なぜ欧米ではアテネ憲章的まちづくりを反省しているのかについてですが、 これはもう新アテネ憲章をじっくり読んでいただくしかないでしょう。 そこに十分理由が書いてあると思います。
アテネ憲章が作られた当時、 建築家は都市というものにいかに希望を持っていたことか。 都市計画家が職能として確立したから新アテネ憲章が出てきたという面もありますが、 一方の側面としては建築家はもうこういうものを絶対に書かないだろうとも思うのです。 日本の現状を見れば、 建築家は都市から去っていったという印象が強い。 職能意識の差が、 この65年の間に起こっていたのではないでしょうか。
一方では都市計画家の職能を確立したけれど、 一方では建築家が都市から去っていって今では建築の世界だけに閉じこもってしまったことを反映しているのではないかと痛切に感じました。 私の個人的な感想を言うと、 私の母校である東大の都市工学科は結局アテネ憲章の流れに沿って作られたんだと思ってしまいました。
じゃあ、 街の状況が似ているかというと、 それは全く違う。 社会状況も違う。 だから私は、 街も社会もアジアの状況で、 プロの意識だけがヨーロッパと共通だと考えています。 これがたぶん、 問題の本質じゃないでしょうか。
だから怖いのは、 日本人が旧アテネ憲章が日本の問題だと信じて走り出し、 都市工学科が出来てしまったように、 今度の新アテネ憲章も日本人が走り出してしまうことです。 また、 同じ失敗を繰り返してしまうのではないかという不安があります。
今、 我々はアテネ憲章を過去のものだと思っていますが、 あの時代のヨーロッパではリアリティのある提案だったのではないでしょうか。 今、 アジアではアテネ憲章の方がリアリティがあるならば、 ヨーロッパでもそうだったのだろうと思いました。 しかし、 65年後にこういう形で新アテネ憲章が出てきたということは、 65年後のアジアでは新アテネ憲章がリアリティを持つようになるのではないか。 単純に言えば、 社会の中間層がマジョリティになる話ですが、 そういう時代が来ればアジアも新アテネ憲章を受け入れることになるでしょう。 ヨーロッパが変わったのだったら、 アジアも変わりうるだろうというのが私の感想です。
新アテネ憲章で走り出すのが恐い
丸茂弘幸
なぜアテネ憲章は反省されているのか
まず、 先ほどの長谷川さんからのご質問についてお答えします。
建築家と都市計画家の違い
また、 建築家と都市計画家の違いとはというご質問について。 今回、 私もこのレジュメを作っていてその違いを痛切に感じました。 鳴海先生がまとめた新アテネ憲章の小冊子の「はじめに」のところで、 「アテネ憲章から新アテネ憲章までの65年の間に都市計画家という職能がヨーロッパでは確立したことを物語っている」と書かれていますが、 私はそれに非常に興味を持ったんです。
日本の都市はアジアなのか
それから、 日本の都市はアジアなのかヨーロッパなのかという話ですが、 私がこの作業を通じて考えたことは、 まず街が似ているかどうかです。 また、 社会構造、 プロの意識はどうか。 プロの意識がヨーロッパに似ているという話には全く同感です。 この会で語られている話と、 新アテネ憲章で語られている話の間に異和感はない。 こういう情報はプロの間では、 すぐに共有されるのです。
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