見られることを意識してない都会の屋根
観覧車から見る都会
今日のこのコメントのため、 天保山と梅田の観覧車に乗って街を眺めてきました。 観覧車は高さの目線が変わるので、 ビルの上から見るよりは街の様子が違って見えると思ったからです。 しかし乗る前からある程度分かっていたことですが、 大都市の屋根はめちゃくちゃでした。 灰色で雑然としていて本当に汚い。
つまり、 高いところから見られることを考えていないのです。 建物をデザインしているときは考えているのかもしれませんが、 いざ建ってしまうと設備機器の置き場とか倉庫代わりに使われていてやたらと汚くなっている。 その建物よりもっと高いビルができたらそれも丸見えになってしまうので、 もうちょっと「上から見られる」ということもデザインの時に配慮して欲しいと思いました。 これは、 大分前から思っていることですが、 「上からの目線」について改めて考えてしまいました。
日本の屋根は混乱の極み
さて、 本論の日本の屋根についてです。 先ほど江川さんが原広司の言葉を引用して「屋根は全ての混乱を収める」とおっしゃいましたが、 私の今の印象では日本の屋根は混乱の極みにあると思います。
日本の伝統的な傾斜屋根は、 瓦のそれぞれの目地が陰になって、 それが美しく映える印象の深い光景でした。 その形が繰り返されることで、 その地区や集落が特徴づけられて、 領域としてとらえやすいということがあったと思います。
また、 先ほどのお話にも出たように、 屋根はシンボル性が強いものです。 領域やテリトリーを示すものとして分かりやすいのですが、 それは町家の屋根群だけではなく、 新宿副都心やOBPのような高層ビル群も建物としてひとつのまとまりを感じさせてくれるように思います。
まとまりを別の言葉で言うとコミュニティ・デザインになると思うのですが、 そういう意味では屋根はコミュニティ・デザインのシンボルだろうと思います。 また、 別の言い方をすれば、 今の日本の都市の屋根景観が混乱しているのは、 コミュニティのまとまりが消失しているからでしょう。 日本の都市景観の秩序がなくなってきたからだと思えるのです。 これは、 豊かさの中の混乱のシンボルかなとも思います。
ですから喪失した秩序感を、 コミュニティ・デザインを持ってもう一度取り戻したいという思いが、 いろんな町のガイドラインを作らせているという気がします。 コミュニティという言葉を使えば、 コミュニティのまとまりをシンボル化する屋根、 あるいはファサードデザイン、 素材の統一感で、 秩序を表わそうとする「回帰現象」ではないでしょうか。
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