で、 サステイナビリティをとらえた方がいいと思っています。
雑談になりますが、 阪神大震災の後に行われた土木学会で、 まちづくりを行政と民間のセクターが一緒になって考えるという討議があったのですが、 その中で大きな声として出てきた意見が「土木の専門家は、 もっと自分の技術を世間に主張しよう」というものでした。 旧アテネ憲章と新アテネ憲章の間を行ったり来たりする場面が、 私たちの業界にはあると感じます。
ひとつ考えられるとすれば、 プランナーとして建築家が作った旧アテネ憲章を完璧に否定しなければならないと思ったのか。 プランナーの長い怨念の結果だったのでしょうか。
そういうところが率直な感想です。
特に、 お話の中でそうであるべきだと思ったのは、 市民参加についてです。 日本の市民参加のプロジェクトは何のためにやるのかと私は疑問に思うのです。 市民の教育なり意識なりを上げていかないと、 住民参加は住民エゴになっていくように思います。 ただ、 ヨーロッパと日本ではちょっと違うなという感じもするのですが。
最後に丸茂先生が「日本はどうなのか」と問いかけをされましたが、 私は近代以前の日本人の生き方こそ新アテネ憲章の精神に近かったように思うのですね。 自分たちがどう生き延びるかがまちづくりに反映して、 水路ひとつとっても、 敵が攻めてきた場合や、 水を綺麗にしておくこと、 風景のことなどあらゆることを考えて作ってきたように思います。
もうひとつ感想を。 今、 神戸でコンパクトシティというまちづくり調査をしているのですが、 この新アテネ憲章は役人相手に大分使えそうだと思いました。 ここに書かれている新しいまちづくりの話が分からないと言う人が多くて、 私はなぜ分からないのかと憤慨していたのです。 しかし今も分からないと感想を言われた人がおられました。 やはりまだ分からない人の方が主流なのかと反省した次第です。
しかし、 新アテネ憲章がヨーロッパで出されたという話をしたら、 きっと役人も私を信用してくれることでしょう。
もうひとつ今気になっていることは、 町中から緑地がなくなっていることです。 この間、 久しぶりに阪南の長屋を歩いたら、 空き地と駐車場と3階建てのプレハブの街になっていて、 これでは被災地の状況と変わらない風景だと呆然としてしまいました。
新アテネ憲章が画期的なのは、 初めて「人が暮らす」ということに光をあてたことだと思うのです。 だからこそ、 サステイナビリティやリジェネレイションの問題が出てきたと思います。 では日本の状況はというと、 次の形は何になるのだろうと思ってしまいます。 鳴海先生は、 結局最後は形やデザインにこだわることになるとおっしゃっていましたね。 アテネ憲章的なプロジェクトの時は計画的な話でやってきましたが、 新アテネ憲章的なまちづくりをしようとすると、 どんな形になるのか。 日本の普通の街はどうなっていくのだろうと思いながら、 お話を聞きました。
ところで鳴海先生に質問ですが、 「公共」という言葉は原語ではどうなっていましたか。
鳴海邦碩:
パブリックです。
お話をうかがって思うことは、 私が関わっている仕事でもアテネ憲章で言われているような形になりがちですね。 しかし、 最近では地方都市の仕事をすると、 どこも人口が減少している中で、 必ず住民参加や人間同士のふれあいの話になります。 アテネ憲章、 新アテネ憲章を勉強し、 これからの仕事に役立てたいと思いながらお話をうかがいました。
丸茂先生のお話の中で「全ての人びとのための都市」では「今のアジアの都市では一部の富裕層と大部分の貧困層=アテネ憲章的」であるのに対し、 ヨーロッパの新アテネ憲章では「マイノリティと社会的弱者に対する配慮がある」というご指摘がありました。 つまり、 ヨーロッパでは今まで「大部分の貧困層」に入っていた人びとが、 次第に「自分たちの生活を向上させるよりは、 他人を引き上げよう」とする方に回るというように構造が逆転していったのだなと理解しました。
それと、 先ほど移民を受け入れるかどうかというお話が出ましたが、 「全ての人びとのための都市」とは移民も含めての話なのでしょうか。 例えば、 伝統的な空間を考えた場合、 その文化的背景をまったく持たない別の民族が入ってきても、 その伝統や文化を共有することが果たしてできるのかどうか。 それを疑問に感じました。
意外だと思ったのは、 新アテネ憲章では「街路」という言葉があまり出てこないことです。 移動空間について言及している部分でも、 マイカーの抑制や環境との関わりが中心に書かれています。
しかし、 かつてジェイコブスやイギリスのブキャナン・レポートが指摘したように、 街路は都市の文化そのものだという認識だったはずです。 ストリート・ライフとかストリート・コミュニティなどの街路の魅力は、 ヨーロッパ、 アジアを問わずありますが、 都市の文化の本質である街路についての言及があまりなかったのはなぜだろうと思いました。 プランナーが作ったことが理由なのかとも思いましたが、 よく分かりません。
丸茂先生のアジアとヨーロッパの比較は非常に面白いと思います。 そういう視点で見ると、 私はアジアの都市(日本の都市も含めて)は中途半端に終わっている近代化を、 より一層促進する過程と、 脱近代化の過程を同時並行的に進める必要があると思います。 また、 この新アテネ憲章が関西で初めて取り上げられたということも面白く、 いっそのこと東京は旧アテネ憲章の路線を進み、 関西は新アテネ憲章でやったらどうかと思いました。
僕も街に出たり地元の人びとと話をすることが多いのですが、 そうしたときに考えていることと同じだなという印象を受けました。 これからしっかり読み込んでいきたいと思います。
大阪府が今、 総合計画を作っているのですが、 その基本構想が新アテネ憲章の内容とそっくりなんです。 ヨーロッパも日本も状況としては似ているのかなと思います。
その大阪府の総合計画が発表されたとき、 新聞紙上では「今度の計画は複合」と大きく見出しが付いたそうですが、 私も混合土地利用には興味を持っています。
それに関連した話ですが、 あるところで話をする機会があって、 私はそこで「積み重ねられた生活としての景観」「文化、 風土につながる景観」という内容を格調高くしゃべったつもりだったのですが、 肝心のその街はむちゃくちゃな景観で、 しゃべりながら「やはり建設省とか、 ここ50年あまりまちづくりに関った専門家は反省しなくちゃイカン」と考えました。
混合土地利用にかけては日本は先進国という気がしないでもないのですが、 やはり作るべきものはしっかり作ってコントロールしていかなかったから、 今のようなありさまになってしまったのではないでしょうか。
だから、 都市計画の復権のようなことをもっと行政が強く出していかないと、 ただ「混合でいきます」「住民参加もします」だけではまたむちゃくちゃになっていきそうだと思います。
それともうひとつ。 建築家が作ったアテネ憲章と都市計画家が作った新アテネ憲章ということですが、 ここで言う建築家と都市計画家の違いについてもご説明していただければと思います。
まず「真の住民参加」についてですが、 日本ではそれをどう発展させるかと考えたら、 やはり今のコミュニティの状態、 つまり昔ながらの住宅と新興住宅がバラバラに建ち並ぶ状態をちゃんとしたものに再構築していくべきではないかと思いました。
「特質の継続」については、 日本でも最近でこそ言われるようになってきましたが、 まだ伝統的な建築を十分に保存できるようにはなっていないので、 今後も努力していくべきだろうと思っています。
「新しい技術からの利益」については、 情報通信がもたらす社会的利益は非常に大きいと思います。 もちろん、 顔を合わしてのコミュニケーションも重要ですが、 それに合わせて新しい技術による利益も大いに享受すべきだろうと思っています。
「経済活動」については、 日本ではまだNPO制度が確立していないのですが、 日本でのあり方としては地域での小さな集まりを「公」と見なして、 そういったものがNPOとして自立することが出来る条件を構築していくべきではないかと思います。
また、 これからは「都市と田舎」という分け方が段々意味を持たなくなると思うのですが、 それが今どういう形で進んでいるのかが書かれていないと感じました。
参加者のコメント
観光を肯定的に捉えすぎ
井口勝文
第1部の〈文化と教育〉の項でヨーロッパらしいと思ったのは、 レジャーと観光が急速に発展していることへの言及です。 僕が若い頃にヨーロッパに行った時代に比べ、 ここ十年で観光客の数がものすごく多くなっています。 僕は大問題だと思っているのですよ。 放っておいたらえらいことになる。
サステイナビリティへの疑問
岩佐倫太郎
新アテネ憲章に関してはまだよく分からないというのが、 正直な気持ちです。 丸茂先生の対比のお話はネガとポジのような内容で、 これは理解できました。
日本の土木は旧アテネ憲章の世界
土橋正彦
私は土木の出身ですので学生の時にアテネ憲章を本格的に勉強したことはないのですが、 丸茂先生のお話は非常に分かりやすいと思いました。 交通やまちづくりの話は、 面白く聞かせていただきました。 その視点で見ると、 日本の土木の世界はまだまだアテネ憲章に沿っているところがずいぶんあります。
新アテネ憲章は必然性が希薄
田端修
お二人のお話を面白く聞きましたが、 新アテネ憲章がなぜ出てきたのかがよく分かりません。 丸茂先生はレジメの中で「ヨーロッパの都市はほとんどアテネ憲章を取り入れてこなかった」と書かれていますが、 それならヨーロッパの都市は昔と変わってないわけです。 それなのに、 なぜ新アテネ憲章を出せねばならなかったのか。 理由があると思うのですが、 それがよく分からないのです。
何をせよと言っているのか分からない
塩崎(阪神電鉄)
旧アテネ憲章は啓蒙的であると言う話は、 私のような不勉強な者にもよく分かります。 でも、 今度の新アテネ憲章は読んでもよく分からないし、 何をせよと言っているのかが、 もうひとつよく分からないんです。
日本は近代以前のほうが新憲章に近い
辻本智子
昨日、 春日井市で「街の景観はそこに住む人のライフスタイルを全部表してしまうものだ」という話をしたのですが、 新アテネ憲章はまさにその通りのことを言っていると思いました。 日本でも昔からの歴史の中で作られた街は、 環境と生活が関わりながら作られたきたという話をしたのですが、 新アテネ憲章もそれに似たことを言っていると思います。
次は新・新アテネ憲章か
難波健
学生時代にはアテネ憲章は金科玉条だと思っていました。 仕事に就いてからも、 時々引っぱり出して読んでいました。 しかし、 新アテネ憲章が出てきたということは、 今後もまた別の「新・新アテネ憲章」が出てくる可能性もあり得るわけです。 まちづくりに不変の哲学なんてないのだということを改めて感じました。
分からない人の方が主流なのかも
小林郁雄
丸茂先生のアジアとヨーロッパの比較の話を面白くうかがいました。 「日本はアジアとは違う」と梅棹先生が言われていたことを思い出します。
人が暮らすということ
小浦久子
私は大阪でプロジェクト関係の仕事をずっとやっているのですが、 その世界はほとんどアテネ憲章の世界だったと思うのです。 だけれど、 私が昔から気に入っていたのは建物と建物の間のスペースです。 これは新アテネ憲章の世界ですから、 私はやはりずれていたのかもしれません。 アテネ憲章で言う「空間」を私は建物と建物の間としてとらえていましたので、 そのへんの話を面白く聞かせてもらいました。
両方、 勉強しなければ
大矢京子
私もアテネ憲章をこういう形で初めて勉強させていただきました。
全ての人びとに移民は入る?
石川(大学生)
初めて参加した大学生です。
街路への言及が少ないのは何故
佐藤健正
手短に言うと、 新アテネ憲章はヨーロッパの都市のコンセプトを非常に明確に語っていると思いました。
普段感じている事を言葉にしてくれた
吉川健一郎
街に関わって仕事をしながら考えていることを改めて提言にすると、 こういう普遍的な表現になるのかと感じました。
日本の認識とそっくり
山本茂
日本でもすでにいろいろと言われている課題や提言がいっぱい並べられていると思いました。 かえって今の日本の状況を確認できたという気がします。
なぜ、 アテネ憲章は反省されているのか
長谷川弘直
丸茂先生に質問なのですが、 ヨーロッパではアテネ憲章をあまり受け入れてなくて、 受け入れた所では後悔しているというお話でしたが、 何を後悔しているのかを具体的に教えていただきたい。 また、 アメリカではアテネ憲章的なまちづくりへの反省の兆しがあるとのご指摘ですが、 それもなぜ反省しているのか説明していただけたらありがたいのですが。
コミュニティの再構築が必要
鎌田(大阪府都市整備センター)
新アテネ憲章が発表され、 それがこういう形で整理されて議論のベースになることは非常にいいことだと思います。 今日のお話をうかがって、 二、 三感じたことを述べようと思います。
都市と田舎への考察が不足
越智和子(学芸出版社)
今日のお話は「都市の中にいる自分」の立場で聞いていると、 なんとなくですが分かるように思いました。 丸茂先生が「アジアとヨーロッパの比較」をされましたが、 それを改めて考えると、 都市にいる自分とはほんの一部でしかないように感じます。
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